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『Chatter「頭の中のひとりごと」』

「苦痛を感じているときに内省を実行しても有害無益である」

著者:イーサン・クロス
発行所:東洋経済新報社
発行日:2022/11/18

Chatter(チャッター)とは「頭の中のひとりごと」のことで、著者はそれを「内なる批判者」と呼んでいます。

多くの場合、内なる声は、痛みを引き起こすにもかかわらず価値があるのではなく、痛みを引き起こすからこそ価値があるのだ。

『Chatter』

内なる声の正体とは何か、
痛みを引き起こす内なる声とどのように付き合っていけば良いのか、
また、内なる声に支配されないために日々できることは何かを読み解いていきます。

内なる声の負の連鎖

私たちの内なる声は、子供の頃は外側から内側に入ることによって自分の中に住みつくが、のちに内側から外側へ向けて私たちが語ることで、周囲の人びとの内なる声に影響を与えるのだ。

『Chatter』

私たちは幼少期の経験と周囲の大人の影響からビリーフを生み出し、思春期でそれを確かめながら確立していきます。
社会に出てからはこのビリーフに従って生きていきます。

子どもに対する親の存在は絶対です。
親に愛される、親を怒らせないための行動は、子どもにとっての生存戦略です。
こうすれば愛される、怒られないという親からのフィードバックの一つ一つがビリーフとして染み付いていきます。

そのビリーフが役に立っている間は問題ありませんが、不要になってもビリーフは残り続け、私たちの生活に様々な問題を引き起こします。

私たちが日々内なる声として聞いているものは、このビリーフに強く影響を受けています。
自分にとって不要なビリーフを持ち続けていると、周囲に対する影響も良いものとは言えなくなるでしょう。
それが自分の子どもに対してであれば負の連鎖でしか無いかもしれません。

内なる声に対処する距離

では、内なる声にはどのように対応したら良いのでしょうか。

距離は問題を解決しないが、私たちが問題を解決できる可能性を高める。

『Chatter』

自分にも周囲にも悪影響を与えるような内なる声を鎮めるためには「距離を取る」ことが解決の可能性を高めると著者は言います。

心理学NLPでは、対峙する問題を客観視するためにディソシエイションという状態を作ります。
これは自分の身体をその場に置いたまま、自分の身体から離れるイメージをします。
実際に数歩離れて、その場に置いた自分自身を観察します。

著者は瞑想のように思考が漂うままに任せるのではなく、郷里を置いた状態から積極的に関わることが必要だと言っています。
また、その時に自分の名前や自分自身のことを彼と呼ぶのが良いと。

数歩離れた場所から、自分自身を見つめて「(自分の名前)さんはどうして○○してしまったのだろう?」と問いながら観察をしてみましょう。

自分を客観的に観ることは非常に効果があります。

内部の視点をとると思考は自分を取り巻く環境に制限される。自分が知らないものは知りようがないのだから、潜在的な障害に関する予測が不正確になりやすい。一方、外部の視点をとれば、起こりうる事態についてより広いサンプルが手に入るため正確さが増し、障害を予見して相応の準備ができる。

『Chatter』

自分で自分を客観手視するだけでも効果的ですが、第三者の視点を得ることはより効果的です。
ここにもコーチの存在意義があると感じました。

掃除が頭の中の秩序をもたらす

問題が起こった時に対処することも必要ですが、そもそも問題が起こらないよう予防することはできないのでしょうか。

真のコントロール感を持つためには、自らの意志で結果に影響を及ぼすことができると信じるだけでなく、周囲の世界が秩序ある場所で、そこでは自分のあらゆる行為が意図どおりの効果を生むと信じなくてはいけない。世界に秩序が見えると安心できるのは、人生がより生きやすく、予測可能に感じられるからだ。

『Chatter』

著者は自分が始められてコントロールできることを行うことで、頭の中にも秩序をもたらせられると言います。
しかも、内なる声の原因となっていることとは関係がなくても良いと言っています。

そうすると、最も簡単なことは「掃除」でしょう。
昔から成功者は掃除をすると言われます。
自分を律するためにしているのかと思っていましたが、頭の中の秩序を得るためにしていたのですね。

多くの儀式が秩序感覚ももたらしてくれるのは、私たちが自らコントロールできる行為を行なうからだ。

『Chatter』

たとえば、イチローがバッターボックスで行うパフォーマンスですね。
ピッチャーがどんな球を投げるかはコントロールできません。
しかし、自分が完璧にコントロールできることを行うことで、不確定な世界に予測可能な場を創るのです。


VUCAと言われる予測困難な時代では、自分の内なる批判者に打ち負かされてしまうことも多いかもしれません。
ただ、自分を客観視したり、掃除をして秩序を自分で作ったりしながら、ビリーフに支配されない本当の自分を生きることはできます。

そして、ひとりでは難しいと感じれば、カウンセラーやコーチなど第三者を頼ってみるのが良いでしょう。

セラピストが自分の時間の対価として料金を要求し、友人が要求しない理由の一つはここにある。こうした会話のバランスが偏ると、社会的つながりはすり切れてしまう。

『Chatter』

著者も家族や友人では聞いてあげられる愚痴の容量には限界があると言っています。
聴くことのプロフェッショナルということ以外にも、第三者としての役割を持っていますので。


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