本と相性の良いものを考える vol.3

本と他人(旅)

正直言って今回は相性が良いか分からない。
少しでもマッチする部分があるかなぁ。くらいの問題意識で考えてみることにする。

僕は大学4年の時に半年間休学して南米を一周していた。いわゆるバックパッカーというやつだった。
半年も行っていると途中で何がしたいのか分からなくなってきて、迷子の子供のような気持ちになってきた。面白いものを求めて路地裏をズンズン入って行ったのに、ある時冷静になって周りを見てみると誰もいない、知らない場所だった時の子供のようなそんな心境になった。

「南米一周するっぜー!張り切っていきましょうー!!」的な勢いと楽しさとは最初の1ヶ月くらいがピークで徐々に「移動するのしんどい。。。」「友達と遊びたい。。」とホームシックになり、最終的には「俺は一体何をしているのだろう。」と自分の行為の意味がわからなくなってきた。

それでも「辞めて帰ってどうすんだ、日本帰ってもやることねーぞお前。」「みんなから弱虫扱いされたくねーだろ。」と消極的な思考から推進力を得て、心で泣きながら前進するしかないボロボロな旅であった。笑

南米での主な交通手段はバスが一番多く、長い時は38時間揺られていたこともある。アマゾン川を昇る時は船にも乗った。細かいことは忘れてしまったが、10日間くらいハンモックに揺られて朝方の冷たい風に喉をやられたり、飲み水に腹をやられたりしながら過ごした。

半年間こんな長距離移動を続けているのに、僕が目にしたのは南米のほんの一部分だけだった。進めば進むほどに空は広がり、その下にあるであろう南米大陸の大きさとそこに根ざす人々の生活に思いを馳せることもしばしばあった。移動中はそんな妄想をする以外にやることがなかったので、必然的に本を読んだ。

一冊の本に出会った。
「マネーロンダリング」というタイトルのその本は誰かが安宿に置いていったもので、僕は読み終えた本と交換して持ってきたのだった。
本を開くと最初の10ページくらいが引きちぎられた形跡があり、一番重要な導入部分で相当なイメージを呼び起こさなければいけなかった。
「なんだよこの本、読むのやめようかな。」とか思ったが、他に読む本もなかったので仕方なく読み始めた。

途中まで読み進めるとメモが挟まっていいてそこにはこんなことが書いてあった。「この本を読む人へ。まずはごめんなさい。今私は南米の水か食料か、はたまたストレスのせいか分かりませんが急激に腹を下しています。紙がありません。なので小説の冒頭である非常に大事な部分を使用させていただきます。色々と私なりに迷いましたが、結論よりは序章の方が想像しやすいという想いに辿り着きましたので序章部分を使用致します。この本を読む人が序章がなくとも、容易にこの本の内容を把握できる聡明な人であることを祈ります。」
そんな言葉が途中のページに殴り書きされていた。緊急事態にも関わらずこんな落ち着いた文章を書けるわけが無いので用を足したあと悠々と書いたに違いない。

なんて勝手なやつだ。
自分の尻を拭くのにこの貴重な序章を使用しただけでなく、次に読む人間を試すかのような態度が伺える。

腹立たしさと馬鹿馬鹿しさと共に何故だか不思議な安心感を感じた。
寒い冬の日に着るダウンのような。
いつまでも変わらない地元の友達のような。
心地の良いものだった。

異国の地で一人きりでその本を読んだからかも知れない。弱り切った時に日本人の彼と会話をしたような錯覚に陥ったからかも知れない。
どんな人が読んだのかが分かって急に愛着が湧いたりする。

僕は今もその本を持っている。誰かが読んだ形跡のある本っていうのも一つの勝ちかも知れないなぁと思いました。

長くなりましたが、皆さんはどう思いますでしょうか。