「男性特権」の自分なりの解釈

私もシスヘテ男性である。セクシュアルマジョリティである。現状この社会において最も恵まれた設定と言っていいのではないだろうか。

シスヘテマジョリティ男性が享受する特権は、障害がないことで表されるイメージがある。女性やセクシュアルマイノリティが受ける差別や不利益を受けないという形。男性に特別与えられているというよりも、「普通」のものが奪われていないケース。多分「男性の生きづらさ」みたいなものは、その「普通」が間違っていることに由来するんだと思う。身を粉にして働けみたいなヤバい「普通」。

「特権」という言葉で表現されているのは、その文字とは反対に、自分たちが特別ではないことの意識、自分たちが標準であることの意識だと思う。シスヘテマジョリティ男性は、自分たちが「男性特権」を受け取っていることへの自覚はまずないんじゃないか。私はそうだった。私は「男性らしさ」を体現できず、していないから、男性の特権を受け取れていないと信じていた。あるいは(シスヘテマジョリティ)男性たちが受け取っているというより、女性やセクシュアルマイノリティが受け取れていないという意識のほうが強かったと思う。


男性中心主義で、異性愛主義である社会においてシスヘテマジョリティ男性であるということはどういうことなのかを考えた結果、わりと近いんじゃないかと思ったのは、「東京近辺の言葉を話す人」だ。ざっと調べたところ、首都圏方言という方言もあるらしい。多分東京とか埼玉とか千葉とか神奈川とかその辺りに住んでいる人は、自分たちは共通語たる日本語を話していて、私たちの言葉の全てが基準だと意識の下で認識しているだろう。「方言って素敵だよねー」的な話の中で東京方言とか首都圏方言とかを取り立てて言わないじゃない?でも、言語学的には方言ではあるわけで。

何となく、「自分たちが標準語話者だ」と自信満々に考えている東京近辺の人間と、「自分たちが規範の性だ」と自信満々に考えているシスヘテマジョリティ男性は、私は近しい存在のように思う。

この話で私が何を言いたかったかというと、シスヘテマジョリティ男性(特にジェンダー「ノン」センシティブな男性)が「男性特権」という言葉を理解するときにもこの概念は伝わりやすいんじゃないかなということ。私自身はゆっくりと自分が「男性特権」を享受してきたことを認識してきたけど、いつどこで明確に「男性特権」を享受したかを例をあげようとすると、これはこれで難しい。やっぱり「ない」ことでこそ「男性特権」は表出される気がする。だから、あるシスヘテマジョリティ男性に、あなたも「男性特権」を受けてきたんですよ、と伝えたくても、相手がピンと来ない可能性は十分あると思う。そこでこの「男性特権」≒「東京近辺の言葉」という図式を見せれば、「なるほど、自分たちを標準だと思っていたけどそうじゃないことも有りうるんだな」「気づかないだけで男性特権を受けるようなこともあったのだろうな」と思ってもらえるのではないか。少しはその認識に貢献できるような気がしている。

また、男性にとって「男性特権を享受できること」が、どれほど「ごく自然に」そうなるのかを、女性やセクシュアルマイノリティの方々に説明するときにも使えたりしないかなあ、とも思っている。もし男性サイドに歩み寄ってくださる方がいたときに、少しは腑に落ちてもらえるのかな、と。まあこっちは使い道はかなり少ないだろう。何せただの保身と言い訳になってしまいやすいから。

ともかくも、私は「男性特権」≒「東京近辺の言葉」という考え方はわりと気に入っている。

かく言う私は関東生まれ関東育ち関東在住のシスヘテマジョリティ男性。二重の「特権」を受ける立場にあることを忘れないようにしたい。

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