プロタゴニスト宣言 in 新島学園短期大学
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
“過去の事実”は変えられない。
でも、
“過去の意味付け”は変えられる。
これは、ウチの会社の仲間がいつも口にしている言葉です。
今日は、仲間が県内にある新島学園短期大学の授業の一環で“企業経営者の講話”の機会をいただいたので、僕は一緒についていき教室の後方で仲間の話を聞かせてもらいました。
久々に“大学”という場所に行きましたが、懐かしさとともに、この時代の“今の空気”を感じたような気がしました。
そんな、今の時代のど真ん中を生きている世代である現役の大学生に向けて講話をする事で、一体どんなモノが生まれるのかこの目で見届けたいと思って、僕は何の役割も無かったんですがのこのこついていきました。
講話を聴きにはきましたが、仲間のする話の内容は、僕にとっては全て知っている内容ではあります。
会社を共同経営する者として、お互いに“公式に”外部に向けて話をする場合には、事前に作成した資料や話す内容を確認しながら、より良いモノになるようにブラッシュアップをするというのは絶対に欠かせません。どうしたって、当事者が一人で作ったモノについては、大天才じゃない限りは、色んな部分に偏りが出てしまうのが我ら凡人のさだめだと、僕たちは考えているからです。
そうやって作成段階に、観衆や監修の立場として関わってきた人間として、その発表の場には立ち会っていたいと思ってしまうのが人情だったりするわけで、楽しみにしていきました。
終わってみての感想としては、「とても良かった」の一言に尽きます。
自分の会社の仲間がしてきた講話について「とても良かった」なんて書くと、「身内びいきが過ぎるヤバいヤツ」に映るかもしれませんが、もしかしたらそういう部分もあるのかもしれません。自覚はありませんが。
ただ、ウチの会社について一つ知っておいてほしいなと思っているのが、僕も仲間も、お互いの事を「客観的に観察して分析して評価してフィードバックする」というスタンスをとても大切にしているという所です。
この「客観的に観察して分析して評価してフィードバックする」というのが、僕たちにとっての“生命線”だと認識しています。
僕たちはお互いに「凡人の中の凡人である」という事を大前提にしています。苦しいことや辛いことがあればそこから目を背けたいと思ってしまいますし、大変なことや困難なことを避けて通りたいと思ってしまうし、できれば楽をしたいと願ってやまないような、極めて弱っちい存在だと認識しています。
だけど、自分達の目の前に「苦しいことや辛いことや大変なことや困難なこと」である急峻な壁がそびえ立っているのを認識してしまったとして、自分達の目的を果たすためにはその急峻な壁を絶対に越えないといけないという事が判明した場合には、それがどんなに苦しくて辛くて大変で困難であっても「必ずそこに挑んでいく」という事を約束事として決めています。
どれだけ及び腰や逃げ腰であったとしても、どれだけ痛くて苦しくて泣きたくなったとしても、必ずです。
「この約束事を守って実行する」という事だけが、僕たちの強みであり、自分達の会社や自分達の存在意義を保つ唯一の手段だと認識しています。
逆に言えば、「これが出来なくなった時は、自分達の存在意義が無くなる時だ」位には考えています。
その「約束事を守って実行する」の中には、お互いに「客観的に~フィードバックする」が入っています。と言うか、むしろこれが「約束事」の中の大半なのかもしれないなあと、今これを書きながら思っています。
だからこその“生命線”なんじゃないかなと。
今回は、僕が「フィードバックを伝える側」でしたが、これまでには「フィードバックを受ける側」になる事も何度もありました。
「受ける側」になる度にいつも思う事ではありますが、自分が渾身の想いを込めて生み出したモノについて「客観的な意見」をもらうと愕然とする事があります。その伝え方がどれだけ配慮されていたとしても、生み出した自分としては全身全霊で臨んだ“と思っている”わけです、その瞬間は。だからこそ、耳に心地よい言葉が欲しいんです。認められたいし褒められたい。
だけど、それと同時に恐れてもいるんです。
「もっとこうした方が良いんじゃないかな?」と言われてしまう事を。
自分の渾身の想いを込めて生み出したはずのモノが、実は、全然足りていないと思い知らされるのが怖くて怖くて仕方ないからこその「耳を塞ぎたい」気持ちがわいてくるんだと思うんです。
こういう気持ちがわいてきてしまう自分に嫌気がさす事も、正直言って多々あります。
「約束事を守って実行する」というのが自分の中から自然に湧き上がってくるような、真っすぐな性根を持って生きていきたいと思う事がよくあります。
だけど、実際にはそうではありません。
そんな、高潔な人間ではありません。
耳に痛いことを言われれば「絶対に受け入れたくない」と思ってしまうし、「もっとこうした方がいい」なんて言われても「いや、このままが良いんだ」と思ってしまうし、自分が傷つきたくないと思う気持ちが未だに払拭できない自分ががんとして居座っているのを感じて、それについても嫌気がさすことが多々あります。
だけど、そんな自分がいるのも認識しつつ、自分自身にがっかりしつつ、「目的を果たす為には何が最善なのか?」という「問い」を立てる事を忘れないようにしています。
もちろん、自分の想いが先に立ちすぎてしまうとその「問い」すらも立てられない状況も過去には何度かありました。
そういう時には、仲間にその「問い」を投げかけてもらっています。
それによって、僕たちの会社はどうにかこうにか3期目に突入する事ができました。
そんなウチの会社の一面を知っておいてもらえるとありがたいなと思っています。
それを踏まえたうえで、今日の仲間の講話は、「とても良かった」と僕は感じています。
もちろん、「反省点が一つもありません」という訳ではありませんが、いただいた場の目的に叶っていたし、何より聴いてくれた学生さん達が、とても真剣に聴いて考えてくれていたのが、教室の最後方に座っていた僕からもよく見えました。
授業が終わって全員が教室を出ていった後、何人かの学生さんが個別に仲間のところに来て質問をしてくれて楽しそうに話をしていました。
その光景が、今日の講話の内容を雄弁に語ってくれていたんじゃないかなと思っています。
そして、ちょうど今、これを書いている途中で、今日の講話を聴いてくれた学生さん達が提出してくれたアンケートが担当の先生からメールで届きました。
そのアンケートに全て目を通してみたんですが、読んでいて思わず鳥肌がたちました。
こんなに多くの学生さんが、こんなにしっかりと内容を受け取ってくれていたなんて、想像していた以上の反応だったので。
あらためて、今日の仲間の講話の内容が、出席してくれたほとんどの学生さんに届いていた事が物的証拠を伴って明確になりました。
こうなると、「自社に対する自画自賛」なんていうレベルの低い観点ではなく、客観的な事実として、
「とても素晴らしい講話でした」
そう言い切っておこうと思います。
そんな「素晴らしい講話を行った」という「過去の事実」を持った僕たちは、この事実をこれからどんな風に「過去の意味付け」を行っていくのか、自分達の事ながら、これからがとても楽しみです。
そして、今日出会った新島学園短期大学の学生さん達の「これから」も、自分達の未来同様、とても楽しみに感じています。
今日を境に、これから「主人公として生きる」同士として、一緒に頑張っていけたらいいなと思っています。
全ての「主人公として生きる」人達に、プロタゴワークスはエールを送ります。ファイト。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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