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君と夏の終わり、将来の夢、大きな希望、忘れない

このnoteは「ふつうの人が書くふつうの文章」です。感覚が近い文章を書いてくれる人を探すために自分も書いています。スキ!やフォローをしてくださった方のnoteは必ず読みにいってます。

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とりあえず毎日何か書いてみよう!と密かに意気込んで3日、とりあえず3日はクリアしたので良しとしよう。笑
正確には「書いてみよう」というより「とにかくアップしよう」である。拙速は巧遅に優る。たぶん。

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昨日は奥さんが鼻歌を歌っていたので、懐かしくなって夜中の1時過ぎに「secret base~君がくれたもの」を聴いていた。いい曲だよね。

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この歳になって夏の思い出といってもなかなか思い出せるものは少なかったりするのだけれど(そもそも夏の思い出が少ないだけかもしれない)、なんとなく小学校の時にジョイポリスに友達と行ったのを思い出す。

ジョイポリスというのは、セガがやってるゲームセンターとアミューズメントパークのあいのこみたいな存在だ。今もお台場にはあるのだろうか。当時は何店舗か展開していた。

それはたぶん高学年のときだったと思う。受験生ではなかったから、たぶん5年生くらいだった。友達何人かとジョイポリスにいった。男女で6人くらい。

僕は私立の小学校だったから、夏休みと言っても学校の友達に会うことはほとんどない。しかもいつもは制服だから、私服の友達に会うと不思議な感じがした。それは男の子であれ、女の子であれ。厳しい学校だから髪を染めるなんてもってのほかだったけど、夏休みの間だけ少し染めている女子もいたと思う。

アトラクションの内容はほとんど覚えていない。いまだったらふつうのゲーセンにもおいてありそうな、ジープ型のマシンに乗り込んで車体が揺れたりするガンシューティングとか、ちょっとしたコースターとか、そういうやつだったと思う。

そんなことよりも、「服装の違い」と「子供だけで遊びに行く」という事実こそが非日常だった。もっと言えば、「服装そのもの」すらほとんど覚えていない。どんな服だったとか、かっこよかったとか、かわいかったとか、そういうことは全然記憶になくて、非日常な場面に遭遇したことそのものがなんとなく嬉しい記憶となり、非日常の記憶が昇華され概念化して、今は「なんか嬉しい」「なんか楽しい」というその感覚だけが残っている。

今だったら小学生でもスマホで写真くらい残すだろう。当時はそうではなかった。

だけど、写真がないからこそのあやふやさも、文字通り記憶のイメージにピントが合わないような曖昧さも、それはそれで悪くない。なぜなら、自分がどんな服を着ていたかさえ思い出さなくて済むのだ。そのようにして記憶は時間とともに美しくなる。

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最後までお読みいただきありがとうございました。改めてになりますが、「なんとなく感覚が合う、どこかの誰かの力の抜けた感じの文章」を読みたいなと思って、そういう人を探すために書いています。スキ!やフォローをしてくださるととても嬉しいです。アクションしていただいた方のnoteは必ず読みに行きます。

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