本と相性の良いものを考えるvol.4

本と雑踏

本を読む時に必ずしも「一人」で周りが「静か」でなければいけないかというと、そうではないと僕は思っている。

勿論、静かなところで読む本の方が没入感が増したり、外的な影響を受け辛い為、気力が続く限り本を楽しむことができたりするので僕も大好きだ。好きなことをひたすら続けて、その形のまま眠る。それが家や、一人の空間でできれば大きな幸せを感じられるかもしれない。

でも、本はどこでも楽しめる。
電車の中、カフェ、待ち合わせの場所、公園、オフィス。
本を開いてその世界観に足を踏み入れるその瞬間。周りの音が一気に遠のき、目に見えない膜に覆われるような不思議な感覚に陥る。現実世界から分断されて本の世界にどっぷりと両足を浸かりながらさまよい続けることができる。
いまいちイメージの湧かなかった表現に出会ったり、印象に残った場面、人の心情を描いた場面に出会った時、顔を上げて現実世界を見てみるとヒントになるものや現実世界に落とし込まれた風景が見つかるかもしれない。それはあなた固有の理解へと繋がる。

そして本は人を楽しませる。
外で本を読んでいるあなたは、街や公園、電車の風景に彩りを与える。アクセントになったりする。
もしかしたら、あなたの読む姿を見て同じ本を読みたいと思う別の誰かがいるかもしれない。

一部の熱烈なファンを除いて、あまり知られていない作家で好きな人が僕にはいる。その作家の本を友人や会社の同僚に勧めることは多々あれど、好きな作家の話になった時に一発でわかる人には出会ったことがない。

ある時東京に出張に行った際に、50代くらいの主婦であろうか。電車の中でその作家の本をじっと読んでいる人がいた。
その表紙は紛れもなく、僕が学生時代に大学のベンチに寝そべって読んでいたあの本のそのものであった。
「その人の本、好きなんですか。」
嬉しさのあまり声をかけたくなったが、流石にそれはよした。
僕が知らない人に声をかけることに慣れていないのと、その人が見知らぬ男にいきなり声をかけたれたらびっくりするだろうと思ったからだが、欧米人の血が流れていたら「俺もその本好きなんだよね!どこが良かった?」と話しかけていたに違いない。

その人に会って嬉しい気持ちになり、他の本の話をしてみたいと思った。
それは何というか、道端でかつての友達と再開した時のようだった。
「おー、元気か!ちょっと話していこうぜ!」みたいな軽い衝撃と少しの幸福感。
「本当は早く家に帰らないといけないよな。」「久しぶりすぎて話が合わないかも。」みたいな少しの後ろめたさが混在しているような気持ちを感じた。

雑踏での読書で何かコミュニケーションが生まれたりすると読書のスタイルも変わるのかも知れないと思ったりしています。

話がかなり横道に入ってしまいましたが本と雑踏。

みなさんはどう思いますか?