どんな人生を歩んで、なぜ農家になったのか、聞いてみた その3
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どんな人生を歩んで、なぜ農家になったのか、聞いてみた その3

私達が運営する『東北農家fan&fundクラブ プリサポ』は、掲載されている農家さんを100円~支援出来る、サイトである。

『東北農家fan&fundクラブ プリサポ』(https://pri-sapo.com)

そのサイトに掲載されている農家さんは、どのような人生を歩んで、現在まで至ったのか、農家さんを取材をして、記事として掲載している。

noteでは、掲載されている農家さんを紹介していきたい。

楽しい事も、しんどい事も、面白い!シングルマザー農家は、『気持ち』で果実を実らせる!

【りんご・ネクタリン農家 梅内道子】

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絶対にやらないと決めた農業

「高校を卒業したら、絶対にこの町から出ると決めていました!東京で生活をして、農家の娘だけど、農業は絶対にやらないと思っていて。今の姿が信じられません!(笑)」

梅内さんは笑いながら、自分自身が信じられないという、強い口調で話してくれた。

果樹園にいるときの姿からは、想像もつかない言葉であったが、当時の梅内さんは、相当な強い想いを持っていたそうで、梅内さんのご両親は農家を営んでいたが、若い頃は、農業を仕事にすることを微塵も考えていなかったのだ。

地元を卒業後、迷いもなく東京へ就職。

東京での生活、仕事にも慣れ始めた22歳の時に、結婚を決める。

「結婚した相手が転勤族で、1年間に1回は引っ越しをするペースで、とても大変でした!」

結婚した相手の都合で、福島、宮城、茨城、栃木など、住む地域を転々とする生活となった。

「最初はその生活に戸惑っていましたが、だんだんと慣れていきました。」

「むしろ、旅行などでは得られない、その土地の情報や食べ物を知る事ができ、だんだんと引っ越すことに辛さを感じなくなってきました!引っ越しのコツも掴んだし(笑)」

しかし、引っ越しをするたびに、梅内さんの仕事も転々とすることとなる。

「引っ越し先での知り合いなんて、ほとんどいなかった。だからみんなが『初めまして』だったの。でもそんな時に感じたことがあって、『話しかけやすい人』ってどこにでもいて、そんな人がいるとすごく助かった。」

「よそ者の私からすると、すごく頼もしくて、親しみを感じたの。私も『話しかけやすい人』になろうと、それから思いました」

今の梅内さんは、確実に『話しかけやすい人』のオーラに包まれている。

東京で出産~子供とオムツを抱えて帰郷~実家の家事

転勤を繰り返しながら結婚生活を送り、東京に住んでいた28歳の時に、長男を出産する。

しかし、結婚生活は上手くいかず、梅内さんが29歳の時、2歳を迎えようとしていた長男と、オムツだけを抱えて、南部町の実家に帰ることとなる。

「子供を連れて実家に帰ったその年、これからどうしようかと、色々考えて時期に、実家が火事になったんですよ!最初は家の隣の小屋が燃えていて、その火が家に燃え移ってしまって。。。。」

騒ぎの中、消防団や近所の方々が消火活動をするも、燃え移ってしまった家は、全焼してしまう。

「その時は、どうすることも出来なくて、子供を抱きながら、ただ見ているしかなかったですね、明日からどうなるんだろうと、虚無感しかなかったですね」

次の日から、町営団地に住むようになり、赤十字や近所の手助けもあり、なんとか生活できるようになったという。

「服も通帳も全てが燃えてしまったので、持ち物は着ている服しかなかった、こんな時に限ってダサい服を着ていて、なんでこんなの着ているんだ!と自分に腹が立ちました(笑)」

「何もなかったけど、近所の人達が生活品や服とか、色々持って来てくれて、すごく助かりましたね」

半年後には、親戚の大工さんに家を建ててもらい、今までの生活を取り戻した。

この実家の火事がきっかけで、両親の農家を手伝い始める。

大人になってから気付いた風景

「農業ってただの農作業ではなく、技術職なんだと気付いた。簡単にはいかないんだと改めておもいましたね。あと、自分が住んでいる町が、こんなにフルーツをアピールしていたなんて、農業を手伝うようになってから気付いた(笑)」

両親がやっていた農業に対しても、南部町が農業に対して行っていた様々な取り組みも、今まで見えていなかったことが、大人になってから見えてきたという。

「でも一番に感じたことは、農家だと子供との時間がしっかり取れんだと思った事。会社勤めでも、パートでも拘束される時間があって、子供との時間が取れないのが当たり前だとおもっていたけれど、農家は自分で時間を作れんだと分かって。。。子供の行事には何があっても参加してますよ!」

ここにいてよかったよ、今すごく楽しい

「ここにいてよかったよ、今すごく楽しい!」

息子さんから言われた一言。

梅内さんは、母親の顔を覗かせながら話してくれた。

「息子から、こう言われたんですよ!凄く嬉しかったですね、実家に帰ってきて、農家になって良かったって、本当に思いましたね!」

「自分がポジティブでいて、自分が笑っていないと、子供は楽しくないと思うから」

子供を抱えて、1人南部町に帰って来た当時の風景が思い出される。

それまでの苦しみや、悲しみが、全てを帳消しにしてくれるような息子さんからの言葉。

その言葉をずっと大切にしている梅内さんは、子供に対する愛情と、母親としての本当の優しさを持ち合わせているのだと、深く感じた。

【面白きなき世を面白く、すみなすものは心なりけり】

「今までいろんな人達と関わるようになって、この句の意味を自分にきちんと落とし込み、大事にするようになりました」

梅内さんにとって人生の句である。

高杉晋作が詠んだ名言だ。正確に言うと、上の句は高杉晋作が書き残し、下の句は高杉晋作を匿っていた福岡の勤王女流歌人・野村望東尼が付け加えた歌とされています。

「世の中が面白くないのは、その人の心が決めること、要はその人次第ですよね」

梅内さんの口から出るこの言葉は、説得力を帯びて伝わってきた。

「今は、その場所、その時間を楽しみたいと思っていて、農業を楽しみたい、子供と楽しみたい、地域を楽しみたいって感じです。逆に不憫な事も楽しみたいですね(笑)」

『南部の達者村』や『八戸サバ嬢』など地域貢献にも積極的に取り組み、YouTubeの『食べモリチャンネル』にも出演している。

フルーツを育て、子供を育て、地域を育てる。

今までの苦悩と経験を糧にし、農業と子供と地域とを、自分自身楽しみながら、関わる全ての人達を楽しませようとする梅内さんは、『話しかけやすい人』であった。

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