『戦争論』において完成しているのは第一篇第一章のみか

『戦争論』において完成しているのは第一篇第一章のみか

一般にクラウゼヴィッツの『戦争論』は未完成であると言われている。クラウゼヴィッツについて書いている著作のほとんどはこのことを指摘しており、またその根拠としてクラウゼヴィッツの以下の言葉を挙げている。

 要するに完全と見なされるのは、第一篇第一章だけである、少なくともこの章は、私が本書全体に与えようとした方向を指示するのに役立つと思う。
(篠田英雄訳『戦争論 上』17p)

 確かにクラウゼヴィッツは『戦争論』を書き終えることなく病死しており、未完である。またベアトリス・ホイザーが「二人のクラウゼヴィッツ」と述べているように、『戦争論』を書いているうちにクラウゼヴィッツ自身が新たな発見をし、それを修正しようとしていたため著書の中に異なる考え方が含まれている。

 しかし、クラウゼヴィッツの言葉をそのまま信じ込むことは、別の誤解を招く恐れがある。極論を言えば第一篇第一章のみが完成しており、クラウゼヴィッツの考えを真に表しているのだからそれ以外は読む必要がない、という考えである。

 そこまで考える人は少数かもしれないが、そもそも『戦争論』を読み通す人が少ない状況において、第一篇のみで止まっている人も多いのではないだろうか。あるいは政治との関係について興味のある人は他の篇をとばして第八篇の一部のみを読んでいる人もいるかもしれない。

 私がここで言いたいのは、第一篇を除く他の篇は完成されていないにせよ、完成にかなり近づいたものであり、少なくとも第一篇の各章との関連したものであるため、クラウゼヴィッツの思想を真に理解するためには他の章を疎かにしてはならない、ということである。

 特に第二章は第一章の結論を踏まえ、『戦争論』が目指した戦争の理論化について記述しているとともに、第三章~第八章においては戦争の各項目(戦略、戦闘、戦闘力、防御、攻撃、戦争計画)について各豊富な戦史研究を踏まえたクラウゼヴィッツの考察が含まれており、第一篇の理解には欠かせないものである。

 たとえ、第一篇を除く章が未完成だとしても、第一篇における正確な理解を踏まえて他の篇を読むことにより、クラウゼヴィッツが他の篇で何を書こうとしていたのかを考察することが必要である。

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「たとえ外見に現れることがなかろうとも、成功のきらめきではなく、誠実な努力と義務への献身が人生の価値を決定する」ヘルムート・フォン・モルトケ