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本当の客観視は出来ない

うーん…

こ。

どうも
はる氏です🐹

たまには
こんな始まりも
別にいいでしょう?

今日はですね
本当はコレを
タイトルにしたかったけど
長いからタイトルには
しなかったシリーズ!

なので
結論から書くと
【いくら客観視をしようとしても
その「客観」自体、あくまで
本人の「主観」に基づくので
周囲の評価はわからない説】

ですね。

昨日、友人(A君とする)に
晩めしに付き合ってもらい
結局、晩めしには
ありつけなかったんですが
車を出してもらってる手前
じゃ、さいなら
というわけにもいかず
色々と討論をしてまして。

A君は
哲学者的な側面があって
ぼくも
そういう面はあるので
よく大したことない話を
ああでもない
こうでもない

長時間に渡って
するんですけど

昨日の話は
「はる氏、気を付けた方がいいで。」
というもので

賛否両論あろうかと
思いますが

内容はというと
具体例を挙げますと

ぼくが仕事で
商品をお届けしたとき
お母さん
お子さん
(小学校低学年ぐらい?)
と、出て来られて

商品はお母さんに渡し
現金払いだったのですが
「1万円でも、かまへん?」
とのことで
「大丈夫ですよ」
と、返し

そのお金は
お子さんが持っていて
ぼくに
「はい」

渡してくれました。

ぼくは経験上
過去
児童福祉施設で働いてたり
ウーバーイーツでも
お子さんと接することが
ありますが

小学校低学年ぐらいまでの
お子さんだと
お金を払ってお釣りを貰う
だとか
商品を受け取る
だとか

そういうことが
いわば
現代版おままごとみたいな感覚で
すごく楽しそうに
してくれるんです。

なので
おままごとに付き合って
「じゃあ1万円お預かりしますね」
で、電卓を見せて
「6430円お返ししますね」
で、お札を6枚渡して
「6枚あるかな?数えてみてね」
で、
「うん、あるー」
とか
「5枚しかない」
とか
言ってきます。

いずれにせよ
「もう1回、数えてみようかー」
という風に
小銭に関しても進めていって
「じゃあ、お母さんにあげてね」
と言って
見届けてから
「ありがとうございました」
と、敬礼のポーズとかして
次に向かうんです。

そういうようなことに対して

他人がどう見るか

という面で
「気を付けた方が良い」
ということだったんですが

A君の意見としては
親が見てる前であっても
お金に関して
捉えようによって
トラブルになりかねない

ということで。

もちろん
ぼくはそれも考慮に入れて
保護者の見ている前で
という前提で
対応しています。

単に子どもが喜ぶことを
してあげたいという
ぼくなりのサービスのつもり
なんですが

A君曰く
「保護者が見てるとしても」
らしく
特にお釣りは
保護者に直接
渡した方がいいと。

その方が無難では
あると思うんですけど

いやそれ考え出したら
キリがなくない?

というのが
ぼくの感覚なんです。

と、言うのも
そこを警戒するあまり
子どもが一生懸命
お金や商品と向き合う姿勢を
ないがしろにしたら
良くないと
思ってるからなんです。

A君としては
お金を受け取るのはまだいいとして
お釣りは保護者に
ということだったんですが

それは完全に大人の事情で
子どもとしては
なんでお釣りが貰えないのか
ということになると思います。

お金を払ったのに
お釣りが貰えなかったと。

それなら最初から
その親子に
お金は大人からしか貰ったらダメ
っていうことになってる

と、言った方がいいと思うし
何より
保護者が子どもにお金を持たせて
ぼくに渡すよう言い
商品やお釣りを渡す
その一部始終を
容認していなければ
そういう状況にはならないだろう
ぼくのどこに悪が有る?

というのが
ぼくの感覚です。

そこで、前述した

他人がどう見るか

ということに
繋がるわけですが

例え保護者の見ている前としてと
そこで何かしらの金銭トラブルが
有った場合
世間的には
はる氏が悪くなるぞ

というような
主旨の注意喚起だったんです。

例えばぼくが
お子さんとの金銭のやり取りを
拒否したとしても
金銭トラブルと比較して
大問題にはならないだろう
と。

じゃあ
ぼくの疑問は

何歳からならいいのか

ということになるんです。

中学生とかになると
場合によっては
自分のスマホから注文して
自分で現金を払う子もいます。

中学生は良いなら
小学校6年生は?
小学校5年生は?
小学校4年生は?

なっていって

キリがなくないっすか?
(・Д・)


なるんです。

とはいえコレは
完全に我を通すんだオレは。

ということではなく
ぼくの中にある
世間的認識としては

保護者が容認したなら
それに応じたことは
容認される

ということです。

もちろん
お釣りを間違えたらダメですよ。笑

いわゆる児童との
金銭のやり取りで
ということです。

長くなりましたが

他人がどう見るかは
わからない

ということで

そのわからないことに
振り回されるのは
自分らしさを損なう。

ということなんです。

ぼくは
特にそういう意味での
ケースバイケースの
立ち振る舞いは
頭がパンクするほど
フラストレーションを
受けるので

要は自分の感覚が
多数派か
少数派か
という議論なんですが

それもわかりませんし
仮に、少数派だとして
じゃあ多数派の感覚が
わかるのか?

ということなんです。

I.d.k.
(・Д・)

そして
自分の感覚の多くが
少数派だと
自覚したら
ずっと自分じゃない自分で
いないといけないのか
という考えになります。

今回は
わかりやすくお金の話を
例に出しましたが
それ以外にも
人の価値観は
多種多様です

その

コレが多数派だろう

という客観性でさえ

本人の主観に基いたものでしか

ない

だから
自分が正義だと思うことを
やればいいと思います

軸は
自分の中心に
置かないと

正解だと思うところに
至ることさえ
できなくなり

ただフラストレーションを
抱えるだけになる

まあ

もっと楽に生きようぜ
(*゚∀゚*)

ってことで
はる氏でした🐹

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