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結局「私」は「私」にしかなれない。別にセクシャリティがなんであろうと、どんな暗黙のルールがあろうと。

4月28日~5月6日は、LGBTのためのお祭りともいえる「レインボープライド」が行われる期間だ。
LGBT関連のイベントが毎日開催されており、最終日はパレードが行われる。

プライド初日の4月28日、バイセクシャルの集まりがあることを知った。
その日の夜には、ビアン・バイ・ストレート問わず、女性ならば参加できるガールズオンリークラブイベントもあった。

自分のセクシャリティ(性的指向)にずっとモヤモヤしていた私が、「自分はバイセクシャルなんだ」と自認できたのは、去年の夏頃のことだ。

「レインボープライド」という大きなイベントに参加するのは、私にとってはじめての経験である。
そんな中、マジのはじめてのイベントだった、バイセクシャルの集まりに参加した感想。

それを一言で表すならば、こうだ。

「これは、ダメだ。何がダメって、私自身が、流されたらダメだ」

どうやら、バイセクシャルという存在は、色んな難儀を抱えているらしい。
ぶっちゃけ、そんなことは知らなかった。
そんな事情を知ったうえで、思ったことがある。

それは、バイであろうとなかろうと、結局「私」は「私」にしかなれない、ということだった。

愛した人・性的魅力を感じた人が男であろうと女であろうと、それを他人にとやかく言われたり、「こうした方がイイよ」「ああした方がイイよ」なんて言われる筋合いなんか、これっぽっちもない。

自分を偽ったり、差別や偏見、暗黙のルールに従わないといじめられる。
そういった恐怖に怯えても、結局、何になる?

私は、私のことを愛せないままじゃないか。
私のことを、大切にできないままじゃないか。
ヘラヘラして人の顔色を見てばっかりの人間から、進歩できないままじゃないか。
ロクに「人」と愛を作れないままになるじゃないか。

バイセクシャルはLGBTコミュニティの中で孤立しているらしい

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私は、自分がバイセクシャルだと自認してから日が浅い。
おまけに、「恋人」という存在を持った経験も、一回しかない。
恋愛偏差値そのものが低すぎる。

LGBTのリアルな「あるあるネタ」や「業界知識」などもよく知らないまま、つまりLGBT初心者として、とりあえず、純粋な興味本位から、集まりに行ってみた。

話を聞いた結果、どうやらバイセクシャルには、このような「困ったあるある」が存在しているらしいことを知った。

①バイセクシャルのコミュニティが、存在していない
②LGBTの中でもバイセクシャルは、影が薄い
③LGBTコミュニティの中に、「バイ差別」という差別がある

①から見ていこう。
これは参加者が口を揃えて言っていたのだが、

「ビアンやゲイ、トランスジェンダーのコミュニティはたくさんあるのに、バイだけそういった場所がない。この会が、現状日本に唯一あるコミュニティ。なぜ今までなかったのか不思議なぐらい」

ということだった。
ビアンやゲイ同様、バイのコミュニティも当然あるのだろうと思っていたのだが、まさか自分が参加した会が「日本で唯一のバイセクシャルの集まり」だとは思わなんだ。

次に、②である。
これも全体的な意見として出ていたのだが、バイセクシャルはLGBTの中でも影が薄く、L、G、Tに比べて、その実態があまりよく分かっていないらしいのだ。

ゲイやビアン、トランスに関する学術的研究はたくさんあっても、バイに関する学術的研究は、ほとんど進んでいないという。

「LGBT」という言葉の中に、「B」は立派に含まれているというのに、蓋を開けてみると「ほとんどL、G、Tの情報ばかりで、Bだけ何か影が薄い」…そういう共通認識があった。

「バイも参加可」というビアンイベント・ゲイイベントもあるが、バイセクシャルオンリーイベントというものは、現状見当たらないらしい。

最後に、不穏な単語が目立つ③、「バイ差別」について。

どうやらこの世界では、このような「バイ差別」が起こっているらしい。

・「誰でもイケる」と思われる。淫売扱いされる。
・「男も女も愛せるなんて、オトク!楽しそう!」と言われる。
・ビアンやゲイの人に「バイです」と言うと、嫌な顔をされることが往々にしてある。「えーバイなの・・・?じゃあいいよ」という感じで、冷たくあしらわれることも多い。「どうせ最後は異性の方にいって結婚するんでしょ?」などと言われることもあるらしい。というわけで、イジメられたくなければ「ビアンです」「ゲイです」と言っておく方がベター。

話を聞いているうちに分かったが、要するにバイセクシャルという存在は、ただでさえマイノリティの集まりであるLGBTの世界の中で、よりマイノリティとして扱われているようなのだ。

また、セクシャルマイノリティ間の差別に遭いやすく、「孤立しやすい」セクシャリティらしいのである。

私の結論:だからなんだっつーんだよ

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こういった集まりに参加し、私よりも恋愛経験や、LGBT知識が豊富な、バイセクシャルの先輩方の話を聞ける機会は、はじめての経験だった。

バイセクシャルの現実、孤立感なんて、全然知らなかった。

しかし、日にちが経ち、改めて思案を巡らせた結果出た、馬鹿正直な感想を言おう。

だからなんだっつーんだよ。

参考になったこと、勉強になったことは、確かにあった。
全然知らなかったことを知れた機会だった、とは思う。

聞いたこともないようなジェンダーワードもバンバン飛び出し、「へえーそんな概念があるんだ」と思った。

「バイセク困ったあるある」を耳にし、「なるほど」と思ったことも、「なんかそれ分かる」と思った瞬間もあった。

しかし、正直に言って、別に知らなくてもよかったことまで、知ってしまった気がする。

バイセクシャルであるからこその「モヤモヤ」や、「困ったあるある」が存在していることは、分かった。

けれど、私はどこか、色々な人の色々な話を聞きながら、「直感的な違和感」を感じたのだ。

なんというか、「暗黙のルール」やその暗黙知に支配された世界に浸りすぎてしまったが故に、無意識に「こういうものだ」と定義しているような、「何か」を感じ取ってしまった。その「何か」というものが恐らく、私が感じた「直感的な違和感」だったのかもしれない。

聞こえが悪いぞとムカッとする方もいるかもしれないが、私個人としては、ある種の村社会感を感じ取ってしまった。

身も蓋もない言い方だが、「だから何なんだろう・・・」という感想を覚えてしまった。

インプットした情報を頭の中で整えていない状態だったが、参加の後、私はこんなツイートをした(恐らく無意識の言葉として出たのだと思う)。

noteでも、各SNSアカウントでも、プライベートの交友などでも、私は自分の性的指向を自認してから、まあまあ堂々と自分のセクシャリティを公言していた。
だって、事実なんだもん。しょうがないじゃん。

しかし、もしかしたらそれは、いわゆる「バイ差別」とか「バイの肩身の狭さ」というものを知らなかったからこそ、出来ていたことだったのかもしれない。

だが、その現実を知ったからといって、自分を偽ったり、他人に気に入られるためにスタンスを変える必要は、「これっぽっちもねーよ」と思うのだ。

私は、若い。20代前半のクソガキだ。
クソガキだからこそ、価値観もブレまくる。
すぐ人の言うことに影響されて、すぐビクビクして、ああでもないこうでもない、と頭の中をグチャグチャにしてしまう。

だからこそ、自分の思考のもとに、自分の足で立って生きたいのだ。

例えば他人に、「お前の恋愛比率って、男7:女3ぐらいだろ」なんて言われたり、定義されたりしたくもない。
「私は女8:男2だなあ。うーんビアン寄りのバイなのかなあ」とか、自分で定義することも、したくない。
誤解のないように言っておくが、そのように自認している人を批判したいのではない。私自身が、そういう姿勢を持っていたいだけの話なのだ。

だって、所詮「私」という存在は、「私」にしかなれないから。

私は、自分が愛したい人しか愛せないし、自分が惹かれる人にしか惹かれない。
だからこそ、そこに「比率」や「定義」の概念を持ち込んでも、何か意味があるのかな?と思ってしまう。

自分の性的指向を含め、「私が私という人間であること」を決めつけ、定義し、「業界あるある」的な規範めいて見えるものに自分を押し込めたとして、そこに何の意味や価値があるんだろうか。

バイだと言うと、ゲイ・ビアン界では嫌がられる。ヘテロ界では「個性的なアタシアピール(笑)」と言われる。

だからなんだっつーんだよ。

人がどうこう言ってようが、知らねーよ。
別に私がどちらの性別を愛したって、性的魅力を覚えたって、それが他人にどう関係がある?

愛したいと思った人、性的魅力を感じた人が、男だった・女だった。
それだけのことで、いったい、何に縛られているんだろう。

縛られているのはマジョリティなのか、マイノリティなのか。いったいどっちなんだろう?

冷静に内省してみると、私はどこか、窮屈な思いで参加していた気がする。
どこか無理をして、場と、周りの空気を読んでいたような気がする。
それは、自分に恋愛経験がなさすぎるからとか、そういう問題じゃなかったと思う。

「群れ」。
「業界あるある」。

このような言葉や概念を感じ取ってしまった瞬間から、私は何だか、嫌になり始めていたのだと思う。

知らないことを知れた。
それ自体は、いいことかもしれない。
でも、「別に知らなくてもよかった」と思うようなことまで、知る必要はなかったと思う。

無知であることが罪になることは、確かに多い。
だが、「無知」が問題になる出来事って「知っておかないと人間としてヤバい」みたいな、モラルや法に関わることがほとんどなのではないか。

大した罪にならない種類の「無知」の世界の中で生きているからこそ、ヘンに自分を閉じこめなくて済む。
「これが私の幸せだ!」
そう感じながら、悠々自適に、自由に、何にも縛られずに生きているひともいるだろう。

私は、そういう人が一番素敵だと思う。


深夜、私はガールズオンリーのクラブイベントに行った。

4人のゴー・ゴーダンサーによるショータイムがあった。
全員、超絶に可愛くて、美しかった。
いったい目線をどこにやったら良いのやら、ドキマギせざるを得ないような、爆裂セクシー衣装を着ていた。

きらめくミラーボールの下で、細い腰をひねる。
レザーのニーハイブーツに包まれた脚を、高く上げる。
蠱惑(こわく)的なポーズを取り、激情に突き動かされたようなダンスを、髪を振り乱しながら踊る。

そんなダンサーの子たちを目の前で見て、私も、他の女性もみんな、興奮による悲鳴をあげていた。

TIPと呼ばれる、いわゆる「おひねり」のような紙を、1000円で買った。
お気に入りのダンサーの子に、口移しでTIPを渡すために。

ウェービーな金髪のボブを揺らし、挑発的で、キュートなダンスを一生懸命踊っている女の子がいた。
「絶対にあの子に渡したい」
そう思って、彼女のもとに近付いていった。

唇にTIPを挟んで、「お願い私に気付いて」と思いながら、必死に首を伸ばしている私を、彼女は見つけてくれた。
手を伸ばされ、ステージの上に引き上げられると、彼女は私の体に絡みつきながら、お尻を振り、腰をひねって、私の肩や腕を優しく撫でながら踊っていた。
私はダンスが躍れないので、黙ってニヤニヤしながら、彼女の白くて美しい柔肌を撫で回した。

バンビのような、つぶらな瞳がゆっくりと近づいてきた。
肩に腕を回し合いながら、口移しで、TIPを渡した。
時間が止まったように感じた。

感極まってしまい、彼女とハグを交わした。

あの甘美な喜びは、数日経った今でも、忘れられない。
あの柔肌のときめきを、飴を舐めるような気持ちで、私は慈しみたい。
顔と顔が近づいたときの胸の高鳴りを、時間が止まっていった瞬間を、抱き締めたい。
とっても幸せな気持ちで、ステージから降りた。

—ねえ、別に、それでいいじゃん。

可愛いなって思った女の子を可愛いと思って、カッコいいなって思った男の子をカッコいいと思う。

その純粋な感情に、「比率」だとか、「差別」だとか、「肩身の狭さ」だとか、「暗黙のルール」だとか、そういう余計な情報を持ち込む価値が、私には、分からない。

なんか、ナンセンスじゃない? 
私は、そう思うのだ。

Twitter:@psy_kagami


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頭の中は、いつもごみ箱です。血まみれの愛の中で生きてます。夢は、死ぬまでに本を出すこと。それから、自分と自分の人生を心から愛せるようになること。

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◉エッセイ、(私)小説、ファッション◉性・精神障害・生きづらさ・恋愛・文学・音楽・サブカルなどを書きます◉ちなみにADHD◉もがきまくっている日々◉連載中:オトナのハウコレhttps://otona.howcollect.jp/m/user/index/id/76
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