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調整しようそうしよう

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

今、マインドフルネスに興味があります。

僕が興味を持っているのは、とにかく「“今この瞬間”に意識を集中させるための手法」という意味でのマインドフルネスです。

ここのところちょくちょく身の回りで起きる、自分にとって“よくないこと”が、何をしていても頭の中にパッと思い出されてしまう事が最近増えてきた感じがするんです。

例えば、本を読んでいても、テレビを観ていても、オンライン講座の受講中でも、そんな“よくないこと”が思い出されて、その度に「“今この瞬間”に起きている目の前の事」を考えていたはずなのに、その瞬間から“よくないこと”を考えてしまうんです。

しかも、頭の中ではその“よくないこと”が起きたその時の事が繰り返し思い起こされ、いわゆる“後悔”とか“悔恨”の念で頭の中が一杯になるというような状態に陥ります。

自分自身としても「既に起きてしまった事や過ぎてしまった時間についての事を思い悩んでも何も意味なんて無い」というのはハッキリとわかっています。わかっているはずなのに、時には「時間があの直前まで巻き戻ればいいのに」なんて思ってしまっている事にハッと気が付く瞬間すらあったりします。それくらい強めの後悔や悔恨の念に駆られていることがあるんです。

それに気付いた時には、簡易的にマインドフルネス効果を得ることで、既に過ぎ去ってしまってどうする事もできない“過去”ではなく“今この瞬間”に目を向けるために、呼吸を使う事にしています。

普段は無意識にしている“息を吸って吐く”という行動に意識を集中させて、吸う事と吐く事に全ての意識を向けてただその事だけを考えるようにする。また、呼吸を整える事で脈拍を安定させて精神的にも落ち着かせる効果を狙っています。

いわゆる、坐禅における「調身、調息、調心」のような感じを狙っています。

この言葉通り、順番的には「調身」なので“身(からだ)”を楽な姿勢にして調えます。例えば、伸びをしてみたり、全身を力ませた後に緩ませたり、体が一つになるように姿勢を整えることで、全身を調えます。

それから「調息」なので“息”を調えます。例えば、一定のリズムで吸って吐く。その吸って吐く行動に意識を集中させて、呼吸を調えます。

そして、「調心」なので“心”を調えます。例えば、「今吸っている」「今吐いている」という事だけを客観的に見つめる事だけに頭の中を使います。また、一定のリズムで呼吸をすることで、段々と脈拍が整い精神的に安定してきます。心が乱れている時には脈拍が必ず乱れているし、脈拍が乱れている時は心は安定しています。

そんな風に、「身(からだ)の状態、息の状態、心の状態」の3つについて、一つずつ調えることで、そのどれもが円環するように繋がっているので、結局は3つとも全てを調える事に繋がるという事を体感できるのが“坐禅”のいいところなんじゃないかなと思っています。

本当は、何もなくても普段からこの「調身、調息、調心」を意識する時間を1日の中で定期的にとる事が必要なんだとは思うんですが、せめてこういう「身も息も心もどれも調っていない状態」の時にこそ「調身、調息、調心」をやってその効果を実感すれば普段からもっと積極的に取り入れようとするのかもしれないなあと、昨日今日で思い始めています。
そんな事を思い始める程度には、「調身、調息、調心」をするための坐禅の効果を体感できたというのは今回の“よくないことラッシュ”の賜物だったなあとも感じています。

これが無かったら、今回の“よくないことラッシュ”によって、「久々に闇に飲まれてしまっていたかもしれないなあ」なんて想像してしまうくらいにはダメージを被ったような気がしています。

これからは、日常の中にもっと“今この瞬間”に目を向けるための時間を積極的に作っていく必要があるでしょうし、日常的に「調身、調息、調心」を目指して呼吸に取り組んでいたらきっと“よくないこと”に遭遇した時にも、もっともっと平然とした状態で対応できて、その“よくないこと”が少しずつ姿を変えて、いつの間にか“よくないこと”では無くなっていたなんて事にもなるかもしれないなあという希望を抱きつつ。

“過ぎた時間”はもう戻りませんし、“未だ到達していない時間”には何が起きるかはわかりません。そんな“過去”と“未来”という二つの時間軸に挟まれている形で“今この瞬間”が常に僕の目の前に存在していますし、いつだって存在しているのは「“今この瞬間”だけ」に違いありません。

“過ぎた時間”については、過ぎてしまったので今はそれについて何もどうすることも出来ません。

“未だ到達していない時間”は、未だ到達していないので何が起きるのかはわからず、わからない事について何かをどうにかしておくことはできませんし、時間を先取りして“未来”に先回りして何かをしておくこともできません。

何かを出来るとしたら“今この瞬間”だけです。

“今この瞬間”に、“過去”の意味づけを変えるような何かをする事は可能ですし、“未来”のために仮説を立ててその仮説を実行する事は可能です。

でも、当然ながら“過去”に対しても“未来”に対しても、何かをやるとしたら“今この瞬間”に何かをやるしかありません。

“今この瞬間”に何かをやるしか無いはずなのに、そんな大切な今この瞬間”という時間に、“過去”に起きた事を思い悩んでみたり“未来”に起きるかもしれない事に不安を感じて思い悩んでみたりすることは、あんまり意味が無いし、全然役に立つ行動ではありません。

だったらまず、「“過去”や“未来”についての思い悩み」という役に立たない行動から、「調身、調息、調心」という役に立つ行動をすることで、この「思い悩み」という囚われという「自分自身への呪い」から自分自身を解放してあげて、自由な身と心になって、途轍もなく大切な“今この瞬間”に心を向かわせて集中して謳歌する事がどれだけ役に立つことか。

そんな事を、この土日にたくさんの体感を通じてイヤと言うほど思い知りました。

意味の無いことを考えるよりも、役に立つ行動をとる。

こんなにシンプルだけどとても大切な事を、幾つもの“よくないこと”から実感して腑に落ちてきたのは、不幸中の幸いなんだろうなと思えています。

どうせだったら“よくないこと”は起きない方が良かったけど、そんな事を考えても仕方無いので、大切な事を実感して肚落ちする事が出来たという「得られるモノがあった」というだけでも良しとしておこうと思います。

だけど、やっぱりああいう事は起きなければ・・・なんてループに陥りそうなので、これを書き終えたらまた「調身、調息、調心」で一つ、身も息も心も調えるところからやってみるしかありません。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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