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対面相互作用

気にせずに思ったことを書こう。ちょっと嫌な気分になっている。「スティグマの社会学」読書会だった。
内容よりもやはりどんな話し合いの場になるのか、お互いにどんな自己呈示が起こるのか、の方が楽しみだった。

参加者は僕含めて4人。そのうち2人は心理学を専門とする博士課程、社会学・教育学の修士課程1人、心理学専攻の僕。
専門外の分野なので「正しい」読み方というよりも、自分のフィールドや専門に引きつけて読む流れが優勢だろうなと感じていた。実際著者の思考を参照しつつも、自分の立場から言えることは何か議論していたと思う。

博士だから期待していた部分もあったけど、そんなに面白い読みはなかった。謙遜で理解が浅いと言っているのかと思ったが、どうやら違ったらしい。何というか自分の立場(専門性)にしがみついているなという印象。今回はあえて攻撃的に書いている。

社会学を心理学的に読むというスタンスには共感できるが、どうもニヒリズム的というか「(量的)心理学には限界があって、質的研究はよく分からない」という意識も感じた。自分の知識をひけらかすというか、本との結びつきが明確でないまま、関連する「知識」を紹介するのはいまいちよく分からない。個人的な経験や感覚を語るのは大歓迎だが、本に書いている言葉を出すだけ出して、それを誰かが料理してくれるのを待つという姿勢は僕の理想とする研究者の姿ではない。議論を進める上で他者評価を気にすることによって責任から逃れようとするのは非常にかっこ悪い。修士の院生の意見を拾い上げることなく持論を展開する姿は、アカデミックな読書会というより、地域のおじさんたちの飲み会を想像させる。

色々書いたけれども、大きな引っかかりは、自分の中心的な問いや疑問を素直にぶつけない、他者の問いや疑問を真摯に受け止めようとしないという点だと思う。過去の先行研究の中に自分の身を隠しながら戦おうとしている。
少し前の僕みたいだ。今もそうなっているときがあるかもしれない。今も後出しジャンケンをしているわけだし。

でも、心理学という神話に乗っかった上で話すと非常に面白い。僕よりも知識や技術を持っているし、テンポよく話が進む。分野が狭いゆえにお互いに共有できる用語や概念が多い。これは教育学や社会学にはない気持ち良さだと思う。話していて何だか賢くなった気分になれる。哲学的な話にもそういう効果が見込めるが、99.9%の議論はすでにし尽くされているので気持ち良さはあっても新たな知見は生まれない。ところが、心理学に乗っかればある程度新規性が得られる。すでに問いが絞られているので、ちょっと新しくすれば良いのだ。その分視野がものすごく狭くなるなと感じる。

こういう研究分野の背景から、こういう読書会の形が生まれるのだろうな。そりゃ相互作用に関心は向かないし、それを堂々とはっきり言ってしまえるのだろう。
「何かが違う」そう強く感じた。

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