ロシアが提示した朝鮮二分論

義和団事件の後、清朝はいっそう弱体化した。当時、混乱に乗じて満州への居座りを決め込んでいたロシアは待っていたかのように朝鮮二分論を日本側に提示した。一部では親ロシア派の伊藤博文がこれに同意したという情報が流れた。

仮にそれが実現していたなら、それは第二次世界大戦後、朝鮮北部を支配下に置いたソ連および南部を支配下に置いた米国による分断と同じ構図である。朝鮮半島分断の危機はなにも第二次世界大戦後だけではなかったのである。

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