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再雇用前に会社を辞めました! -70-

 こんにちは、ケロヨンです。
このブログも遂に70回目を迎えた。ここまで読者が少なくなる中で良く続けられたものだ、と自画自賛していたりしたのだが、書き続ける事によって、この時俺には何が起こってどんな気持ちだったのか?を思い出す事が出来て、一つの貴重な情報になりつつあるよ。
【叔母を偲ぶ会】
一緒に住んでいた叔母(父の妹)が昨年12月31日に逝去してから3ヶ月余り過ぎたが、叔母が高校教師をしていた時に立ち上げた音楽団体主催で4月9日(土)偲ぶ会が開催された。当然息子であるライミやその嫁であるポコも参加するだろうとは思っていたがまさかあんな事になっていたとは?とまた呆れる事が有った。
偲ぶ会のプログラムを見るとライミがギター演奏する演目が有ったのだ。
ライミが中学時代から始めたクラッシックギターに凝っていた事は良く知っていて、コンサートに来てくれと言われて狭い会場で開催される観客10人程度のミニコンサートに行った事があるのだが、その時も人前で聞かせるレベルには程遠いと感じていた。
叔母が立ち上げた音楽団体が使う楽器は元々アメリカが発祥の楽器で初めて日本にそれを導入された時に尽力したのが叔母だった。良く教会の聖歌隊に奏でられるその楽器を使った楽曲は音色が素晴らしく、初めて叔母に誘われてコンサートに行った時はその奥深さに感動したものだ。
叔母が高校教師をしていた高校でその楽器を使った音楽隊を発足し、叔母はそれを高校卒業した生徒にも続けられるように大学、社会人にも広げて行き、中学校にも広めた。現在はその楽器を使った音楽協会も叔母の尽力で立上げ、日本中の学校や企業にまで広まっている。
ライミのギター演奏はお世辞でも上手と言えるような代物では無かったが、叔母が過保護だった事も有り、時々叔母の音楽隊の演奏会に呼ばれて演奏していたようだ。
ところが、そのような過保護が良くなかった。
叔母は当然息子の演奏を素晴らしいと手放しで褒めるので、ライミは完全に勘違いしてしまったようだ。
今回開催された偲ぶ会は叔母が立ち上げた音楽隊が主催なのだが、遺族であるライミに気を使ってライミにギター演奏を依頼したのか?ライミが自ら演奏したいと言い出したのか?は良く分からないが、ライミは4曲も演奏した。
叔母の事を心から偲んで合奏頂いた音楽隊の方々の演奏が余りにも素晴らしかったのと比べ、ライミの演奏は相変わらず聞くに堪えな酷いものだった。
それにも関わらず、最後の遺族の挨拶でライミが最後に語った内容は相変わらず自分の自慢話ばかりで、それも親である叔母のバックアップがあってこそなのに、偲ぶ会を企画し準備し成功させて頂いた関係者への労いや感謝の言葉は殆ど無かった。
それどころか、まるで自分が企画して準備したような言い方までしたのだ。

もうこんな人間力最低の輩とは今後一切付き合いたくない気持ちが再燃したのは言うまでもない。
後、ライミと絡むのは相続税の支払い時のみなのだが、それも弁護士経由なのでライミと一切会話しない事は大変ありがたいと思っている。

叔母の偲ぶ会はライミの登壇場面を除けば素晴らしい会となり、音楽団体の関係者の方々には遺族としてこの場で厚く御礼申し上げたい。


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