清田隆之『さよなら、俺たち』読了

清田隆之さんの『さよなら、俺たち』を読みました。

清田さんの活動であるとか発言なんかは、結構メディアでおっかけています。社会的な「男性性」について、学者ではない立場から様々に感じ取り、あるいは自身に見出している様は、私も影響を大きく受けています。

この本を読むと、清田さんと私は様々に近い人間のように見えます。だから、清田さんの語り、分析が私にスッと入ってくる。というか自分の中に見つかる。学術的な本ではないというところもあるかもしれませんが、かなりスムーズに、それでいて心に跡を残しながら読むことができました。

この本では、清田さんの語り、自己開示が多くなされます。タイトルの『さよなら、俺たち』は、自己の「男性性」を見つめ直すことで「俺たち」から「私」個人になることを目指す、という意味が込められており、そのために語りがなされるのです。その在り方もまた、私がこのnoteでやりたいことなのではないかと思います。

清田さんは恋バナ収集ユニット「桃山商事」として活動されていらっしゃいます。その中で様々な「男性」、「男性性」を確認することとなるのですが、それは決して清田さんにとって未知な在り方ではなく、むしろ自らの内にある在り方である、ということが度々あるようです。それゆえ、清田さんが「男性性」を語るときには、それを他者の問題とはしていません。その一方で、自らの「男性性」の前で跪いて突っ伏すわけでもない。おそらく、良いバランスなのかなと。

とはいえ、この本はあまりにも私には近接のはなしすぎて、私は誰かに読んだ意見を聞きたいような感じがしました。客観できる距離感じゃないというか。


一つだけ印象深いというか、心に大きく残っている箇所が、p26の『「見たくない自分」とどう向き合っていくか』や、p29の「自尊心の危機、人はどう自分を支えるか」という小見出しの部分。私は直感的に「自分にとってめちゃくちゃ大切な部分だ」と思って読み始めたんだけど、それについての解決策がはっきりどどんと書かれていたわけではなかった。後者については清田さんの経験が書かれていたけど、それがそのままそっくり真似できることではないから、そこは私の宿題なのだろう。

今日のつぶやきを改めて貼って、今日はもうお休み。


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