こうやってまたないものにされる。

思ったことの羅列です。タイトルと中身はほぼ一致しません。

2019/02/03.Mon スマホPCメモ

「家事は男女関係なく人間として生きるのに必要だ」とか「所作なんで男女関係なくきれいな方が人としていいよね」みたいな主張って、”女子力”の中に入れられてたものを人間力にすり替えることで妥当な意見のように見えるけど、論点である今までの性別役割に基づく差別を完全に無視してるよね。そうやってまた女性差別はないものにされてしまうんだろうなぁ。加えて人々は口では、男女関係なくとか言えど、実情は、調査して男女別の家事時間を数値で出せば差は歴然だよね。

ジェンダーの問題って全員が必ず当事者で、自分の性別を理由に違和感を感じた独自のエピソードを持っていて、常に被害者軍団と加害者軍団が別れているというよりも、全員が加害者も被害者も経験しているからこそ、問題を話し合う際に、自分の事情が入りやすいんだろな。自分が加害者である問題を議論する際にも、違うシチュエーションでの被害者自分と切り離せないみたいな。

この前もNHKのあさイチの特集「女らしさを押し付けないで」でも、女らしさが過去のものとして語られてたけど、100%現在進行形の問題だからな。

男らしさ女らしさ規範がまだ残りつつも、自分らしさが大事なんて考え方が規範になりかけてる状況とか地獄だな。

今日ジョジョラビット見に行った。第二次世界大戦下のドイツで空想の友人ヒトラーの助けを借りて立派な兵士を志す10歳の男の子の話。戦況最悪でほぼ敗戦間際の様子やったのに、衣服は日本の戦時中と違って立派に見えたなぁ。今となっては、ヒトラーやユダヤ人迫害って人間の負の歴史で二度と繰り返してはならないみたいな認識されてるけど、結局数ある現象の可も不可もない一現象にすぎなく、人間の性ってそんなもんなんやろな。

今日でかい本屋で予算3万でゼミの選書会あったけど、普段3000円以上する文献なんてなかなか新品で高くて買えないけど、値段気にせずどんどん籠に放り込めて楽しかったなぁ。

ぼやっとした現象を自分のなりの腑に落ちる論理で構造化していくのめちゃ楽しい。社会の現象を数理モデルにする数理社会学興味ある。それ以上にやっぱりピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』と最近出た『世界の悲惨』を読まねば。

時間=お金という考え方、まさに、人生は必ず何か成し遂げなければという思想が全面に出てるよね

気持ちがアップダウンしようとも、常に一定量アウトプットできるようになりたい。まずは質なんて気にせず、毎日なんかしら投稿できたらひとまずおけ。

私はやっぱり、研究するなら、なぜフェミニズムに対してこんなに世間の反発があるのかに興味があるんだけど、フェミニズム理論への理解がそこに対する反発の理解に繋がるのはもちろん、そもそも大衆はそんなにみんな専門性があって理解した上での批判では基本ないだろうから、フェミニズムへの理解より、大衆心理を切り口とするやり方もひとつありだな


私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。