社会学者「若者を経済的に締め上げれば結婚する」「少子化でも誰も困らない」

厚生労働省の「人口動態統計の年間推計」によると、今年の出生数は前年比6%減の86.4万人になる見通しである。

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「最後の転落」が本格化したという感じである。

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1970年代前半以降に生まれた女は平均約1.4人しか子を産まなくなっているので、2世代で半減する計算になる。

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出生数が前年の婚姻数の約1.5倍で安定していることからも、出生と婚姻が密接に関係していることがわかる。

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コーホート出生率の2.0→1.4への低下には、

❶既婚率(1-未婚率)の低下
❷有配偶出生率の低下

がほぼ半々寄与している。「出生率低下はほぼすべて未婚率の上昇によるもので、結婚した女が産んだ子の数は減っていない」というデマが流れているが、誤りである。

❶だが、35歳の既婚率は30年間で約20%低下している。

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❷には主に晩婚化と経済環境の悪化が寄与している。

妊孕力はスポーツ選手のパフォーマンスと同じで、個人差はあるがおおむね30代前半から急速に衰え始める。また、高齢での育児は体力的に厳しくなるので心理的にも出産を制約する。

平均初婚年齢は2014年から横ばいに転じているが、これは「30歳」の節目を意識しているためではないかと推測される。

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肉体的に「産めない」に加えて、金がないから産めない夫婦も増えていると見られる。

男の実質平均給与は1991年比で約10%減少し、30年以上前の水準に逆戻りしている。

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男の給与水準の低下は、有配偶出生率を低下させるだけでなく、結婚できない男(≒KKO)を増やす→結婚相手が見つからない女を増やす→未婚率上昇→出生率低下につながることも重要である。

出生率低下の要因を整理すると、

女側の要因

高学歴化と「社会進出」→晩婚化(妊孕力のピークの20代を無駄にする)
男に要求するスペックの上昇→非婚化
結婚への内的・外的圧力の低下→非婚化

男側の要因

給与水準低下→女に足切りされる

となる。従って、出生率を引き上げるためには、

大学進学率の引き下げ・女の「社会退出」の促進→初婚年齢低下
男の給与水準の引き上げ(←女の社会退出も寄与)

が必要ということになるが、フェミ権力が推進してきた「男女共同参画」「ジェンダー・ギャップ解消」が絶対正義とされている現状では実現の見込みはほとんどない。

人間社会には①男女同等化(その実は女尊男卑)、②女の上方婚志向(本能)、③人口再生産(同質な社会の存続)のうち同時に二つしか達成できないジェンダー・フリーのトリレンマが存在する。エリート女の要求に応じて①と②を選んだことが、人口減少を止められない根本原因である。

社会学者の認識

未婚化・少子化についての日本の社会学者の認識は全く異なっている。

若者の経済力の低下が結婚・出産を困難化することは、韓国の専門家も言うように自明に思えるが、

人間の基本的な本能に生存と再生産があるが、生存できない状態では再生産も考えられない。韓国では子を産み育てる年齢層の生存が脅かされている」

日本の社会学者はその逆で、日本の若者はまだまだ豊かすぎるから結婚・出産しないと主張している。

上野 結婚は結局、個人の自己選択。山田昌弘さんが言っています。結婚させるためにはどうしたらいいか、兵糧攻めにしようって。
上野 家から追い出して、経済的に締め上げろって。一人口より二人口のほうが食っていけるからって。

人口減少も無問題で、むしろ「有害な男」が減るので好ましいと主張している。

上野 コミュニケーションを面倒くさいと考える人たちが結婚しなくなるということは、コミュニケーション抜きで結婚し出産する人が減ること、それは最終的には次の世代に生まれる子どもたちにとってはいいこと。そんな人たちが親にならないほうがマシだと、わたしは思っています。
水無田 そう言ってしまうと、すごくスッキリして、わたしもおおむね賛成です。
水無田 たぶん、ああいうおじさんが結婚できなくなったり、生涯未婚者のまま進んでいくほうが、たとえ未婚率が上がっても、世の中にとってはいいと。
上野 いいんじゃないですか、それで。それこそSO WHAT? 一体、それで何が問題なの? 『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書、2004年)というのは、社会学者の赤川学さんの本のタイトルですが、結婚が減って、子どもが減って、誰が困るんですか? という話。「困る、困る」と言っているのは、財界だけですね。

約30年後にはこのような社会になると予測されているが、社会学者は(財界以外は)誰も困らないと思えるらしい。

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現代フェミニズムの本質

少子化問題を考える上では、男女共同参画の根底に「女は男と同等に働くために出産から解放されるべき」というインテリ女の特異な思想(狂気)があることを認識しなければならない。

母性は女性の人生にとって本質的な使命ではない。子どもを産むという生物学的能力は子どもを育てるという母性の社会的義務を強制的にもたらすものではない。母性それ自体は創造的な行為ではない。
女性の条件を完全にまぬがれるなんて、とんでもない。私は女性のからだをしていますもの。でも結局、私は幸運でした。私は出産や家事の義務など女性を隷属させるいろんなものをまぬがれていましたから。
申し分なく幸福な人生をおくるには女性は結婚し、子どもをもつ義務はない、と私同様にあなたも思われるのなら、女性の隷属に苦しむことなくみずからの人生を実現できる女性はかなりな数にのぼります。
家族が存続するかぎり、資本主義を廃絶することは家父長制の伝統を配意することにはなりません。資本主義を打倒し、生産手段を変えるだけでなく、家族制度をも変えなければ。
家族は廃止されるべきです。
個人的な面では、一番大事なことは働くことです。そしてできれば結婚を拒否すること。
子どもを産まなかったことを後悔したことは一度もありません。
後悔などするものですか! そのことで毎日、自分を祝福していますよ。自分自身のためのわずかな時間さえもてずに、孫のお守りをさせられているおばあさんたちを見るときなんか。あのひとたちにしてもうれしいとはかぎらないのに・・・・・・。

多くの一般人が騙されているが、現代フェミニズムは公民権運動のような不当な差別を撤廃する大義があるものではなく、子無しエリート女のために人間社会を根底から改造するポストモダン左翼系の革命思想で、行き着くところは「みんなおひとりさま」そして「死」である。

人種問題にしろ老人問題にしろ、ほとんどあらゆる差別反対運動は、カテゴリーを解体して個人に還元せよという要求をもっているように見える。
個人主義という思想は、カテゴリーを解体しつくしそうとする。女の運動もまたそれに手を貸している。大人と子供、男と女、老人と若者というカテゴリーがすべて解体し、平等な個人がむき出された時に、一体どんな理想社会が実現するのか、私自身もそれに手を貸しながら、ふとアンビヴァレントな思いを避けることができない。
フェミニズムは死の文化です。フェミニズムのせいで女性は子どもをつくらなくなったわけですから。
子どもが生まれなければ、行き着くところは死しかありません。フェミニズムとは何か。女が男と同じように行動したがることです。ラディカルなフェミニズムが定着したあらゆる国で、女性たちが子どもを作らなくなったのは偶然ではありません。シモーヌ・ド・ボーヴォワールがまさしくそうです。

パワーカップルの子持ちエリート女も「家事育児からの解放」に便乗した。Anne-Marie Slaughterの"Why Women Still Can’t Have It All"からは、エリート女の「望みのすべてを叶えられるべき」という底なしの強欲さが伝わってくる。女にはgive and takeあるいはトレードオフの観念が欠落しているので、欲深さには限度が無い。

一流のエリート女の強欲を満たすためには家事育児からの解放が必要であり、そのために駆り出されたのが二流の「ただの女」である。

『女遊び』⇩

「男女平等」の資本主義的解決は、エリート女とただの女への女性労働者の二極分解である。この現象は、女性解放先進国でのきなみ起こっている。
賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう? 
「給料が安くて子どもが産めない」と言うけれど、年収300万円の男女が結婚すれば、世帯年収は600万円になります。今の平均世帯年収の400万円台を軽く超えますし、子どもに高等教育を受けさせるにも十分な額です。
日本でも男性の平均所得は減少していますから、結婚相手に「キミは働かなくていいよ」なんて言わなくなるはずです。つまり、稼げない女は、結婚相手としても選ばれなくなる可能性が高い。
正規雇用者の給料を下げて、夫に600万円払っているのなら、夫に300万円、妻に300万円払うようにすれば、納税者も増えます。

男の安定雇用を破壊する→妻が働きに出る→エリート女が低賃金で家事育児をアウトソースする、というのがフェミニストが1970~1980年代から描いていたシナリオで、その結果、エリート女にとっては生きやすく、ただの女にとっては生きにくい世の中が実現したわけである。多数派の女が生きにくなったのだから、子供が生まれなくなるのも当然である。

フェミニズムあるいは男女共同参画が少子化と女女格差拡大の元凶(少なくともその一つ)であることは火を見るよりも明らかなのだが、学者や大手メディアがそのことを無視してさらに推進しようとするのは、彼らが「革命」によって利益を得た側、『動物農場』の🐷だからである。

自らの意思で選択した結果として子どもを産み育てた経験のないパワーエリートの女性たちが、少子高齢社会を語るとどうなるかは、上野千鶴子や大沢真理両教授の語録を読んだだけでも理解できると思う。
1999年に成立、施行された「男女共同参画基本法」の作成や「主婦の構造改革」で専業主婦に付与された様々な特典を廃止に導くために尽力した大沢真理東大教授、理論的な支柱としてそれを支えた上野千鶴子東大教授が、フェミニズムの制度化に果たした功罪は絶大なものがある。
彼女たちは、少子化対策に寄与するどころか、結婚し、子どもを産み育てる女性を憎悪し、家事や育児や地域の活動を担う専業主婦を徹底的に蔑視するという壮絶な怨念(ルサンチマン)をもって、家族を解体し、少子化を結果的に促進させようとするイデオロギーの持ち主であることは、ふまえておかなければならない。

ケインズは『一般理論』の最後に「既得権益よりも思想が危険」と書いていたが、有害思想のフェミニズムによって先進国は「死」に向かっている。

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