1280px-吉田寮正面玄関_2011年12月_

吉田寮裁判の被告意見陳述(2019/7/4) (3889 字; 8分)

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タイトルの通りです。この問題に関心を持つ人たちに広く読んでもらうために、全文引用・公開しました(本人に許可をもらっています)。

この問題に関しての事情を知らない人にも、面白く読める内容になっていると思います。吉田などの自治学生寮をとりまく社会情勢や京都大学の権威主義が描写されています。本文は8 分程度で読めると思いますので、隙間時間にお読みください。

"この訴訟は、単に学生寮を巡る争いというだけでなく、広く社会にかかわる問題なのです。"



日時:2019 年7 月4 日
場所:京都地方裁判所

以下、全文引用:
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1. 陳述者の個人的エピソード

私が吉田寮に入ったのは、安く住めてしかも大学から限りなく近いということが理由でした。汚いだとかぼろいだとかは気になりませんでした。寮に住んでいても、大学生としての生活は案外普通のものだったように思います。毎日授業に出るかたわら、バイトをしたりサークルに入ってみたりもしました。下宿や実家暮らしと大きく違うのはきっと、同じ立場の人間がたくさん、ともに暮らしているということだと思います。就職したりして、寮を離れた人が「家に帰っても人がいないということに慣れなかった」と話しているのを聞いたことがあります。寮にいれば、どんな時間でも誰かがいて、語
らったりゲームをしたり酒を飲んだりできるということが、どれほどの価値を持つものなのか。私はまだこういった環境を失ったことはありませんが、きっとかけがえのないものなのだと思います。
吉田寮は常識にとらわれない場所です。新入生が、何年も寮に住んでいる人にため口で話したり。でも常識に囚われないからこそ、理不尽な上下関係もなく、お互いを尊重しあう関係性が望めるのだと思います。完璧な場所だとは言いませんが、そういうところが私は好きです。

2. 吉田寮について

吉田寮は大学当局が管理する寮ではなく、寮生全員が参加する自治会によって運営されています。吉田寮は京都大学の福利厚生施設です。これは経済的に困窮した人にも、大学で学ぶ権利を保障するための施設であるということです。また、吉田寮は寮生自身が運営する自治寮でもあります。実際に、寮の運営に関わることは寮生同士で話し合って決めますし、吉田寮自治会と大学当局との間で交渉を行い、寮のあり方について話し合ってきました。
そして、福利厚生施設であることと、自治療であるということは不可分の関係にあるとわたしたちは考えています。どういうことかというと、大学当局が寮を管理した場合、利用者である寮生の実態とかけ離れた運営が行われ、その結果福利厚生の質が損なわれる恐れがあります。実際に、京大にある留学生向けの寮は、最長1年間という入居制限があり、制限を過ぎて退去を余儀なくされた留学生が吉田寮に来ることが少なくありません。留学生が賃貸物件の連帯保証人を用意することは非常に難しいし、民間の機関保
証にはお金がかかります。さらに京大は機関保証人となることをやめましたし、反対する留学生がいないからと留学生寮の寮費を上げました。また、今年4月に建て替えが完了した女子寮では、建て替えと同時に、自治会による入退寮選考が骨抜きにされたほか、寄宿料が、具体的根拠も示されないまま 400円から約2万5千円へと大幅に値上げされました。
一般的に、制度には漏れが付きものです。例えば、京都大学の経済支援のひとつである授業料免除制度では、親の扶養から外れて日本学生支援機構の奨学金で生活している人が、対象外となってしまうなど問題があります。しかし、福利厚生に漏れがあってよいのでしょうか。これまで吉田寮自治会は、大学側が提供する経済支援制度・寮制度から漏れてしまう人も含めて、できる限り受け入れようとしてきました。かつて吉田寮には日本人男子学部生しか住むことができなかったのですが、寮生同士が話し合っていく中で、必要としている人が住めるようにすべきと考え、入寮資格の性別・国籍要件を撤廃してきました。吉田寮がなくなってしまえば様々な事情を抱えた学生の受け皿がなくなってしまいます。さらには、こうした問題について考える人も少なくなってしまうでしょう。これから学生になりたい人も含めて困窮した人たちが大学に対して個人で意見を言うことがどれだけ大変でしょうか。吉田寮は大学に通いたい人々のセーフティーネットであり、かつその維持・拡充を大学当局に求めてきました。これからもそうあり続けたいと考えています。

3. 本訴訟の位置づけ

今回起こされた訴訟は、私たち寮生が求める対話・話し合いをことごとく拒んだうえでなされている強権の発動です。そして、今回の訴訟を通じて争われるのは、単に、老朽化した建物を明け渡すか否か、といったことにとどまりません。本質的には、自治という運営方式や、学生の権利・主体性を認めるのかどうか、が争われているのです。どうしてそのように言えるのか、簡単に説明していきます。

3 - 1. 補修に向けて進んできた議論

まず、最初に指摘しておかなければならないのは、吉田寮現棟の老朽化対策については、寮自治会と大学の責任者の話し合いによって着実に前に進んできたということです。1970年代から大学当局と自治会との交渉のなかで議論され、2012年9月には当時の赤松 明彦・学生担当理事との間で、補修の方向性で合意しました。そして、後任の杉万 俊夫理事とも 2015年2月にその方向性を確認し、自治会の提示する補修案への賛同も得ていました。
しかし後任の川添理事は、寮生との話し合いの場を一方的に拒絶し、これまでの合意事項も引き継がないとしました。その上、寮生から示した現棟の改修プランに対しても「検討中」としか言わず、対案も出さず、3年以上に渡り放置し続けているのです。こうした理事の姿勢こそが、老朽化対策を遅延させています。

3 - 2. 京大が提示する「最低限の管理の条件」

老朽化対策を引き延ばしておきながら、安全確保を主張する大学当局は、今年2月、ついに、吉田寮生の追い出しが、執行部の望む「管理」を実現するためであることを公的に明らかにしました。2月12日に発表された「吉田寮の今後のあり方について」と題した文書で京大当局は、安全性に何ら問題のない吉田寮新棟の居住にさいして、寮生が入寮募集を行わないこと、大学の裁量で退寮させられることといった6条件を提示し、これが「京大が設置する学生寮の管理のための最低限の条件」だと言い放ちました。

3 - 4. 強硬な対話拒否の姿勢

私達はこれまで何度も話し合いを求めてきましたが、学生の権利や主体性を軽視し、対話すら拒むのが、今の京大当局の姿勢です。このような状況で、誰しもが持つはずの学ぶ権利を守るため、吉田寮という福利厚生施設を未来につなげるために、私たちは、この訴訟を闘っていきます。

4. 訴訟の射程

本訴訟は、高額な学費を納めて学んでいる学生を大学法人が訴えるという異例のものです。このような異常事態が起こっている背景には、昨今の大学を取り巻く厳しい状況があります。したがって、この訴訟は、単に学生寮を巡る争いというだけでなく、広く社会にかかわる問題なのです。

4 - 1. 京大で進む執行部の専制

まず、京大でいま、何が起こっているかというと、利害当事者を無視した施策を、8 人の理事たち - 執行部が次々と決めています。学生に関することでは、学生の表現手段である立て看板の規制の強行や、学園祭の日程短縮といった、学生の権利や自由をこれまでになく制限する施策がとられています。このほかにも、私たちが知る限りでも、教授会権限の縮小や非常勤職員の雇止めといったことが起こっています。

4 - 2. 背景にあるもの

こうした問題は、京大に限らず広く全国的に露見してきています。その背景にあるのは、政府・文科省が推し進めてきた、大学の企業化、「トップダウンのガバナンス」の強化です。京大では、1990年代後半に学内の反対を押しきるかたちで副学長制が導入され、2004年には国立大学法人化によって、現在の、理事会が権限を持つ制度ができました。それでも、少なくとも、教授会での審議や学生担当理事による学生との対話は一定尊重されていました。しかし、2014 年には国立大学法人法と学校教育法が改正され、教
授会の法的位置づけが審議機関から諮問機関へと、つまり意思決定の場から意見を言うだけの場に変えられたことにより、従来の大学の自治や、大学内の民主的決定プロセスは、骨抜きにされてきています。

4 - 3. 大学は誰のもの

いま、大学は、資源や権力を持つ一部の人によって、私物化されようとしています。大学がこのような特権的で閉鎖的な場になっていくことに対し私は危惧を感じます。大学という場、そこで行われる学問は本来、すべての人々に開かれたものであるべきです。あえて大げさに言えば、吉田寮の存在価値はこのような状況だからこそ高まっています。経済的に困窮している人から学問の機会を奪わないために、大学を様々な人が行き交う真に開かれた場にしていくために、吉田寮はこの社会に存在し続ける必要があります。裁判官の皆様におかれましては、こうした射程から、この問題を冷静・正義ある判断を下してくださるようお願いいたします。

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