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考えながら書きながら

この一週間ほど、文体を変えることに挑戦している。分かりやすさとか伝わりやすさについてよく考える。このnote以前に書いていた別のブログは自分ための思考記録で、文脈を共有していない人にはほとんど分からない文章だった。

そこでは、自分の中でも上手くまとまっていない感情や思考を書いていく中で言葉をつないでいた。書きながら考えて、考えながら書いて、書き終わった後に自分はこんなことを考えていたのだと気づくことも多かった。

思考過程の文章は、他人が読んでも面白くなくて分かりにくい。自分が考えるために書いているので仕方ない。この2.3年はこのスタイルで文章を書いてきたので、今もその癖が抜けない。

でも、このnoteを始めた理由の一つは、他人が読んでも分かる文章を書きたいと思ったからだ。僕が考えたこと感じたことを他の人にも共有できる形で出すトレーニングがしたいと思った。たくさんの人に見てもらうとか、特定の層に発信するつもりはなくて、ただ「他者の目」を意識して言葉を積み上げる経験がしたかった。

ときどき強く他者の目を意識した文章を書いてみる。実際に分かりやすいかは置いておき、書き手の感覚としてはあんまり面白くない。書きながら考えていたら、話があっちに行ったりこっちに行ったりして後から読むと非常に分かりづらい。メッセージを伝えるためには、コンパクトに同じ内容の文章を色んな表現で繰り返し、具体例を積み上げて一つの主張をした方がいい。

この作業をするには、まず主題を考えて、ゴールも先に設定しなくちゃいけない。途中で新しいアイデアが思いついても、それを途中で挟むと主張がブレて分かりにくくなる。思いついたことを書けないのは面白くない。寄り道を我慢しながら最初に決めた目的地にたどり着く。そして、改めて最初から最後まで読み通し、論旨が一貫しているか、表現的にくどくなっていないか、自分の中で行間を補って書いていないかをチェックする。

こうした細かい作業は、自分のためではなく完全に読み手のためだ。まあ繊細な気づかいを身につけられるかもしれない。ただ基本的に書いたことは自分の中で当たり前になったことになる。書いた瞬間、僕の中の思いは仮固定される。その表現をちまちま修正して一貫した形に整えるには、同じアイデアを何度も何度も繰り返し読んで考えないといけない。正直飽きてくる。もうそれは考え終わったことじゃないかと。

分かりきったことを書くのは面白くない。僕にとって分かりきったことでも他の人には新鮮で、その逆も然りだから丁寧に伝えるのは大切、ということは分かりきっている。考えながら書くのに慣れてしまっている。

最近はこんなことをよく考えて、書き方を意識しながら文章を書く。自分のための思考過程の文章と人に伝えるための文章は全然違う。前者の書き方は充分やってきたので、後者の方もやっていきたい。が難しさを感じるのが現状だ。

この文章自体は完全に考えながら書いている。筆は進むが分かりにくい。分かりやすい文章もこれぐらいスイスイと書けるようにならんものか。

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