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快楽について考える。
快楽主義者などと聞くと、自身の欲望のまま、刹那的な生き方をする人物を思い浮かべる人も少なくないと思う。

だが、敢えて、全ての人は快楽の奴隷であると言い切った上で、快楽について考えたいと思う。
快楽を以下の軸で4つに分類してみる。

・その快楽の入手の難易度
・関わる人の範囲の広さ

①入手が容易×関わる人の範囲が狭い
②入手が容易×関わる人の範囲が広い
③入手が困難×関わる人の範囲が狭い
④入手が困難×関わる人の範囲が広い

①は嗜好品が代表的であろう。
酒、たばこ、ジャンクフードなど。自身のことを鑑みると、二郎系ラーメン、家系ラーメンの誘惑に負けたことは数知れず。誘惑と書いたのは、この手の快楽は、衝動的に強い渇望が生じるのであるが、手にした後の満足度はとても低い。

特に二郎系ラーメンの快楽のピークは食べる前か、せいぜい2口、3口目までである。その後は、ほぼ後悔の念が支配する。二度と行くものかと。それでも、再び、その欲求に負けて店に足を運ぶのである。

①の快楽は衝動的に欲しくなり、いとも簡単に入手でき、ただし、満足度は低い、と僕は考える。

②は、複数人での飲み会や旅行だろうか。
①に比べると、遥かに後から、「あぁ、楽しかったなぁ。」「また、参加したい(行きたい)。」という気持ちになる。ただ、この快楽だけでは、どうも物足りないというのが僕の感覚である。

③は、自己成長のための学習や、自身にとっては趣味にしているマラソンが該当する。
成果が出るまでは一定の時間と苦痛を伴うし、その過程で人と喜びを共有することはほとんどない。勝利も敗北もないまま孤独なレースが続いていく感覚である。それでも、自身の成長を実感出来た瞬間の喜びは、①と②で得られる喜びとは替えがたいものがある。
誰かの評価に依存して生きることから自分を救い出してくれる。「自分、よくやったな。」と。

④は、ほとんどの場合、仕事でしか得られないのではないだろうか。
仕事はお金を支払ってくれるお客さんがいて初めて成立する。そして、多くの場合、チームで遂行する。お金の支払いが発生する以上、一定の価値を提供しなければならず、そうそうにうまくいかないことが多い。成就するまでに、挫折や絶望することも少なくない。それでも何とかプロジェクトを完遂した、契約がまとまった、その瞬間に全て報われる。お客さんからは感謝され、チームのメンバーとも喜びを分かち合える。
お金を得る以外に仕事をする理由があるとすれば、この快楽を得るためなのかもしれない。

努力教の信者の方は、入手が容易な快楽に心奪われる人を批判し、入手が困難な快楽に身を投じる自身の正当性を主張したくなるものでしょう。ですが、人生において、どのような快楽を得たいか、①~④の理想のバランスは人それぞれだと思う。

努力というマッチョな考えではなく、快楽という切り口で、ご自身の生活を振り返ってみると新たな気づきがあるかもしれない。あなたはどの快楽の奴隷になりたいですか?

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