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自己紹介⭐︎

ブログをご覧のみなさんこんにちは!はじめまして!

株式会社Prism Weddingというウエディング会社にて代表取締役兼トータルウエディングプロデューサーをしております山崎と申します🌸

数多くのブログの中から見つけて下さりありがとうございます!

まずは記念すべき第1回目のブログ投稿ということで、まずは自己紹介をさせて下さいませ🎵

1988年7月18日 イギリスにて誕生
1992年3歳の時に日本に帰国してスクスクと元気に育ち、学生時代は大好きなテニスに明け暮れておりました🎾✨
2008年 成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科 入学
大学在学中に姉の結婚式に参列したことが私のウエディングプランナー人生のきっかけとなりました✨

姉の結婚式は感謝と祝福と綺麗な涙で溢れており、結婚式というこんなにも素敵な人生の大イベントを創り上げることが仕事としてできるのかと、心から感動、というか驚きでした。
当時、就活が始まったらメーカーや商社へ進む予定でしたが、これをきっかけに私はウエディングプランナーになることを決め、就活もウエディング業界1本で進むことに決めました。

そして就活中、様々なウエディング会社の選考に進む中、ある会社の役員面接にて元フリープランナーという女性に出会い、色んな話を聞かせていただきました。

それは昔、新婦のおばあちゃんが孫(新婦)の結婚式に病院を出て列席することは難しく、その際の新婦とおばあちゃんの諦めた気持ちをこのプランナーは諦めたくなかったため、病院のロビーを挙式会場に変身させて感動的な結婚式を創ったとのことでした。この話を聞き、私は目から鱗でした。そんな結婚式を当然見たこともないし、想像するのも難しい。でもとっても素敵で、新郎新婦に寄り添って本当に求めている結婚式を創っていることに心から感動しました。

私はこの話を聞いた瞬間に、将来は固定の結婚式場に属さないフリーのウエディングプランナーになるということを決めました。夢が上書きされたのです。

そして私はこの元フリーウエディングプランナーが居る会社に入社することを決め、2012年大学を卒業しました。

新卒で入社したこの会社は株式会社TSSAという、今は無き会社です。
就活の時には運営していた大崎にあるレストランの店舗にて働く気満々だったのですが、入社する際には大崎店は閉店しており地方の店舗のみの選択肢となりました。私が配属されたのは富山県富山市にある1日1組完全貸切の素敵なゲストハウス。


ウエディングプランナーになれたということにワクワクしていた私は勤務地がどこであろうが一切関係なく、なるべく早く知識やスキルを習得しようと意気込んでおりました。

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そして店舗に出社してみると、店舗に居たのは支配人が1人と、シェフが1人。以上です。そこに同期の女の子が1人と私で計4名の社員が所属する結婚式場でした。

お察しの通り人員不足です。笑
しっかりと研修をしている時間もありません。私は入社した2週間後にウエディングプランナーとして打合せデビューをしました。分からないことだらけで、打合せのどの内容をメモすれば良いのかも分からず、打合せ後の処理に1日かかりました。そうです、打合せ後の事務処理の方法は試行錯誤しながら体で覚えていきました。

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そして迎える結婚式当日、この結婚式場での結婚式は大変ですが素晴らしかったです。1日1組限定貸切ということもあり、新郎新婦のやりたいことを叶えるために全員が必死になれるのです。

例えば、
庭師の新郎様とナチュラルテイストがお好みの新婦様の結婚式では前日に会場へ植栽をたくさん搬入し、結婚式場をジャングルのようにしたり、 

写真が共通の趣味である新郎新婦様は会場の壁全面に写真を敷き詰め美術館のように装飾したり、

バイクでツーリングに行く新郎新婦の結婚式では結婚式場内にバイクを飾ったり

会場装花を中に吊るし無重力空間のような結婚式も行いました。

また、結婚式以外でも、会場にて結婚式を挙げていただいた新郎新婦様が一同に集まれるイベントを毎月行い、そのイベントでの進行やゲーム内容も企画しておりました。

大変ながらも楽しんでおりましたが、入社して半年後、上司が退職することにより同期もシェフも退職。店舗に私1人となり入社半年にして店舗支配人となりました。

この逃げられない環境を選んだ私は謎のパワーが発揮して、今まで店舗で見てきた数字よりもはるかに良い営業成績を叩き出しました。しかし、会社全体で見た時にはとても厳しい状況です。人件費やお給料が払われなくなり、契約している食材発注への未納も繰り返され、やがて会社が潰れることが分かりました。

私の夢はフリーのウエディングプランナー。

富山の結婚式場では1ヶ月の内休みは2日くらいだし、店舗に必要な全てのことを私がやっていた(プランナー業務他、コーヒーマシーンの洗浄依頼・手洗い石鹸の発注・イベント企画・派遣スタッフ手配・ドリンク発注・総務経理・外壁のペンキと高圧洗浄による掃除・式場内電球の取り替え・雪の除雪・営業回り等々・・・)ので、たくさん経験値は積ませていただいたものの、肝心なウエディングプランナーとしての知識・スキルに正直あまり自信がない状態です。

そこで、私のウエディングプランナー人生のきっかけになった結婚式場の株式会社アニヴェルセルへ2013年転職・入社を決めました。

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転職はうまく進み、配属先はアニヴェルセルみなとみらい横浜店。
挙式会場が3つ、披露宴会場が7会場、1日最大婚礼組数15組という、日本一大きな結婚式場です。
立ち上げスタッフとして採用された私の主な仕事はブライダルフェアにお越しいただいた新郎新婦様へ式場完成予定のご案内と契約を決める営業の部署に配属されました。
ここでは前職に培った根性と営業力で日本全国のトップ営業マンとなりました。自社ブランドのブライダルジュエリーも売り上げ本数全国トップ。結婚式キャンセルになった際の保険である結婚式総合保険の契約数も全国トップでした。この3冠を勝ち取り、私がアニヴェルセルでできることと経験することは完了しました。

ちょうどその時日本のウエディング業界の実態に触れ、
日本では入籍するカップルの半分が結婚式を挙げず、その原因の7割が予算ネックであるということを学びました。

私はここで大きな違和感に気付きます。

結婚式に本当に必要な金額と新郎新婦への提示金額には大きな差があることを知っていたからです。初期見積もりから最終見積もりへ跳ね上がり予算に悩む新郎新婦の様子を見つつ、提示金額には広告費・人件費・建物の維持費・会社の利益が乗ることで適正金額ではなくなってしまっていることも学んで来ました。全国トップを目指してなんとなく目を向けて来なかった私の中の違和感がとても大きく現れてきて、私がフリーのウエディングプランナーになるのは今だと確信しました。

結婚式は本当に素敵なものだからこそ、結婚式を予算で諦めてしまうかカップルをなくしたい。
もっと新郎新婦様に寄り添って、おふたりらしくて楽しい結婚式を届けたい。

この想いを強く持ち、2016年に退職。
当時の私の教え子も同じタイミングで退職したので、一緒に卒業旅行へ行こうということでハワイへ22日間のショートステイをしに行きました。

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そのハワイ滞在中に私の知り合いの1本の連絡により、私のフリーウエディングプランナーとしての活動のスタートが決まりました。


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次回は私がフリーウエディングプランナーとしてスタートしていった様子を投稿させていただきます🎵

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会社HP
https://prismwedding.com/

Instagram
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