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アマチュアオーケストラは誰のものか

おはようございます。2024年7月31日です。
土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)5日目です。


今日は休みを取っている。

普段であれば休みの日は更新しないのだが(毎日更新は途切れてしまった…気力が)、月曜日火曜日と諸事情により更新できないことが続いたので、少し疼いている。

で、そういえばこんなお題について、書いてみようかと思って下書きに入れていたのを思い出した。
今日が締切じゃないか。

会社は誰のものか…個人的にはそもそも「もの」なのかという気もするが、この命題は社内でCSRを担当していた頃に散々考えたような気がして、その頃に書いたものがないかと過去のライブラリを漁ってみたりしたのだが、見当たらなかった。
(当時のブログはすでにクローズしているのだが、個人的アーカイブでもちょっと探せなかった。)
まぁ当時は当時、今は今ということでよかろう。


当時のCSR的な文脈で言えば、様々な「ステークホルダー」のものだという至極当たり前の結論が頭に浮かぶ。ただしそのステークホルダーというのは、(会社の)意思決定に何らかの形で参画し、責任を負う存在である必要があると考えていた気がする。単なる意見言いっ放しでは認められないというスタンスだ。
これは特に「ステークホルダーダイアログ」と呼ばれる当時の流行に対してのスタンスでもあって、そういった相手を選ぼうともしていた。

その考えはあまり変わっていないし、大体世間的にもそういうものだろう。

なので、ちょっと違った視点で考えてみる。


自分にとって「会社はどんなものか」「誰のものか」という問いは、「アマチュアオーケストラは誰のものか」という問いに重ねられる感じがする。

言ってしまえば「誰のものでもない」し、「そもそもものでもない」。これは冒頭の所感と同じだ。

多くの場合、趣味の団体に対して、それが「誰のもの」とか「自分のもの」とか考える人は少ないだろう。「自分のもの」とかいう人がいたら、ちょっと危ないと感じて、寄り付かない人も多いに違いない。(正直近寄りたくはない。)

主宰者はあるいはそのように感じているのかもしれないが、「我が子のように大切に感じる」と「自分のものと感じる」とではかなり違っている。参加する側としても、主宰者への共感という形で、その主宰者の考えを全面的に受け入れたとしても、それはその団体が「主宰者のもの」だからではないような気がする。

といって、参加するメンバーや、(アマオケであれば)聴きに来るお客様みんなのものかといえば、そうも考えていない。


会社には何故「誰のものか」という議論が存在するのだろう。

一つには、重要な主語が省かれているという事があるのかもしれない。

会社の「利益」は誰のものか。
会社の「設備」は誰のものか。
会社の「名前」は誰のものか。
会社の「従業員」は誰のものか。

といった形で細分化し解像度を高めていくと、もう少しスッキリするような気がしなくもない。
(ぶっちゃけ、株式会社の「利益」であれば、それは株主のものだ。これは株式会社という仕組みがそのように作られているからである。でもだからといって「従業員」も株主のものかといえば、そうではない。)


もう一つ、「誰のものか」という議論が発生する原因があるとすれば、それは「会社は自分のものだ」と言いたい人たちよって引き起こされているのではないかという事だろう。

「誰のものか」が重要なのではない。

「自分のものだ」が重要なのだ(少なくともそうした人たちにとっては)。

アマチュアオーケストラのような趣味の団体で、そうした事を言い出す人がいたら、まず間違いなく崩壊するだろう。

そうした要素は、大小はあっても会社にも存在する。誰だって、「自分のものだ」と言って憚らない社長の下で、「好んで」働きたいとは思わないに違いない(嫌々仕方なくというのはあるだろう)。それが社長ではなく、株主でも、銀行でも、お客様でも、「自分のものだ」と言うような輩に「はいそうですね」と心から従える人間は、そうはいないはずだ。

そこでやんわりと「誰のものか」という投げかけが登場する。

この議論を仕掛ける人というは、言外に「あなたのものです」と言って欲しいのだ。そして時には、それ以外の結論は求めていなかったりする。


だから、会社は誰のものかと問われたら、慎重に言葉を選んだ上で「あなたのものです」と言ってあげよう。

そうすればその人は満足するだろうから。


身も蓋もない結論になってしまった。

本日は以上です。


#COMEMO #会社は誰のもの

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