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SONYブランドの人気の秘密を探る


Point

そもそもSONYの輝かしいヒット商品は、何をもたらしたのか?

2018年、ソニーは早々と2年連続の最終収益過去最高と上方修正した。

数年前に大赤字だった瀕死の状況からどうやって持ち直したのだろうか?

SONY のブランドを確立した商品といえば、トリニトロン、ウォークマン、ハンディカム、モバイル、VAIO、AIBOといった面々だが、

現在ではそのいずれもの事業は苦戦もしくは撤退、さらには映画、音楽等のエンタテインメント事業もかつての形態ではないところに活路を見出し、派生系としてゲーム&ネットワークサービス事業が軸をなし、そして金融ビジネスが利益構造を確立している。

つまりは、SONYはプロダクツからブランド企業として再生を果たしたのだ。
さて、そのエクセレント・カンパニー SONYの人気の秘密を徹底分解


ということで、
そんな僕が見つけたSONYの人気の秘密をこちらの5点で説明していきます。

=======================================================目次

1. フロンティアスピリッツ
2. WALKMAN -最高の和製英語-
3. エンタテインメント企業 SONY
4. プレイステーション秘話
5. SONY武将

を深掘り。=======================================================

1. フロンティアスピリッツ
戦後の混乱の中、戦友であった井深大と盛田昭夫がSONYを語るに必要な主人公だ。

「大きな会社にはできないことをやる」というフロンティアスピリッツが、ソニーの前身である東京通信工業の設立趣意書に現れている。

ソニー社員のみならず、世間一般にも浸透している一文がこれだ。

      「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」
設立当時は日本橋の百貨店「白木屋」に事務所を間借りしてスタートした。

時代背景も戦後というゼロからのスタートだが、超零細企業としてのスタートだ。
その後、幾つかの成功を経て、吉祥寺の工場の立ち退きも含め、品川御殿山に居を構える事になる。

これが現在も続くソニー村の原点である。

多くの他の家電メーカーと比較してSONYが、どこかハイブランドなイメージがあるのには訳がある。

東京通信工業時代、NHKからの官需を背景にトランジスタの開発に乗り出し、海外にその活路を求める。つまり、早くから海外意識が高い戦略を打ち立てていたのである。

そして、ポータブルのトランジスタラジオの開発を経て辿り着いたブランドそれがSONY。海外向けに立てたこのブランドがやがて社名に発展する。

2. WALKMAN -最高の和製英語-
SONYのブランドからイメージされるものが幾つかある.

「高性能」、「デザインセンス」等と合わせて、絶対的なのが「ポータブル」

SONYにとって小型化はトランジスタからの宿命であった。

その中でSONYコンセプトを世界移住に見事に表した商品が「WALKMAN」である。
当時発表されたロゴも合わせて、一斉を風靡した。

カジュアルでクール、和製英語なのに最先端なネーミング。
すでに世界戦略を取っていたSONYではあったが、World wide BRANDとして君臨したのはこの和製英語からだった。

それは、日本から発信された「初めて音楽が街を歩く日常」だった。
今でこそ日常茶飯事ではあるが、昔は音楽は決まった場所で聞くものだった。
音楽を聴くという行為、ウォークマンはこの生活様式を打破した。

日常の場面に音楽に覆われる。彩られる。

それはまるで、自分の生活が映画になったような感覚に陥った瞬間だった。

3. エンタテインメント企業 SONY
1987年CBSレコードを買収した2年後、SONYは更な驚愕を起こす事になる。

ハリウッド映画の大手、コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメントの買収。
時はバブル経済の真っ只中、魂を売ったというアメリカの反発は大きかった。

「ソフトを手にしたハードの王者」と目されたSONYの屋台骨だったのが、盛田昭夫氏を支えた大賀典雄CBSソニーレコード初代社長である。

東京芸術大学声楽科卒で音楽家でもあり、自身で操縦する飛行機で移動。

大会社の社長のイメージとは離れた破天荒ぶりも、SONYの自由闊達の社風に合った。SONYは元々、質実剛健な日本企業のイメージを打破した戦略を打ち立てた。

盛田・大賀コンビの野望が、正統派の日本エンタテイメント企業としてSONYを確立したのである。

後にCD(コンパクトディスク)の導入・普及によりハード・ソフトの両輪は開花する。そしてマルチメディア時代も到来により頂点を迎えた頃、盛田昭夫は倒れた。

4. プレイステーション秘話
ハードとソフトを制したSONYの隆盛は、更なる異端児たちに引き継がれる。
当時、小室哲哉、佐野元春を育て上げたソニー・ミュージック社長丸山茂雄は、早い時期からゲームに着目していた。

方や、技術者としてプレイステーションの生みの親となった久多良木健。
この二人のコンビネーションは、井深・盛田、盛田・大賀をしのぐ自由闊達であった。

当時、任天堂の受託として契約を結ぶ話が取りやめになるという事件が起こった。と言っても、これは外付けのCDROMの受注の話なので大事ではなかったが、久多良木は「大賀会長の判子を一度ついたのだから」と事を荒げて、敵は京都に有りよろしく、プレステーション開発までつき進む。

そして、その異端児久多良木をうまくマネジメントして、ゲームが玩具からエンタテインメントメディアに移行させたのが丸山だ。

ゲームマーケットの発展が、今に至るのはこの丸山の発想に起因することはとても多い。

5. SONY武将
SONYには、個性豊かなパーソナリティを備えた、まるで戦国武将のような強者が多く輩出されている。
これは、最初の設立趣意書に見る「自由闊達にして愉快なる理想工場」によるものであろう。

その言葉は、まるで魔法のようにかかわる人間を破天荒にしてきた。

日本の他の企業の経営陣歴と比較すると、SONYのそれはまさに戦国武将のごとし。

しかし、そんなSONYも時代の流れの中で、エレクトロニクスのステージ、エンタテインメントのステージに足踏みが続き、その中で、かつての破天荒武将のような人物は成り上がっていない。

VAIOの売却、AIBOの足踏み。
そして、銀行、損保、生命といったブランドを利用した金融事業によるリカバリー。
その形は、世の中をびっくりさせてやろうという気持ちで挑んだ、数々のヒット商品と比べるとイメージの乖離は否めない。

しかしながら、時代の求める事業ステージにおいても、SONYの名の核にある思想は、

「自由闊達にして愉快なる理想工場」なのだ。
だから、

まとめ
SONYが人気者である秘密を盗め!
・フロンティアスピリッツを持て!
・自分を補うBUDDYの存在!
・破天荒な戦略!
そして、一番大切なのは、
自由闊達にして愉快なる理想工場であること

さて、エクセレントカンパニーSONYさん、あなたはこの会社の見方が変わりましたか?

⁂ -こんな奴が書いた起草です- ⁂
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