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出演者変更&コラム

---What's New---

<奏者が変更になりました>
Vol.1、Vol.4に出演を予定しておりましたヴァイオリン奏者の原田真帆氏は、入国制限措置により、英国から帰国することが困難な状況になりましたため本公演に出演することができなくなりました。
代わって、Vol.1には犬嶋仁美、Vol.4には下田詩織の各氏が出演いたします。プログラムの変更はございません。ご来場の皆様には何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
奏者プロフィールはこちらからご覧ください。
https://www.projectnaka.com/2021

なお、本人のご希望により、販売中のブックレットへの曲目解説には原田氏が寄稿してくださいます。チケットならびにブックレットは好評発売中です。小規模な会場のため席数が限られますのでご注意ください。チケット購入先→https://projectnaka.stores.jp/


---Column---

今回のコラムは、美術家の吉野俊太郎さんです。第一回公演では、Vol.4にゲストとして参加予定、作曲家の久保哲朗さんとプレトークを行います。

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音楽には、境界を越える力がある――こんなことを最初に申し上げるのは説教臭くて甚だ恐縮ですが、ここに書き連ねたいのは「だからこそ音楽は素晴らしい!」というような、紋切り型の賞賛の類ではありません。僕の言い分は以下のように続きます。音楽には、境界を越える力がある。だからこそ音楽は恐ろしい――と。

 『ハイスクール・ミュージカル』(2006)というディズニーが製作した映画作品はご存知でしょうか。アメリカの高校生たちがひょんな経緯からミュージカル舞台に挑戦する様子とその最中進展する恋愛模様を描く、有名なミュージカル映画です。序盤では本作主役となる初対面の男女二人がパーティー会場のステージでカラオケの急なデュエットを強いられるのですが、初見の僕にはその場面が最初非常に印象的なものに映りました。歌い手を無視して始まったバックグラウンドの伴奏が、壇上で恥ずかしがる二人を容赦無く「歌」の世界へと追い立て、そうして二人はミュージカル映画の主役として、主役たるティーンの恋人たちとして急激に成形されていく場面です。その間わずか3分弱。そしてそれ以降作中では、彼らは当初の恥じらいを忘れたかのように事あるごとに歌って踊るキャラクターとして変貌を遂げていました。
 この場面に僕が見たのは、最初の彼らの戸惑いや恐怖、それらの様々な感情を全て飛び越えて瞬く間に彼ら自体を歌と踊りの世界に閉じ込めてしまった音楽の力です。どんなに悲しいシーンでも、彼らは曲が始まれば歌い踊ってしまう。どんなに壁を作っても、それを易々と越え来てしまうという音楽からの逃れられなさ。この場面以降は主役二人の歌もまた同様に、周囲の人物を否応なくミュージカルの世界に巻き込む能力を獲得していました。
 初めてこの作品を通してミュージカル映画というものを観た僕は当時、音楽というのはかくも強烈な力を持つものなのかとショックを受けました。しかもこの恐るべき力は、何もフィクションの世界だけに留まるものではありません。たとえば街中、路上ライブをしているミュージシャンの前を横切るときに、気がつけば自然と足のリズムと歌声が同じ調子を踏んでしまっていて、それがなんだか恥ずかしくなってこっそり少し歩みを速めてみたりする。自分では意識していなかったところでふと、音楽は境界を越えて空間そのものを独裁してこようとしてくる。他人から見ればその時路上を歩く僕の歩行のリズムは、ミュージシャンの演奏の効果範囲に居たと認識されている可能性があるのです。気がつかないうちに音楽は、僕という境界の内側にぴたりとくっついていることがある。これが本当に恐ろしい。

 ところで、今回僕がトークゲストとして参加させていただく「Project NAKA」は、コロナ時代のプロジェクトと言って過言ではありません。コロナ時代、それは感染拡大を防ぐために何重にも用意された境界の時代とも言い換えられます。マスク、消毒液、アクリル板、ステイホーム、ビデオ通話にディスプレイ。感染予防を契機に個々人の間の境界と遮断が強く意識されるこの現在に、本企画の趣旨はそのウェブサイト上では以下のように説明されていました。

「Project NAKA は、他分野とのコラボレーションにより、クラシック音楽の可能性の大きさを探る試みです。まずはクラシック音楽が外へと開き、そのなかに様々な芸術を迎え入れることで、より深く作品のなか側を知ってほしい。」(「Project NAKAの開催に寄せて」より引用。https://www.projectnaka.com/about-us )

 「コラボレーション」「外へと開き」「そのなかに」「迎え入れる」…。今この時期に接触を仄めかす言葉がこんなにも連続するとは(!)思えば、前述の音楽の力とは、マスクを貫通してしまう微細な細菌のそれと似たものなのかもしれません。とすれば、『ハイスクール・ミュージカル』がそうであったように、音楽とは言うなれば越境し、他に感染するものとも言い表わせるのでしょうか。旋律は壁を貫通し、マスクを越え、そして体のNAKAへ――あるいはアニメ、ダンス、演劇や美術といった他分野のNAKAへ。境界が意識されすぎる昨今には、音楽の恐るべき「越境力」こそが実はちょうど良いくらいなのかもしれないと考えています。
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