どのような世界にいるのか2

原理2 若者を教化・洗脳する

1970年代、平等を求める闘いに対し、企業による巨大で集中的な反撃が始まり、ニクソン政権の時代(1969~1974)に一貫して続いた。

三極委員会は、以下のように報告する。(注 三極委員会とは、日本、北米、欧州に設けられた3つの委員会が運営する私的組織。目的は、先進国共通の国内、国際問題について共同研究と討議を行い、政府と民間の指導者に政策提言をおこなうこと)

「民主主義の危機:民主主義の自己統制力を考察する」(三極委員会の報告書1975年)
1960年代は、アメリカにおいて民主主義精神が劇的な復活を見た時代であった。この10年間のおもな傾向は次のようである。
1、 政治的・社会的・経済的な諸制度や諸団体がもつ既得権益に対して異議申し立てがあった。
2、 これらの諸制度や諸団体に対して、民衆が参加したり管理したりすることが増大した。
3、 連邦政府の権力集中に対して抗議の声が起こり、連邦議会や州政府・地方政府の権力を再び主張するという行動が増大した。
4、 知的エリートの側の平等主義復興の動きがあった。
5、 「一般民衆の利益」を促進する議会工作の集団が登場した。
6、 政策や経済に参加する権利や機会を、女性やその他の少数者に与えることに対して、関心が増大した。
7、 過度の富や権力を所有している(あるいは、そう考えられている)人々に対して広範な批判が増大した。
このように、抗議の精神、平等の精神、不平等を暴露しようとする衝動が国中に広まった。中略 
1960年代の10年間は、民主的な考え方の活発化を証明するものだった。すなわち、民主主義の高揚があり、民主的平等主義を再評価した10年であった。

1960年代には、市民参加その他の形態における顕著な上昇が見られた。行進、デモ、抗議運動、及び「理念」集団(たとえばコモンコーズや、ラルフ・ネーダーがつくった団体など)というかたちである。社会全体の参加が拡大したことは、黒人、先住民族、メキシコ系アメリカ人、白人少数派集団、学生、女性などの自意識が著しく高まったことに反映されていた。すべてが新しいやり方で動機づけられ組織化され、仕事と報酬は適切であるべきだ、という目標を達成しようとしていた。・・・・

以前は受動的で組織されていなかった集団が、いまでは一致団結した運動を展開しはじめ、機会・地位・報酬・権利に対する自らの主張を確立しようとしていた。そういったものはいままで与えられたことがなかったものだった。・・・
・・・1960年代の民主的な高まりの本質は、公的であれ私的であれ、権威という既存体制に対する全般的な挑戦だった。この異議申し立ては、さまざまな形で表れた。家族、大学、企業、公的・私的協会、政治、政府の官僚機構、兵役において。

人々はもはや、年齢・階級・地位・専門・品格・才能で自分より優れていると思っていた人々に対する衝動、かつて持っていたかれらに対する自動的服従をもはや感じなくなったのだ。・・・職階制、専門知識や富にもとづく権限というものがすべて、その時代の民主主義と平等主義という気分に明らかに反していたからだった。
そして、1960年代その3者(職階制、専門知識や富にもとづく権限)すべてが猛攻撃を受けたのだ。

今日のアメリカにおける自己統制力の問題は、民主主義の行き過ぎから生じているのだ。・・・いま、必要なのは、より大きな民主主義ではなく、民主主義のより大きな節度である。(引用終わり)

また、パウエル覚書(ルイス・F・パウエルJrから、全米商工会議所に送られた文書 1971年)では、
「・事態がこのまま進行すると、財界は社会に対する「支配力」を失うから、新興勢力に「対抗する」ために何か手を打たねばならない。
・いまアメリカ合衆国でもっとも迫害されているのは、資本者階級である。社会の所有者であるべき有産者階級が、いまや完全に迫害されている。・・・だが、われわれには金がある。だから反撃できる。われわれがしなければならないことは、この経済力を使って、「自由」すなわちわれわれの権力を救うことだ。
・現在の最優先課題は、経営陣が「究極の問題は現体制の維持だ」と認識することである。・・・
アメリカ企業は、消費者の意思を操作し購買の決定に多大な影響を及ぼす、という史上最大の能力を発揮した。そのもっとも偉大な才能を、体制そのものの維持・保全のため、積極的に適用するときが来ている。」
とパウエルは述べる。

三極委員会は、若者たちに起きている変化に対し「若者たちはあまりにも自由で、あまりにも独立しすぎている。これには、学校や大学や教会の側に何か失敗があったからだ。そのような機関には、若者の教化・洗脳に責任がある」と述べ、よりよい教化・洗脳のために、新聞の統制、人々をもっと受動的でアパシー(無感動)の状態に引き戻すこと、社会を正しく右方向へ発展させることなどを提案した。

いっそうの自由と民主主義を求める下からの圧力に対して、特権階級の支配と統制を強めようとする上からの圧力は、このようなものである。


資料1
「経営者たちはいまこそ攻撃的行動を」
ルイス・F・パウエルJr. 『パウエル覚書』1971年
1、 攻撃の規模
アメリカの経済体制は広範な攻撃を受けている。そのことを疑わない人は、思慮深い人の中には誰もいない。この攻撃は、範囲、強度、適用される技術、顕現の度合いにおいて、さまざまである。
2、 攻撃の発生源
その発生源は多様で拡散している。そのなかには、当然といえば当然のことであるが、政治・経済制度全体を破壊しかねない共産主義者、新左翼主義者、その他の革命家がいる。これら左派の過激派は、以前よりずっと数を増しており、はるかによい資金を提供され、社会の他の構成員からますます歓迎され元気づけられている。歴史上これまでにないほどである。しかし、かれらの数はそれほど多くはないので、まだ憂慮すべき主要な要因とはなっていない。
 この体制批判の大合唱に加わっているなかでも、もっとも不穏な声は、社会で非常な尊敬を集めている構成員から聞こえてくる。大学、聖職者、マスコミ、知的および文学的な雑誌、文系や理系の専門家、政治家などである。どのグループにおいても、反体制運動に参加しているのは全体から見れば少数者にすぎないとはいえ、多くの場合、かれらは、自分の考えをもっとも明確に表明し、もっとも声高に発言し、執筆・講演活動でも極めて生産的である。・・・
3、 攻撃の傾向
  おそらくアメリカ企業にとって最強の敵はラルフ・ネーダーである。主としてマスコミのおかげで、かれは時代の伝説的人物となり、何百万ものアメリカ人崇拝対象者(アイドル)となった。『フォーチュン』誌の最近の記事は、ネーダーについて次のように語っている。「かれにみなぎる情熱、そう、かれは情熱的な男だ。その情熱は、かれの嫌悪の対象、すなわち企業権力を完全に粉砕することに向けられている。・・・」
4、 企業の無関心と怠慢
・・・アメリカ企業が窮地に陥っていることは明らかだ。広い層からでてきた批判への対応が効果的ではなく、ただ鎮静化を目指しているだけだったからである。しかし、ついに時機の到来だ。これは、実際のところ、長らく延び延びにされてきたものだ。だが、いまやアメリカ企業の知恵・創意・資源を総動員して、アメリカ企業を破壊する連中に対抗するときが来た。
5、 経営陣の責任
現在の最優先課題は、経営陣が「究極の問題は現体制の維持だ」と認識することである。つまり、いわゆる自由企業体制の生き残りであり、これこそがアメリカの強さと繁栄、わが国民に自由をもたらすすべてなのである、と認識することだ。
6、 より攻撃的な行動を
アメリカ企業は、消費者の意思を操作し購買の決定に多大な影響を及ぼす、という史上最大の能力を発揮した。そのもっとも偉大な才能を、体制そのものの維持・保全のため、積極的に適用するときが来ている。
引用は以上


原理2についての私見
1960年代のアメリカは、公民権運動(黒人の憲法で認められた個人の権利の保証を訴えた運動:わかりやすくいえば、従来の黒人への差別を撤廃していく運動)、ベトナム戦争に対する反戦運動などにおいて市民が団結し市民の声を表現し、体制側の非を咎めた時期である。すなわち、アメリカの(下からの)民主化が進み、市民による政府への抗議運動が盛んになった時期である。
その流れに対する体制側の反応が、今、見てきたものなのです。

『パウエル覚書』は、のちに最高裁判事になったルイス・パウエルから、全米商工会議所あてに送られたもので、これはもっとも保守的な姿勢から出たものであり、他方三極委員会は、いわゆる左派(現状改革派)・リベラルに属していますが、1960年代の民主化に対しては、先のパウエルと似たような反応を示しているのです。

いずれにしても、市民の力が増すことを好ましいと感じてはおらず、むしろかれらの支配の力が弱まったと感じており、支配の力を取り戻すこと、強めることを強く意識していることがわかります。
この1960年代から、市民の力は減少させられながら現代に繋がっています。
市民たちは、団結の絆を弱められ(または解体され)ました。それは、ここに見たように資本家(世の中を支配していると自認している人々)たちが団結して、意識的にその方向へと誘導したからでもあるのです。

資本家(世の中の支配者)たちが団結して、大衆の力、団結を削いでいるのに対して、大衆は分断されたままです。

「自分さえ安泰ならいい、自分の家族だけ安泰ならいい」これは、もっともな意見です。
一方、この見解から一歩たりとも外へ出ない出れないようであるならば、それは支配者たちが巧妙に導いた結果である可能性もあるということを、頭の片隅に意識しておきたいものです。

市民が分断されているという事実を、市民側ははっきりと自覚し、ひとりひとりが知的に自身を鍛え、この不当ともいえる圧力に対して闘いを挑み続ける必要があるはずです。
この闘いは、とても人の一回きりの人生で解決できるものではありません。しかし、闘わねば、世界はより支配者の思い通りになっていきます。

自分の人生の中では理想とする世界にはならない、と達観しつつ、理想の社会を目指していく必要が社会人にはあるはずです。
そうしなければ、大衆はより家畜化されていくことでしょう。
資本家たちの意見に、高尚でないものを感じたら、その意見に抗う意気込みが必要です。
そして、いま起きているコロナ、ワクチンなどの問題についても、そのままあてはまるものでしょう。


敵はわたしたちを研究して知っている。
わたしたちは、分断されそれぞれが、己の安泰と幸せを求めるように仕向けられている。
そして、共産主義や、中国の脅威など次から次へと「敵」をほんとうの敵から与えられ、それを憎むように仕向けられる。

このままでは、世界の支配者の思惑通りである。
敵が何を恐れているか?
それは、個々人が目覚め、協力し団結すること、そしてほんとうの的に気づくこと。

本当の敵とは、世界を支配していると自認している人々のことである。
金の力にものを言わせ、学者をも買収し、大衆を誤った方向へと進ませる連中のことである。

ほんとうの敵を知らずして、この闘いは始まらない。

この闘いはずっと続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?