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やはり明暗を分けるポイントは『切り分け力』だなって感じる話

なぜか人は一枚岩のように物事を絶対的な視点で見がち。0か100か、善か悪か、白か黒か、といったように2色で(二項対立的に)語ることが多い。

「これって、こうだから」
「この人って、こういう人だから」

本当にそうなのだろうか?こんなに科学が進歩しても天気予報が完璧なものにならないように、こうだと明確に言い切れることは世の中そうそう無い。

物事をシンプルに捉えるということは『考えるきっかけ』だったり『傾向を知る』上では有効だと思う。しかし、シンプルなまま判断して結論づけてしまうのは、むしろ本質を見失ったり、一部を肯定するために多くの否定を生んでしまったりで危険だ。

本やニュースなどで『VUCA』や『多様性』という言葉を目にする機会が増えているように、世の中は複雑で先が読みづらいことを前提とし、柔軟に多様性を受け入れる流れが必要だと強く感じる。

となると、やはり重要なのは『切り分けて考える力』だろう。

『切り分けて考える』とは、一つの視点(一部だけの視点)に縛られることなく、物事や人々を多角的に『分けながら』捉えること。

例えば、体の具合が悪い人がいたとして、その人をザックリと「病人」としてただ休ませるのではなく、体のどこに原因があるかを『切り分けて』調べて、その部分を適切に対処することで回復を早めたり。

例えば、ある人物が過去に多大な迷惑をかけたり犯罪歴があったとしても、過去は過去、今は今、これからはこれから、と『切り分けて』向き合うことで、変えられない過去を責めずに接することができたり。

もう少し具体的な自分の例を挙げると、SNSでの投稿には不快感を覚えるのでミュートしていたとしても、直接会って話すと楽しいので、その人自身を嫌いというわけではないと感じることはある。オンラインとオフライン、公的な場と私的な場、多くの文脈で人々は異なる側面を持っているということを前提として『切り分けて』いる。そうすることで、不必要に批判することもないし、自分の価値観を無理やり押し付けたりすることもない。切り分けられるとコミュニケーションで疲弊することも減って豊かな人間関係が築ける。

切り分けて考えるということは、一般的な多数派が思う「こうあるべき」という価値観によって個人の多様性を奪ったり自己表現を制限する状況を避けることにも役立つ。切り分けることで、大きな固定観念にとらわれず、それぞれの人たちの置かれている状況や背景を細かく理解することができるだろう。

また、過去の出来事を現在の基準で判断したり、文化的背景の違いを無視して評価するのではなく、ソレはそれでコレはこれだと切り分けて考えることで、それぞれの時代や地域の文脈を正しく理解できる可能性が高まる。

「切り分けて考える」とは、単純化や一般化の誘惑に流されず、物事の本質を多角的に捉える力。1を聞いて10を知ることができるのは理解力があって良いことだが、1を聞いて10を『知った気になる』のは、むしろ思考停止を生むだけだ。

繰り返しとなるが、切り分けられないと、誤った認識(解釈)で本質を見失ったり、決めつけによる不必要な批判を生んだりする。切り分ける力があるかどうかが、仕事をする上でも人間関係においても明暗を分けるポイントだと強く感じている。


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