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『自由』を自由自在にカタチにしよう

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「自由な発想で考えよう」
これまでに、仕事の場でこんな事を言われたり自分でも誰かに言ってきた記憶がたくさんあります。もちろん今でも考えています。

でも、自由な発想って一体どういう事なんでしょうか?

自由な発想をしよう。そう思った時点で、自分の中にある「自由」という枠組みに当てはめてモノを考えようとしたりしていないだろうか?だとすると自由に考えるというのはどういう事なのか?何の枠組みにも囚われず、何の基準も持たずに、拠り所の無い状態で、ふわふわしたままモノを考える事が自由なのか?そもそも自由って何のことなのか?どうやって考えたら自由なのか?いや、こんな事を考えている時点で自由じゃないのではないか?

こんな、終わりのないような問いが頭の中を駆け巡ってしまう事が今までたくさんありました。でも、今はもうそんな事はありません。なぜならば、自由に考える為のコツのようなモノを手に入れたような気がするからです。

じゃあそのコツって何なのか?
それは、「どこかに制限をかける」という事です。

「制限をかける?それじゃあ、自由なんかじゃないじゃないか」そんな声が聞こえてくるような気がしますが、果たしてそうなんでしょうか。
そもそも僕は人間であり、自由に考えるその元になるのは僕の脳みそです。ここから以外は僕の発想は生まれてきません。そうすると、この時点で既に何らかの基準がある状態です。例えば、「人間が人間の脳みそで考える」という基準です。この基準は制限と言い換えることもできるかもしれません。つまり、何から何まで全て自由に考えるという事は最初からできないんじゃないか。であれば、まず何らかの基準を設ける。そこから始めるのも悪くはないんじゃないか。そもそも『発想する』という行為自体について基準というか規制がある状況なので、発想する内容にも基準を設け、そこから出発してそれ以外の事は自由に考える。そうする事で、これまでに無かったような発想が出てくるのかもしれない。

そんな事に、最近思い至りました。
その時、「この考えって何かに似ているんじゃないか?」そう思ったのです。

「これって、まるでプロレスなんじゃないか?」
プロレスには、ルールは幾つか設けられていますが、5カウントまでであれば反則も認められています。つまり、実質、ルール無用の自由な戦いです。プロレスをする自分と相手の中にある共通のモノはこれだけ。

「お互いの持っている技が何であれ、それを駆使して闘いましょう。何をしても良いです。プロレスの中でなら。」

メキシコでは、プロレスの事を「ルチャリブレ」と呼びます。
ルチャリブレ=自由なる闘い。

プロレスという枠組みの中で行われる『自由なる闘い』。ただ一つの枠組み以外は全て自由。その中で、人間と人間がぶつかり合って紡がれる物語。そこでは、全てがライブの現場で、何もかもが瞬間的に繰り広げられていく。そこにいる選手、レフェリー、観客という様々な人たちによって作り上げられる一つの作品。これこそがプロレスの魅力であり、僕達の仕事にも通じる『自由な発想』の賜物なんじゃないか。そんな事を考えたんです。

まるでプロレスをするかのように仕事をする。
これが僕の中にある僕だけの仕事の哲学なのかもしれません。

プロレスに照らし合わせて考える。
こうする事で、自由な発想がどこまでも広がっていく感じがして、段々止まらなくなって暴走気味になる事もままありますが。あまりにも止まらない僕をたしなめてくれる仲間がいるからこその暴走だと、いつも弁明しつつ、感謝する日々を過ごしています。


あかね


株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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