見出し画像

noteとの関わりを通して今年をふりかえる

ボクの充実した年末の過ごし方

今年の年末はここ10年の中で最ものんびりと過ごしている。

今日は昼まで寝床でごろごろし、昼からamazonプライムで「バックトゥザフューチャー」を生まれて初めて鑑賞し、雨が上がるのを待って出かけた愛犬の散歩から帰った後、包丁5本研いで満足気に豆から挽いたコーヒーを飲み妻の帰りを愛犬と待っている。
これをボクは充実した一日と呼ぶ。

連休に入った昨日は、8月から初めたnoteの振り返りなどして過ごした。
マイページに表示する固定記事も変更した。過去を振り返りながらボクの今の状況や今と未来についての考え方を表現するのにどの記事がシックリくるだろうか。と選ぶのも楽しいと思えた。
これからもときどき変えてみようと思う。

ここからはnoteとの関わりを通して今年をふりかえる記事を書いていきます。

誰かに読んでもらうと言うこと

noteを書き、公開すると言うことは誰かに読んでもらうことを前提に書くということ。
そんなことを考えながら、ほぼ(平均すれば)毎日書き続けたことで、日ごろのヒトとの関わりでも、より整理された言葉で話せるようになってきた。
伝えたいことが伝わらない一因を格段に解消した気がしている。

ボクの「語り」は未熟で、自覚する範疇でも説明が回りくどかったり、抽象的な話であったり、言葉足らずだったり、蛇足が多く主題がつかみにくかったり、思いやりのあるものだとは言えないけど、
話の輪郭程度しか伝わらなくても、誰かのこころに「ah」が生まれますように。と願いながら書いてきた。
どうだろうか。

「僕」の呼吸とサードプレイス

自分自身にとって書くということを「呼吸」に例えている。
気楽に立ち寄れる自然に楽に呼吸ができる場所を探していた。
そんな中、noteはボクの「サードプレイス」になった。
パブリックで話す(自己表現する)のことには違いないけど誰かと話がしたい時に話せる場所(最寄りのBAR)になった。
深夜に立ち寄ることも多いが、開いていた。

思考や感情の外化

また思考や感情の外化の効果についても再認識できた。
整理統合しきれていないようなテーマを語り、言葉(表現)を並べ、様々な感情や一個人の多様な側面に関する情報発信を続けていくことで、統合されたrinをかたちづくっていく作業でもあった。

双方向コミュニケーションは苦手だけど。

「ネット」の双方向コミュニケーションについても考えることができた。
これまで、基本的には避けていた。
3大SNSのアカウントはログ用につくってはいるが発信を積極的にすることはなく「いいね!」とか、コメント、DMを交換するような相互交流はしなかった。
広がることは「煩わしさ」と「恐怖」だった。
コミュニケーションの在り方にこだわる性質が、煩わしさと恐怖感を助長しているのだと思う。
noteを始めた当初はスキ!に気持ちを込めるのが精いっぱいだった。
そんなボクだが、これまで2~3回、noterさんにコメントを書いたり、いただいたコメントに返事を書いたりすることができた。コメントは素直に嬉しい。

下書き樽の中身

昔から外部からの情報・刺激に対し過敏な上、思考連鎖も激しい。ヒトと会話している間も今こうしてpcのキーボードをたたいている間もこの記事を書くことに集中しているとは言えない。
つながりのあるもろもろの発想が浮かんでは消えている。失ったモノは重要なモノに思えてくるのでメモをするようにnoteに書く。下書きが量産されていく。
下書きの蓋を時々外しては、腐らないうちに手をかけてかき回している。美味しくなるはずだった素材が美味しい漬物?になるとは限らないけど、手間をかけている間もそれはそれで楽しいものだったりする。

来年の新しい記事のテーマ

来年は仕事関係で新たな取り組みを考えており、その中でも幾つかnoteの記事にしたいものもある。と、書くかく詐欺は来年も続くのだろう。

①SWが仕掛ける 地域のコミュニティスペース図書館 or Bookcafeについての具体的な検討
②ソーシャルアクションについて

来年の抱負

できるだけ自然な呼吸のままで(も)ポジティブワードと愛語に溢れた文章になりますように。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

うれしいです!
12
ニチジョウとダジャレと時々、マジメな事を呟きます。テーマに統一性がありません。キャラに一貫性がありません。 ゆらゆらと、ゆるゆると生きています。