「十年に一度、不死者は語る」第1話

・あらすじ
 漂流していた不死者のルークは十年に一度だけ世界に現れる島に流れ着く。ルークはその島でクロエという童女に出会い、彼女に自らの冒険譚を話す。そして十年ごとに島へやってくることをクロエと約束する。ルークは島に来るたび、成長するクロエへ冒険譚を話した。その中でこれまでの文明が終末竜と呼ばれる竜に幾度となく滅ぼされてきたことが明らかになる。やがて世界に終末竜が生まれる。ルークは世界を終わらせないために竜に立ち向かう。
 ※本作は一話完結の連作短編で、上述のあらすじは話の縦軸だけを記しています。話の合間に“幕間”として島の話が挿入される構成となっています。

 プロローグ

 ルークは海の上を必死に泳いでいた。水を吸った衣服は重く、思うように進まない。こんな風に水の中でもがくのはどれくらいぶりだろうか。
「まずいよ。追いつかれちゃう」
 ルークの頭に乗っている藁人形がそう言った。彼女はルークの友人で名前はミミという。目や口や鼻はないが、四肢はあり、五感もある。
 ルークは手で水をかくのをやめ、後方に目を向ける。凶鯨きょうげいと呼ばれる巨大なクジラがルークめがけてぐんぐんと近づいてくる。
 このままだと食べられてしまう。ルークは再び泳ぎ始める。
「魔法はまだ使えない?」
 ミミの問いに答えようとすると、海水が口に入ってきた。ルークは「うん」とだけ短く答える。
「だから一度引き返そうって言ったのに」
「申し訳ない」
 少し前までルークは空を飛んでいたが、途中で魔力が尽き、海上に投げ出されてしまった。目的地まで十分飛んでいける距離だったが、途中で難破船に遭遇し、魔力を分け与えたことで魔力が枯渇してしまったのだ。
「ルークが思うより世界はずっと広いんだよ」
 ミミの言う通りだ。どれだけの歳月を生きても、全てを知ることはできない。だからこそ謙虚であることが自らの身を救うのだ。少し傲慢だったかもしれない。
「もうすぐそこまで来てるよ」
 ミミの言葉を聞き、ルークは再び振り返る。凶鯨との距離は近い。黒々とした皮膚に寄生するフジツボの姿をはっきりと視認できるほどに。
「もう駄目だ」
 そう言ってルークは泳ぐのをやめる。
「ルークはクジラに食べられたことはある?」
「ないよ。でもドラゴンにならある」
「どうだった?」
「服は溶けるし、臭いし最悪だよ」
 そんな会話をしている間にも凶鯨は力強い泳ぎでルークに近づいてくる。なけなしの魔力を使って応戦すべきか。そう思ったが後の展開を考え、温存することに決めた。
 ――ここはおとなしく食べられよう
 クジラの胃の中で自分の身とミミを守る方が重要だ。魔力はその時のために取っておこう。
 凶鯨はルークの目の前までくると大口を開けた。
 ルークが目を閉じ、運命に身を任せたその時、背後で轟音がした。
「え、なに?」
 ミミが悲鳴に近い声をあげる。
 ルークは振り返り、自分の目を疑った。
 先ほどまでは周囲に海しか広がっていなかった。しかし今は眼前に巨大な島が浮かんでいる。煙のように輪郭が定まらない島は、間もなく、確然とした存在感を海上に現した。
「島だ……」
 凶鯨も驚いたのだろう。ルークを喰らうことなく、身をひるがえし、海の中に消えた。
 なぜ島が?
 ルークは目と鼻の先にある島まで泳ぐ。すぐに足がつき、歩いて砂浜に上がる。ポンチョから海水が滴り落ち、ブーツはちゃぷちゃぷと音を立てる。
砂浜の先は森林になっていて、樹木に茂る草葉が風に吹かれて揺れていた。
 濡れた髪をかきあげ、周囲を見回すと林の中に伸びる小道から女性が現れた。彼女は長い黒髪をなびかせ、緑色のローブを身にまとっている。年齢は二十代から三十代といったところだろう。
 女性はルークを見て目を丸くした。
「あれ、あなた、どこから来たの?」
「海の方から」
「う、海? どうしてまた――いや、そんなことよりずぶ濡れじゃない。風邪ひいちゃうよ。ちょっと|家≪うち≫に寄ってきな」
 ルークは風邪をひかない体質だ。だからずぶ濡れでも問題ない。それよりもこの島のことが気になった。どうして突然、海上に現れたのか。あるいはルークの見間違いだったのか。
「いや、大丈夫です。それよりも――」
「いや、それよりもじゃなくて」
 女性はルークの言葉を遮り、手招きをする。
「ついてきて」
「ああ、はい」
 ルークは戸惑いつつも頷くことしかできなかった。
 女性の先導で木々を抜けると集落が現れた。家々が並び、人々が行きかっている。彼らの多くは空を見上げていて、歓喜ともいえる楽しげな声を上げていた。
 上に何かあるのだろうか。そう思ってルークは彼らの視線を目で追ったが、そこには青い空が広がっているだけだった。首をひねりつつ、視線を落とし、周囲の様子を確認する。
 遠くに円筒状の塔が見えた。その塔からは左右に壁が伸びている。あの壁は何を隔てているのだろうか。それを訊ねようとルークが口を開きかけると、またしても女性に機先を制される。
「あれがわたしの家」
 女性はそう言って、赤い屋根の木造家屋を指した。

 家の中は暖かかった。暖炉の中で火が躍っている。ルークは肘掛椅子に座って、薪がはぜる音に耳を傾けていた。
 部屋は壁も床も板張りだ。二階につながる階段があり、炊事場やダイニングもある。
 ルークは今、女性が用意してくれた青いローブを身にまとっていた。一方で藁人形のミミは近くにある円卓の上にちょこんと座っている。水を吸った藁が、卓上に小さな水たまりを作っていた。
「助かったね」
 言いながらミミは犬のようにぶるぶると震え、水しぶきを飛ばす。
「うん。助かった」
「でも突然、島が現れなかった? わたしの見間違い?」
「いや、ぼくにもそう見えた」
「なんだったんだろうね」
「さあ」
「さっきの人に聞けばよかったね」
 ミミがそう言うと二階につながる階段から女性が現れた。彼女はルークの私物である革の手袋を持っている。
 ルークは椅子から腰を浮かす。
「座ってていいよ」
 女性はそう言うと、手袋をかかげた。
「この手袋、穴が開いてるけど、処分しちゃう?」
「いえ、大丈夫です」
「大切なものなの?」
 女性は言いながらルークに手袋を渡してきた。
「いや、そういうわけでもないんですけど」
 革手袋はボロボロだ。特に思い入れがあるわけではないが、なんとなく捨てるのも惜しく、修繕しながら使い続けていた。
「ただそろそろ替え時かもしれませんね。四十年近く使っているので」
「え、四十年?」
 女性が訝りの声をあげた。これは自然な反応だ。ルークはどう見ても四十歳以上には見えない。肌質や髪質は十代半ばのそれだ。
「実はぼく、不老不死なんです」
 このことはあまり他人に言うべきではないが、これほど親切にしてくれた相手に嘘をつく気にはなれなかった。
「へえ、不死者。外の世界じゃ不死者は一般的?」
「いえ、そんなことはないです」
 女性はミミに目を向ける。
「それじゃあ人形が喋るのは?」
「これも一般的ではないです」
「なんだ、二人が特殊なだけか。外の世界は奇妙奇天烈なのかと思ったよ」
 ミミが質問を投げかける。
「お姉さんは外の世界を知らないの?」
「うーん。あまり知らないなあ。少しだけ島を出たことはあるけどね。でも十年に一度しか出られないから」
「どうして十年に一度しか出られないの?」
「この島はね、十年に一度しか世界に現れないんだよ」
 ミミは首を傾げた。
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ。十年に一度、三日間だけ世界に姿を現すの。今がちょうどその三日間でね。それ以外は世界と隔絶される。この島――ノアは、世界から隠れて存在してるの」
「あっ、だから何もない海にいきなり現れたんだ」
 ミミは納得したように言うと再び首を傾げた。
「でもなんで島は隠れてるの?」
「わたしもよく知らないんだけどね。外の世界が終わったあとも人類が生き延びるためとか言われてるよ」
 今度はルークが質問を投げかける。
「でもなぜ、十年に一度なんですか? ずっと隠れているわけにはいかないんですか?」
「この島は外の世界から魔力を吸って気候を管理したりしてるから、十年に一度、魔力を吸うためにこっちの世界に来ないといけないの。三日間で魔力を蓄えて、十年間、消える。そういう島なんだよ」
 へえ、とルークが感嘆の声を漏らすと、視界の端で何かが動いた。そちらに目を向けると柱の陰に童女が立っているのが見えた。彼女は女性と同じ綺麗な黒髪をしている。形のいい大きな目がじっとこちらを見ていた。
 女性も童女に気付き、笑顔を浮かべて、手招きをした。
「クロエ、おいで」
 クロエと呼ばれた童女は近づいてくると女性のローブをつかんだ。
「この子はわたしの娘」
 女性は言うとクロエの背をぽんと叩いた。
「ほらクロエ、自己紹介して」
「クロエ。五歳」
 クロエは小さな手を広げて五を示した。
「ぼくはルークで人形はミミ」
 よろしくね、と言葉を口にするミミを見て、クロエは目を丸くする。
「人形が喋った……」
 女性が胸の前で手を合わせる。
「そろそろ夕飯を作らないと。ルーク、ご飯ができるまで、クロエの面倒を見ててよ」
「え、はい、わかりました」
「それじゃあクロエ。お母さんはご飯作るから、このお兄ちゃんに遊んでもらいな」
 クロエは聞き分け良くうなずくと、ルークの向かいにある肘掛椅子に座った。そんなクロエにルークは訊ねる。
「なにして遊ぼうか」
「お話」
「お話?」
「ルーク、外から来たんでしょ? 外のお話、してよ」
「お話かあ。そうだなあ」
 ルークは自分がしてきた冒険を思い返す。不死者のルークには話せる冒険が山ほどあった。しかしありすぎて、何を話すべきか決められない。
「ルークって旅人?」
 五歳児の口から放たれる旅人という言葉の響きには妙なおかしみがあった。ルークは微笑し、頷く。
「うん。旅人だよ」
「どうして旅をしているの?」
 ミミが卓上からクロエの膝の上に飛び移った。
「それ、わたしも聞いてみたいかも」
「ミミにもちゃんと話したことなかったっけ。それじゃあぼくが旅をする理由を話そうか」

 1話 不死者が旅をする理由

 ルークは竜の背に乗り、どこまでも続く世界を見下ろしていた。果てしない海の上を竜は飛翔する。
「空の旅はどう?」
 飛行帽の耳当てからそんな声が聞こえてきた。ルークの前に座る女性の声だ。手綱を握る彼女は竜使いで、ルークはその客だ。二人はベルトから伸びる命綱で結ばれている。
 気持ちがいいです、とルークは答えた。空は晴れ渡っていて、空気は澄んでいる。周囲に遮るものはなく、煩わしいものは何もない。
「ルークはどうして旅をしているの?」
 唐突に問われ、返答に窮した。
「うーん、なんででしょう?」
 ルークが言うと、竜使いは噴出す。
「理由もなく、旅をしているわけ?」
 強いていうのであれば、不要なトラブルを避けるためといったところだろうか。ルークのような不死者は、不死者狩りを呼び寄せてしまうなど、何かとトラブルに見舞われることが多い。ひとところにとどまれば誰かに迷惑をかけてしまうかもしれない。とはいえ、この理由だけでは不十分な気がした。迷惑をかけずに定住する方法がないわけではない。知り合いの王様に安息の地を用意してもらうこともできるし、人里離れた山奥で暮らすという手もある。
 ではなぜ旅をするのか。
 自問してみるが、答えは出なかった。
「目的地に到着するまでに理由を考えてみます」
「これから考えるの? 変なの」
 竜使いは声をあげて笑った。

 魔法を使えば空を飛べるが、遠距離を行くなら竜を利用した方がいい。竜は長時間飛ぶことができるし速度も出る。とはいえ大陸間の移動ともなると、タフな竜でも休息は必要だ。
 竜は中継地の島へ着陸した。
 ルークは装具を外し、竜から降りる。竜使いは飛行帽を脱ぐと、首を振り、肩まで伸びる黒髪を揺らした。小麦色の肌と黒目がちの大きな目があらわになる。年齢は二十代前半といったところだ。
 周囲では多くの竜が発着している。ここは竜舎の飛行場だ。竜たちは駕籠竜かごりゅうと呼ばれる品種で、例外なく薄桃色の皮膚をしていた。首は長くがっちりとしていて、翼は大きい。人懐っこく賢いため、はるか昔から人間の移動手段として用いられている。
 竜使いは駕籠竜の頭を撫で、ここまでの飛行をねぎらった。
「それじゃあ、明日の朝にね」
 竜使いが言うと、駕籠竜は空に舞い上がり、山の方へ飛び立った。
「竜はどこへ?」
 ルークは小さくなっていく駕籠竜を見ながら訊ねた。
「狩りにいったんだよ」
「竜を一人にして大丈夫なんですか?」
「どういう意味?」
「密猟者に狙われませんか?」
 駕籠竜のことは詳しくないが、ひどく高価だということは知っている。一頭を売れば、親子三代は不自由なく暮らせるという話だ。
「駕籠竜は強いから大丈夫だよ。わたしみたいな女が運び屋をやれてるのは、何かあっても竜が助けてくれるからだし」
「なるほど」
「まあ、密猟者もいないわけではないみたいだけどね。でも大体が返り討ちにあっておしまい。ライオンや像と違って、竜は人間くらい賢いし、空を飛ぶから。魔法使いなら竜に勝てる人もいるかもしれないけど、そもそも魔法使いは竜を狙ったりしないしね」
 魔法を使えれば、生活に困ることはない。裕福に暮らす手段はいくらでもある。わざわざ命がけで竜を狙う者はいないだろう。
 ルークは周囲を見回し、竜たちをまじまじと眺める。駕籠竜は希少でお目にかかることはそうそうない。こんなにもたくさんの竜を見るのは生まれてはじめてだ。
 そんなルークの様子を察してか、竜使いは微笑した。
「竜が珍しい?」
「ええ。二十年くらい前に遠目で見かけたことがあるだけなので」
 ルークが言うと、竜使いが眉をひそめた。そこで自分の失言に気付く。
「二十年前? とても二十歳を越えているようには見えないけど……」
「若く見られるんです。二十三です」
 竜使いは目を丸くした。
「本当? 信じられない。十二歳と言われた方がまだ信用できるよ」
 それは言い過ぎだろう。ルークが不死者になったのは十五の時だ。
「それより宿はどうしますか?」
 ルークはなんとか話を逸らす。
「ああ。宿なら心配しないで。行きつけの場所があるから。そんなことより本当に二十三? いやあ、信じられない。普段はお客さんのことは詮索しないけど、ルークのことが色々と気になってきたよ。思えばちょっと変だよね」
 ルークは苦笑する。
「変ではないですよ」
「いや、よくよく考えたらおかしいよ。若いのにお金もたくさん持ってるみたいだし」
 前金として銀貨を二枚払ったが、金持ちというわけではない。
「ちょっと後で食事でもしながらルークのことを教えてよ」

 竜使いとルークは町で宿を取り、一階にある食堂で向かい合う。ルークは竜使いからの質問攻めをそれとなく躱す。ルークの生い立ちを話すには、どうしても不死であることに触れなければならない。ただ、このことは、不死者狩りのこともあるし、無闇に話すわけにはいかない。
「全然質問に答えないじゃん」
 竜使いは口を尖らせた。
「本当に取るに足らないつまらない人生なので、話すことがないんです。それよりお姉さんのことを教えてください」
「わたしのこと?」
「お姉さんは将来的に竜舎を作ったりするんですか?」
 竜使いは顔の前で手を振った。
「ないない。そんなことはしないよ。計画的に繁殖させたり、育てたりってすごく大変だから。竜の子にかかりっきりになるし、人もたくさん雇わないといけないし、色々と面倒なんだよ。気ままに一人で運び屋をやってる方が、わたしにはあってる」

 順調かと思われた旅路だったが、唐突に悪天候に見舞われた。雲が現れ、雨が降り出す。竜使いは原生林の海に竜を着陸させた。
「竜は雷に打たれても大丈夫だけど、わたしたちは死んじゃうから」
 竜使いの口調は軽い。こういった事態にも慣れているのだろう。竜を降りて、森を歩いていると、岩場に洞穴を見つけた。そのころには雨は激しく降り出していて、前方に見える景色が煙るほどだった。
 洞窟に入ると、竜使いは火打石を使って、手早く火を起こす。それからルークと自分の着替えを用意する。積んでいた大荷物にはあらゆるものが詰め込まれているようだった。
 各々が着替えを済ませると、二人は焚火を囲んで座った。駕籠竜は洞窟の外で丸まっている。竜にとってこの洞窟は少し窮屈だったのだ。
 雨に打たれる駕籠竜を眺めていると、竜使いがルークの心情を察したのか、口を開いた。
「竜は雨が気持ちいいから、心配しなくても大丈夫だよ」
 雨が止む気配はないまま、空は輝度を下げていった。
「これは、明日まで出発はできないね」
 やがて夜の帳がおりる。
「外は竜が守ってくれるから、眠っても大丈夫だよ」
 ルークは目を閉じる。
 不老不死でも夜は眠る。

 耳をつんざくような咆哮でルークは目覚めた。毛布にくるまっていた竜使いも飛び起きる。
「竜の声だ」
 竜使いはそう言うと、慌てて洞窟の外に飛び出した。雨音はしないが、まだ夜は明けきっておらず、外は薄暗い。
 ルークは竜使いの後に続いて、洞窟を出る。外は微かに霧がたちこめている。その薄靄の中で駕籠竜が大きく翼を広げていた。竜の翼には何かが絡まっている。
 ――あれは、網?
 格子状に結ばれたロープが駕籠竜の体にかかっている。しかしそれは竜の力によって引きちぎられていたのか、網の役割を果たしていない。
 竜の前には男がいた。年齢は若い。十代の中ほどだろう。目の下に大きな傷がある。彼は槍を持ち、尻餅をついていた。
「密猟者だ」
 竜使いの言葉には落ち着いた響きがある。この状況を前にしても、焦った様子はない。ただ男の顔を見れば、それもうなずける。彼の顔には恐怖が浮かんでいて、どう見ても竜の方が優勢だ。彼は密猟に失敗したのだ。
「助けないんですか? 殺されちゃいますよ」
 ルークは竜使いに言った。
「殺されればいいんじゃない? 自業自得でしょ」
 怒れる駕籠竜は、大きく口を開けた。嚙み殺すのだろう。ルークは地面を蹴り、一飛びで竜の前に立つと、男を突き飛ばす。
 竜はルークの首元に噛み付いた。嚙み切る寸前でルークだと悟ったのか、慌てたように口を離した。噛み千切られることはなかったが、激しく血が流れる。
「ルーク!」
 竜使いはそう叫んで、ルークの元へ駆け寄ってきた。
「大変! どうしよう」
「大丈夫、大丈夫」
 ルークは笑ってみせる。
「大丈夫じゃないよ。傷を見せて」
 ルークが傷口を見せると、竜使いは目を見開いた。
「傷がふさがっていく……?」
「実はぼく、不死者なんです。だから大丈夫」
「不死者……」
 竜使いが呆然としている傍らで、密猟者が立ち上がり、逃げ出そうとした。しかし駕籠竜がそれを阻止する。前足を使って密猟者を地面に押さえつけ、大口を開けた。
「待って!」
 竜使いの言葉で、駕籠竜の動きが止まる。
「ルーク、どうしてさっきあの男をかばったの?」
「なんとなくです」
「なんとなく?」
「彼の服を見てみてください」
 密猟者の服はつぎはぎだらけでボロボロだ。麻と思われる布は薄く、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。袖から見える腕は木の枝のように細い。
「多分、あの人も竜に勝てるとは思ってなかったんじゃないかな。装備もまともじゃないですし。でも命を賭けてでもやるしかなかった。きっとそういう状況だったんだと思います。やりたくなくても。だからまだ誰も傷つけられてない今、この事態を終わらせようと思いまして」
「でも彼はこれまでも誰かを傷つけてきたかもしれないし、これから先、誰かを傷つけるかもしれない」
「それはそうですね」
 竜使いは不満そうに眉を動かしたが、それ以上は何も言わず、竜の方を見た。
「離してあげて」
 竜は前足を上げ、密猟者を解放する。密猟者は立ち上がり、鋭い目つきでルーク達に視線を配った。
 ルークは何も言わず、密猟者の前に銀貨を一枚放る。
 密猟者は警戒しながらも、それを拾った。それから訝るような目でルークを一瞥すると、何も言わず、背を見せて走り出した。
「ルークのことがさっぱりわからない」
 竜使いは呆れたように肩をすくめた。

 目的地に到着し、ルークは竜使いに礼を言った。
「ルークは自分が旅をする理由が何かわかった?」
「ええ、わかりました」
「ルークはどうして旅をしているの?」
 世界の破綻はいつだって苦しんでいる人や悲しんでいる人から生じる。永遠を生きるルークにとって世界の破綻は自らの首をしめることと同義だ。だから――。
「ぼくは目の前にある悲劇や苦しみの萌芽を摘み取るために、旅をしてるんだと思います」
 自分のために。
 世界を終わらせないために。
「全然ぴんとこないなあ」
「所詮、自己満足なので」
「それじゃあ、ルーク。またどこかで会おう」
 竜使いは言うと、竜と共に空に向かって舞い上がった。

 五年後、竜使いはルークの姿を見て、目を丸くした。
「本当に不老不死なんだね。前に会った時と全く変わってない」
 ルークは辺りを見回す。ここは竜の牧場だ。高原にあり、空気が澄んでいる。空には何頭もの駕籠竜が飛んでいた。
「竜舎を作ったんですね。でも作らないと言ってませんでしたか? 性に合わないとか」
 竜使いは薄く笑って肩をすくめた。
「心境の変化があって。それよりルーク、今日はどうしたの?」
「また竜に乗せていただきたくて」
「それなら一頭貸してあげるよ」
「え?」
「もし途中で降りたくなったら、乗り捨てても大丈夫。竜は天敵がいないし、帰巣本能が強いから勝手に帰ってくるしね。まあそれなりの預かり金は貰うけど」
 竜使いはそう言うと、指笛を鳴らした。すると空を飛んでいた一頭の竜がルークたちのもとへ降り立った。
「装具を持ってこないと」
 言いながら竜使いは周囲を見回した。すると飼育員の男が近くを通る。彼は今しがた竜から降りたのか、装具を持って、小屋に戻ろうとしていた。
 竜使いは手をあげ、その飼育員を呼び寄せる。
「あ、ちょっと。それ貸して」
 男はルーク達に気付き、近づいてくる。
 竜使いは飼育員を見ると、思い出したように手を叩いた。
「あ、そうだ。ルークに見せたいものがある」
「見せたいものですか?」
「うん」
 竜使いは頷くと、飼育員を見る。
「ちょっとルークに装具の付け方と竜の乗り方を教えておいてくれる?」
「わかりました」
 竜使いは小走りで小屋の方へ駆けていく。それを見ていると飼育員が声をかけてきた。
「それじゃあルークさん、はじめましょうか」
 飼育員から竜に乗るためのレクチャーを受けていると、ふと彼に既視感を覚えた。どこかで会ったことがあるような……。それを訊ねようと口を開きかけた時、竜使いが戻ってきた。彼女の腕には小さな竜が抱かれている。
「見せたいものっていうのは、この子。最近、産まれたの。ルーク、抱いてあげて」
 ルークはおずおずと竜を抱く。ずっしりとした重さから、生命の大きさを感じた。竜使いは飼育員の肩を叩いた。そこでルークは彼が誰なのかを思い出す。
「産まれてからずっと彼が面倒を見てるんだよ」
 飼育員は照れくさそうに笑って、目の下の傷を掻いた。

 幕間

 ルークが語り終えると、クロエの肩に座るミミが納得したようにうなずいた。
「なるほどね。ところでルークってさ、毎日人に親切にしてるよね? これも世界を終わらせないため?」
「うん、そうだね」
 利他的なようで、その思惑は利己的だ。永遠を生きる不死者は、永遠に社会を保ちたい。ただそれだけの話だ。
「他の話をしてよ」
 クロエが椅子の上で足をぶらぶらさせながら言った。
「他のお話か。そうだなあ」
 ルークが思案していると、ミミが提案する。
「あれなんかいいんじゃない? 人を殺したくなる呪いの話」
「ああ、あれか。そうだね」
 ルークはそう言いつつも、語りはじめる寸前で思い直した。
「やっぱりやめよう」
 クロエは唇を尖らせる。
「なんでよ。話してよ」
「この話は、まだちょっとクロエには早い」
「早いってどういうこと?」
「まだクロエは小さいから、話さないほうがいいってことだよ」
「大丈夫。小さくない」
「他の話にしようよ」
「嫌」
 ルークは苦笑し、頭をかいた。
 どうすればいいだろうか。
 クロエがルークの顔を覗き込んでくる。
「じゃあ、どれくらい大きかったら大丈夫?」
「うーん。クロエが大人だったら、話しても大丈夫かな」
「それならわたしが大人になったら話して」
「ぼくは島の人じゃないからクロエが大人になったときは、この島にいないよ」
「また来ればいいじゃん」
「そうは言っても……」
 世界から隠れている島にそうやすやすと何度も来てもいいのだろうか。
「十年後にまた来ればいいよ」
そう言ったのはクロエではない。調理を終えたクロエの母親だ。彼女はいつの間にか肘掛椅子の近くに立っていた。
「ご飯できたよ」
「よそ者がまた来てもいいんですか?」
 クロエの母親は肩をすくめた。
「まあ、いいんじゃない? 来ちゃいけないルールもないし」
 クロエは目を輝かせる。
「じゃあ約束ね。十年後にさっきの話をしてね」
「わかったよ。十年後ね」


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