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“ヒーリング”に関わる者として

 11月になりましたね。今年2022年も残すところあと2ヶ月。

 「レイキ」を伝授させていただく立場から、改めて「気」や「エネルギー」ということ、“ヒーリング”というものについて自分自身で振り返るきっかけとなったと感じています。

 2020年以降、世の中の常識とされていたことや当たり前のように人々が思っていたことが、そうではなかった、ということが露呈してきているように思います。

 病気になればお医者さんに診てもらう。という考え方が「病気は病院で治してもらうもの」という少し行き過ぎた考え方になってしまっていたところってあると思うのです。

 しかしながら、国や医師が薦めているものを無批判、無条件に受け入れることの恐ろしさというものを感じ始めている人たちも今では多くいることでしょう。

 僕自身は、“スピリチュアル畑”の人間なので、専門的な医学の知識や、政治経済の話に詳しいわけではないけれど、スピリチュアルの話、ヒーリングの話の中でなら、どのような心の在り方で世の中のさまざまな出来事に向き合うと良いのか?という話をすることはできるでしょう。

“病気は病院で(お医者さんに)治してもらう”

という考え方と同じようなものに

“ヒーリングを受ければ、人生が好転する”

というものが、スピリチュアルな業界には、ある。

 こういうものって、『風が吹いたら、桶屋が儲かる』的な印象が前々からあって・・・。確かに、最初と最後だけ見たら、「病院に行って、病気が治った」ように見えるし、「ヒーリングで人生が好転した」ようにも見える。

 そこでまた、こういうふうに表現すると、極端に逆に解釈してしまうところが人間にはあるんです。

「じゃあ、病院に行っても病気は治らないのか?」
「ヒーリングを受けても人生は好転しないのか?」

と・・・。

 世の中には、単純に「AならばB」で終わるものも確かにある。でも、人の健康とか、人生の真理とか、「A」から「B」までの間にたくさんの要素やステップがあるものの方が多いのではないだろうか?

 病院に行って、良い医師に巡り合い、自分自身の生活習慣、食生活、そのほかいろいろなことを見直していった結果、病気そのものが完全に治癒していく。本来、そういう流れなのだと思う。

 一方、薬によって、症状が抑えられたことで、「治った」と思ってしまう、ということもあるだろう。

 最初と最後、外から見えるものだけを見ていては、「A」というスタートから「B」というゴール、結果に至る道筋、そのプロセスは見えてこない。

 「ヒーリング」は英語で記すと“healing” ですね。

 この“heal” の語源は、ギリシャ語のholos と言う言葉で、「全体の(whole)」「完全な姿」という意味を持ちます。また、holosには「聖なるもの(holy)」という意味もあります。

 そういう意味で、ヒーリングは「体を治す」ものではなく、「気持ちを落ち着かせる」ものではなく、身体的な治癒、精神的な治癒というものは、『本来あるべき姿、全体性に基づいた姿、聖なる姿』に立ち返ることができた結果、付随して現れるものだと捉えておいて欲しいのです。

 同じヒーリングを受けて、同じように症状が癒えたり、変化が起きたりする、というものではなく、受け手である方々がそれぞれに、自分自身の段階に応じて、本来の姿である全体性に近づいた分だけ、「結果」としての変化・変容という恩恵が現れるものなのです。

 こういった“プロセス”の部分を、特にスピリチュアルな分野に携わる方々は、ていねいに伝えていく責任を担っていると、僕は感じています。

 霊的な能力や資質や才能は、程度の差はあれ、誰もが持っているものなのですが、特殊能力のように見えてしまうことも多いでしょう。

 実際、それらの“超感覚的認識”(オーストリアの神智学提唱者:ルドルフ・シュタイナーはいわゆる”第六感”をこのように呼んだ)を「特殊能力」として意図的に見せている人がいることも確かであるし、ずば抜けた“超感覚的な認識”は、「霊能力」「超能力」というにふさわしいかもしれない。

 その“プロセス”の部分はとても大切で、この部分を説明できるか、できないか?そのための体験を通した「素材」を持っているか?は重要なのです。

 スピリチュアルな技能を伝達する上で、この「プロセス」の部分があいまいなまま”技能や知識が伝達されたことになっている”ものが、スピリチュアルな分野の中では、実はとても多いのです。

「なぜ、そうなるのですか?」という問いに対して、師から『私はそのように教わったから。』という回答以上のものを受け取ることができなかった。という話もあるのです。

 疑問が出てくる、ということは真摯に学ぼうとするからこそ、であり、物理的な証拠を提示することが困難なスピリチュアルな分野でなくとも、学んだことを実践し、磨き上げていこうとする人ほど、“質の良い質問”を投げかけてくるものです。

 どんな分野であれ、指導する立場、導く立場となった方であれば、上記のことは実感されていることでしょう。

 師となった時から、「学び」の質は変わるし、師事してくれる人たちがいるからこそ、学べることも多い。

 専門家、と呼ばれる人は世の中にたくさんいるが、自分の専門分野、その専門性を磨き上げようとする人は少ないだろう。自分の地位や立場を維持するために、”専門用語”を駆使し、煙に巻こうとしてしまうことだってあるだろう。

 平易な言葉で、わかりやすく”説明”できることは、いわゆる「専門家」が、真に専門家であるかどうか?を見抜く指標だと思う。

 あなたが、師に対して疑問を感じたのであれば、素直に遠慮なく質問してみればいい。そうすることによって、あなたが師事すべき人なのかどうかが明らかになっていくことだろう。

 自分自身に対する戒めとして、思うことを文章にした次第なのです。


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