自分で選択をするということ
こんにちは。
みなさんは自分の子供の頃の夢って覚えてますか?
僕は「バスの運転手」でした。ちょっと変わってますよね。
夢って年齢を重ねるごとに変わっていくものだと僕は思っています。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と自分が学ぶものや環境によって明確になってきます。
今日はそんな夢について少しお話しできたらなと。
僕は母子家庭でした。
物心付く前から父親の名も顔も知らず、生きてきました。
僕はそんな母に幸せになってほしい、将来は立派になって親孝行出来たらなんて思っていました。
中学3年の冬、Youtubeで見たとある美容師さんの動画に目が止まり、刹那その方がとてもかっこよく見えた僕は美容の道に進みたいと、そう心に決めました。
ただ母子家庭なのでお金に余裕があるわけでもなく、
「高校に入ったらバイトするぞ!」と意気込み、この時点のビジョンを母にも伝えました。
すると、
「美容師なんて安月給だし、ちゃんと食べていける保証なんてないよ、残業だってすごいしお母さんの友達にも美容師いるけど大変よ」
と言い放たれました。
中学生だった僕はもちろんバイトもしたことなければ社会がどのように回っているのかなど想像も付きません。自分は表の華やかさしか見ていない為にこの一言で、
「美容師はブラックなんだ、自分になれるのかな」
こう思いました。
あっけなく僕の美容師になるという理想は崩れ、
夢というものに対して臆病になってしまったのです。
高校生にもなり、僕は中学からバレーボールをやっていてもので高校でもバレーボール部に所属していたのですが活動も波に乗り、次はバレーボールの選手になりたいと考えていました。
メンバーと連携をとって勝つ喜びはどんなものよりも嬉しく、自分が誇れる特技はバレーボールだけだったので高校卒業して大学でもバレーボールを続けて行こうと決めました。
受験シーズンになり、進路も一本に絞った僕ですがここでも母親に言われるわけです。
「選手で活躍できる人はほんの一握り、選手になれず挫折したら他の子よりも出遅れて社会に出るしかないのよ、ちゃんと考えてる?」と。
もちろん一理ありますが、僕は自信過剰ではないので
ちょっとした事で一度立ち止まります。本当はやりたいのに。でも応援してもらえないような。
僕は唯一好きだったバレーボールをそこでやめてしまいました。
大学に行くことすらせずに、バイトでやっていた販売営業の会社に正社員登用し、就職します。
そんな会社を5年続きましたが先日辞めてしまい、
働いている時も自分が何をしたいのか定まりませんでした。このままこの会社にいて何がしたいのだろうか。改めて仕事から解き放たれても、これから何をしたらいいのか彷徨っている状態です。
タイムスリップ出来るのならば中学生の自分に
「自分の道は自分で決めろ」
と伝えたい。
人に左右されるのではなく、やらずに後悔するよりやって後悔しろ、挑戦する意欲を忘れるなと。
あの時自分が左右されずに美容師の道を選んでいれば、バレーボールをやめずにいれば違う人生があったかもしれない、そう思うのです。
テレビやニュースでも「小学生がなりたい職業ランキング」など取り上げられていますが、お母さんお父さんは子供の夢の芽を摘まずに背中を押してあげてください。もちろん子供の将来を思うと安定した職業についてほしいと親なら誰しもが思いますが、それは理想の押し付けです。子供の感性、自由さ、可能性は無限にあります。
選択肢を潰していくのではなく、育てていってください。
そして自分も決めたら進むだけだと。
僕の体験談でもありましたが、自分で選ぶ事に他人が介入する必要もなければそれに自身が左右される必要もないのです。
30代からサッカー選手になりたい、60代でも会社を経営したい。
そう思うのも自由です。
他人から無理だやめておけと言われる事もあります。ただその選択を取り下げて後悔するならば試してみたらいい。
その先に夢はあるはず。
プロニーター
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