見出し画像

生命科学から見た死と老化

我々はなぜ死ぬのか?

こどもから「ヒトは何故死ぬの?」と聞かれたあなたは「そりゃ生き物だからだよ、生き物はいつかは死ぬでしょ」と答えるかもしれない。「じゃあ生き物は何故死ぬの?」と聞かれると、しつこいなと思いつつ「宇宙にもビッグバンがあるのだから、終わりもあるはずだ、すべてのモノは消え去る運命にあるんだ」と胸を張るかも知れない。

しかし、生命の基本単位である細胞は、じつは殺されでもしない限り、勝手には死なないように設計されているのだ。実際、最近死ねない生き物が見つかった。ベニクラゲという海に棲むクラゲの一種だ。こいつは死なない。

ベニクラゲは卵を産むと同時に自分も幼生に戻り、再びいちから人生を始める。それが永遠に続くのだ。 では、なぜベニクラゲ以外のほとんどの生き物は死ぬのか。死ぬ方が種、つまり生き物の集団にとって有利だったからだ。種としての損得勘定が遺伝子に死をプログラムしたのだ。

ベニクラゲ以外の死ねない生き物は、進化の過程で他の種との生存競争に負け、絶滅したと思われる。ベニクラゲは、進化の大戦争からはずれ、海の片隅でひっそりと生き続けることにしたからこそ不死性を得たと考えられる。

ではなぜ生物にとって死ぬ方が有利なのだろうか。じつはまだ科学者も完璧な答えを見つけていない。個体が死ねないと、種全体の個体数が級数的に増加し、やがて餌がなくなって全滅する。新しい遺伝子を持った世代交代が起こらないため、環境や敵の変化に対応できずに滅びる。などさまざまな仮説が立てられている。

だが進化の頂点にいるヒトは知性・自我を持ち個体の死を恐れるようになった。それは何を意味するのだろうか。その知性を使った新たな生存戦略により、ヒトは進化の次のステージに進めるのか、あるいは知性・自我は進化の徒花でそれゆえに滅びるのか。今日の生物学と哲学はまだ答えを持ち合わせていない。

******

我々はなぜ老いるのか?

こどもがまたあなたに聞く。「ヒトは何故歳を取るとよぼよぼになるの?」質問の多いこどもにうんざりしつつも、あなたは答える。「それは老化って言って、生き物は皆歳を取ると身体が衰えるんだ。」さらに次の質問を予想してこう言う。「生き物じゃ無くてもみんな同じだよ。車も家もだんだん古くなってガタがくるだろ?」

残念ながら、あなたはまた間違っている。老化は全ての生物に起こるわけではない。アホウドリやハダカデバネズミというネズミの一種は生きているあいだじゅう完璧な健康を維持し、あらかじめ定められた時がくるといきなり死ぬ。インドの動物園で飼育されていたアドワイタという名前のアルダブラゾウガメは、死んだとき若い個体とまったく同年齢に見えたが、250歳だった。

しかし老化が多様な種で見られることも確かだ。老化しない生き物がいると言うことは、我々はわざわざ老化しているということで、それに意味があると考えられる。死と同様答えはまだ見つかっていないが、老化個体がいることにより全員が飢饉や疫病による絶滅で同時に死ぬことを避けらるからかも知れない。

例えばもし老化がなければ最も動きの遅いウサギとは子供のウサギであり、キツネは子供ばかり狩るのでその結果子孫が絶えウサギは全滅する。年寄りが狩られることが集団の全滅を防ぐ。細菌やウイルスの感染流行に対しても同じことが考えられる。「ダイバーシティ(多様性)」はここでも重要だ。

ならば我々は老化に抗うべきでは無いのだろうか。進化によって得られた知性を用いて、老化を食い止め、かつそれが集団に及ぼす悪影響も防ぐことはできないのだろうか。それは手を出してはいけない神の領域なのか。科学技術の発展が加速度的な今、議論を先延ばしにはできない。

******

以上の文章に出てくる生き物の話はいずれも「若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間」ジョシュ・ミッテンドルフ/ドリオン・セーガン著 矢口誠訳(集英社インターナショナル)からの引用である。この本には上記以外にも興味深い生物の老化や死に纏わるエピソードがたくさん登場するので、一読の価値がある。ただし、進化生物学の永年に亘る論争が主軸で、そのなかで長く非主流派であった著者の恨み辛みの記述がややくどく、それがあまりピンと来ない専門外の読者には退屈な面もある。

ともかく本書でも述べられているように、老化や死はどうやら進化の過程でわざわざ選び取られたもののようである。老化や死は、進化生物学のみならず医学や細胞生物学など生命科学諸分野の大きなテーマだ。私の研究室でも最近、Rubiconと命名した特定のタンパク質が加齢により細胞内で増えることを発見した。Rubiconを作れない実験動物を作成したところ、寿命が延び、かつ活動量の低下、腎臓の線維化、パーキンソン病といったお年寄りに多い病気になりにくくなった。

Rubiconがなぜ歳を取ると増えるのか、メカニズムの詳細はまだ不明であるが、遺伝的にプログラムされている可能性が高い。今、医学ではこのようにプログラムされた老化や死を食い止めようとする研究が盛んに行われている。寿命の延長や加齢による免疫力の低下と加齢に伴う病気を食い止めることは今後ある程度成功するであろう。不老不死はさすがに難しいと思われるが、絶対不可能ともいえない。

そのような試みは自然の摂理に反すると考える人も多いかも知れない。本書はそういった点について議論していないが、私は重要な論点だと思う。種の存続のために老化や死が選択されたのなら、従容としてそれに従うべきという考え方は特に信心深くなくても受け入れやすい。

しかし一方で、ヒトの知性もまた進化の産物である。ヒトは知性を得て自我が生じ、個体の存続を願うようになった。これもまた後戻りのできないことだ。ならば、その知性=科学を駆使して個体の健康長寿を達成し、かつ種としても衰退しないように図ることも自然だと言えないだろうか。私は個人的にはそれが人類がとるべき道ではないかと思っている。皆さんはどう思われるだろうか。

ちなみに、いずれにしろ滅びなかった種はいまだかってない。種は滅びるが、遺伝子は次の種に託され生命は連綿と続いている。今のところは。

最後にひとつ。進化生物学のモデルや知見を、社会のために弱者を排除すべきだという論理の根拠にしようとする動きが昔から、今に至るも、あるが、科学的には全くの見当違いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?