"Defund the police"の日本版

アメリカのBLM運動では"defund the police"がスローガンの一つになっている。警察は構造的人種差別の温床なので、予算を削減して差別解消につながる部門に回すことが社会全体にとって有益になるという主張である。

多くの日本人は、警察の縮小・解体が人種差別解消につながるというロジックは飛躍し過ぎており、むしろ治安悪化を招く恐れがあると考えるのではないだろうか。

しかしながら、日本人もアメリカ人の集団ヒステリーを笑えない。日本では"defund the police"をより大規模にした国と地方の公務員の人件費削減が20年前から続けられている。国の2003年度の大幅減少は郵政公社化、2004年度は国立大学法人化等によるものである。

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"Defund the police"と同じように考えれば、公務員人件費の削減は行政能力を低下させたと見るのが自然である。

また、日本は災害大国なので、公共事業費を削減することは、犯罪大国で警察予算を削減するようなものである(→自然が暴れ放題に)。

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株主→国民、従業員→公務員、企業→政府(国・地方)とすれば、公務員人件費の削減は企業の株主利益の最大化と同じ構造になっている。「雇用重視から株主重視に転換すれば日本経済が活性化して国民全体に恩恵」は「警察予算を削減して他のプログラムに回せば人種差別解消につながる」と同じである。

20年を振り返ってみると、これらの"defund"が日本の経済社会にとって有害無益であったことは明らかに思えるが、大半の日本人はそれでもなお支出削減を支持しているようである。

下の引用文を戦争→緊縮財政、戦争指導者→財務省に置き換えれば、この20年間の日本の状況に当てはまる。反緊縮派の主敵は財務省というよりも、その背後に控える一億総Schadenfreudeである。

明らかに、当時の日本国民は戦争を支持し、マスメディアも開戦を熱烈に支持していました。この歴史的な事実が忘れ去られようとしています。まるで、国民は戦争指導者によって騙されただけの存在であったかのようにあつかわれていますが、戦争を熱烈に支持ていたのは国民自身なのです。

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