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本当は、どっちが好きなの?➀


ローマpizza とナポリpizza

ピッツァとピザ

みんな大好きで、アメリカでは、ハンバーガー、ホットドック、に並んでピザは、国民食です。いずれ、日本の国民食にもなるであろうピザ。

まずピザはアメリカ系。ピッツァはイタリア系。

そのイタリアでは、ピザと呼ばれるものがある。

斜塔  ピザの斜塔

PISAと書きますが、イタリア人はピザと呼んでいました。

トスカーナ州のガリレオガリレイ空港のそばで、リボルノとビアレッジョの間ーの町にあるのがピザの斜塔です。

リグリア海に近く、海の幸が美味しい街です。

今回は斜塔の話でなく、ピッツァのお話です。

以前にも、お話したのですが、ナポリピッツァはベネツィアにもミラノにもローマにもサルデーニャにもありません。

ナポリピッツァはナポリにしかありません。

同じく、日本では認知度が高い「バーニャカオダ」この言葉自体が、ピエモンテ州の方言です。イタリアの、他の地域では何言っているのか分からない状態です。通じません。ローマに旅行に行って、「バーニャカオダありますか?」と店員さんに聞いても、「ない」と言われてしまいます。似たような料理はいくつかありました。

「ピンツィモーニオ」「カッツォインペロ」などはありましたが、野菜は出てきても、アンチョビーは出てきません。

そもそも、ピエモンテの山国に何故、イワシのアンチョビがあるかと言うと、昔はサルデーニャ王国だったので、サルデーニャのものが流通していました。そこで、ピエモンテにある食材で作られたソースがバーニャカオダ誕生になります。


ピッツァの話です。

日本でイタリアのピッツァが広まったのは、

やっぱり本場のピッツァが到着してからです。

北青山の外苑近くのピッツェリア。多分ここが日本初。

このローマからのお店が東京に来ていなかったら、イタリアからの輸入品、食材は更に遅れて日本に入ってきていたと思います。
モッツァレラは当時、フレッシュはなく、冷凍です。
イタリアからの初めて聞く、初めて見る食べ物がそんなに簡単には税関を通してくれません。税関では、何個も、開けて検査して、捨てられたようです。生ハムも、イタリア物は、入荷なく輸入禁止の食べ物でした。
豚の詰めの病気がヨーロッパでありました。

今では、こうした苦労なく、イタリア料理のお店がオープンできます。
先人たちの本場のおいしさを届けようという熱意、新たな食文化の伝道の門を開けて頂きました。後に、この熱意は、集客にもつながることになります。

先輩方に本当に感謝です。

ここのお店は、ローマからやってきたお店なので当然、ローマスタイルの
ピッツェリアです。

特徴は、薄焼き。生地は、ぱりぱりのクリスピータイプ。
粉は、薄力が入ります。場所によっては、砂糖も、卵も、ミルクも入ります。ポイントは、よく練らないことです。

これは、ハード系のパン作りと一緒です。

対して、ナポリピッツァは、強力粉だけです。塩、水、オイル、イースト
以上です。協会の決まりがあって、これ以外は入れてはいけないのだと思います。この配合以外はナポリピッツァと呼んだら怒られるようです。

東京でローマピッツァが流行っていた当時は、パンのようなピザは人気がありませんでした。

特に、具がのっていない部分は、パンの耳と同じ扱いで残されることが多かったです。宅配ピザも始まっていましたが物珍しさはすごくありました。
大きなピザが30分以内に届く。新しい文化の始まりでした。

街場の喫茶店でもピザはありました。ピザパン、ピザトーストも見たことあります。しかし、パンケーキのようなブームはありません。

1980年後半時期は、バブルが弾ける瞬間です。当時は、ローマピッツァが東京では大人気で、ナポリピッツァの存在は、誰も知らなかったと思います。

オーブンでなく、薪でピッツァを焼く大きな窯がありました。壮大なプレゼンテーション、演出、パフォーマンスです。

以降、日本のピッツァはクリスピー生地のローマスタイルが主流でした。

そんな中、1990年後半くらいだったと思います。イタリア料理がブームの世に、中目黒のピッツェリアが「ナポリピッツァ」として登場しました。今に至るまでの大ブーム。その火おこしし、一躍ナポリピッツァが有名になりました。

ここから、ナポリピッツァの大進撃が始まります。


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