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寄り道しても道草喰ってもそのうちローマには行けるらしいね

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

社内で話をしていると、話がつい脇道に逸れていく事が時々あります。

さっきまで、結構重要な話をしていたはずなのに、ちょっとした話の流れからどんどん枝葉の話に入っていって、いつの間にか元の道筋を見失ってしまって戻れなくなるようなことも、以前はちょくちょくありました。

ここ最近は、めっきりそんな機会も減ってきて、話が本来の重要な筋から離れていったと感じたら出来る限り早い段階で元の道筋に戻る事を促しつつ、その逸れていった話が“その瞬間に”どれくらい重要な物を含んでいるのかを見極めつつ、とある「問い」を投げ込んで、時にはすっぱり打ち切って元に戻したりするようにしています。

話が脇道に逸れていく時の傾向の一つとして、その脇道に逸れていく時の話というのが、「そこにいる人にとってとてもイメージしやすくて具体的な話をしやすい題材である」という特徴があるような気がしています。

僕たちの関わる仕事においては、組織開発という性質上、往々にして、「仕事における重要な話」となると“仕事の上流過程=抽象度の高い内容”になる事が多くなります。

抽象度の高い内容となると、どうしても、それを頭の中で“考える”という事をしながら扱う事になるわけです。具体的な物についての話であれば、“それ”は、具体化されている物なので“それ”については“考える”という事をするまでもなく文字通り具体化されているわけなので、「話をする」という行為がとてもやりやすくなっている状態です。なので、“言語化”とか“図式化”とかがとても有効になってきます。

ここまで書いてきた内容を使って例えるとしたら、「抽象度の高い内容」に当て嵌まるのが「“考える”という行為の難しさについて」というテーマで話をする事であり、「具体的な話」に当て嵌まるのが「“脇道に逸れる”という経験について」というテーマで話をする事でしょうか。

この両方のテーマで話をする時に、その場にいる全ての人が話に参加しやすいのは、「具体的な話」であるのは間違いありません。
もちろん、「抽象度の高い内容の話」をしたいという方もたくさんいるし、そういう話を楽しめる人がたくさんいるのも知っています。

だけど、無作為に集まったある程度の人数の人達で集まって話をする際に、「話が弾んだ」とか「場が盛り上がった」という状態になるのは、大抵が「具体的な話」が持ち出された時であり、参加者が話をできるし話を聞けるというのが必須の条件になってきます(当然、どんな人が参加するのかがあらかじめわかっていれば、参加者に合わせたテーマ設定によって抽象度の高い内容であっても、場が盛り上がったりすることはよくあります)。

その場に出てくる話が「具体的な内容」であればある程、その場の参加者の誰もが容易にイメージ出来たり、自分の経験と照らし合わせて考える事が出来れば出来る程、その場で起きる話の流れは淀みなく流れていくし、大多数の人達が参加した感を得られる可能性はとても高くなりますし、「みんなとたくさん話をした」という実感は得られます。

一方で、「抽象度の高い内容」だと、その時のテーマが“自分のわかる内容”だったり“自分がノれる内容”だったりすれば良い時間になると思いますが、そうで無かった場合は、「抽象度が高い」がゆえに“退屈さ”や“つまらなさ”や“おいてきぼり感”などを感じてしまうかもしれません。何しろ、抽象度が高いからこそ、そのテーマになっている物事について“ずっと考え続けないとそもそもイメージする事すら出来ない”ので、考え、話し、考え、聞く。そんな風にどのタイミングでも“考える”という行為がずっと必要になるので、「具体的な内容」について話をする時とは違って、なかなかスムーズに話が進まないと感じる場面が多いなあと感じる事があります。

なお、この「具体と抽象の取り扱い」については、社内で仲間と話をする機会にしか恵まれていないので、僕たち以外の人がどんな風に感じているのかは推察するしか無いんですが、これまでに多くの人達を様々なテーマで対話をしてきて”その時その場”に身を置いてきて“その場の空気感”を感じとって見えてきたのは、やっぱり「抽象的な内容」に比べると「具体的な内容」の話の方が“盛り上がった感じ”になる事が多かったなあという印象があります。

もちろん、これは、無作為に集まった人達だけではなくて、ウチの会社が組織開発のために関わった組織内の人達で集まっても、やっぱり「抽象度の高い内容」について皆で話をしようと集まっても、どうしてもその話の中で出て来る「具体的な内容」の方が話がしやすいので、そっちの方に話が進みがちになっていく場面が多々あります。その場に、僕たちもいるのであればファシリテートをして、本筋の話を進めていくという状態には持ち込めますが、その組織の人達だけで同じように進めようとしてもなかなかどうして、脇道の話や枝葉の話に終始してしまうという事が起きがちになるようです。

なので、そんな時には、僕が普段から使っている「問い」を投げ込むのをおすすめしています。もちろん、僕が普段から使っているので、そんなに大層なもんではありません。


「今って、何のための話をしてるんでしたっけ?」


という、言ってみれば至極当たり前の問いかけです。


これは、何のためにやっているのか?

あらゆることに使えるしあらゆる場面で効果を発揮する「問い」だと思って使っています。

しかも、この「問い」を発する前には、当然ながらこれを自分自身にまず向けるところから始まっているわけです。そのうえで、この「問い」に対する回答を自分の中に持つところからしか、外に発するなんて大それたことが出来るわけはないので。

そして、自分の中に回答が持てたのなら、それと照らし合わせて、組織内の人達の間で行われている今の話の流れが、本来の目的からズレているかいないかは、もはや一目瞭然になっているはずですから。


当然ながら、この「問い」を、脇道に逸れた話で盛り上がっている場に投げ込むというのは、ある意味ではとても勇気のいる事だと思います。いわゆる、「空気の読めない行動」と言われかねない事をするわけですから。

だけど、本当に「空気が読めない」としたら、こんな「問い」をその場に投げ込む事は出来ないはずです。なぜなら、投げ込む前に自問自答しているはずなので。しかも、その場の目的から脇道に逸れた些末な話で盛り上がっている場が目の前で繰り広げられている状況なわけですから。

だとしたら、そんな状況をほっておく方が、そんな状況に乗っかって一瞬の楽しさに身を任せている方が、よっぽど「空気が読めない行動」なんじゃないのかなと思うんです。


だから、勇気をもって、空気を読んで、その目の前の空気をぶっ壊していきましょう。


楽しくお喋りする場であればその楽しさが本筋だし、一生懸命仕事をする場であればその楽しさは脇道に逸れた些末な話かもしれません。

組織でいる以上、組織で「事を成そう」とする以上、みんなでの話し合いというその行為はとても大切です。みんなでの対話無くして、”長期的に”組織運営が上手くいく事はありません。みんなで対話するその時間はとても貴重です。これは決して無駄なんかではありませんし、自分達でその行為や時間を決して無駄にしてしまうことのないように。その為にも、話の道筋を見失わないように。

いつも心に「問い掛け」を。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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