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廃墟の美術史展見てきた 2018年12月

ちゃんと見てきた日付を入れたほうがいいとようやく気がついた。後で前に書いたやつもタイトル直しておこう。
2018年12月に、松濤美術館で『終わりのむこうへ・廃墟の美術史』を見てきた。これもなんで知ったんだったか、Twitterのような気がするけど。
廃墟、と聞いてときめくタイプなのでこういう出会いは大切にしている。世の中にはたくさんの展覧会があるけど、全部見られるわけではないし。
なのでいそいそと時間を作って平日に行った。展示は基本的に平日見る派。人少なめだし。
この日は金曜だったけど、人は少な目。入り口にどーんとこれ。

ジョバンニ・バッティスタ・ピラネージの『ローマの景観』よりシビラの神殿、ティヴォリ、という作品を拡大したもの。ここは入り口だから撮影ok。
いいっすね。廃墟感ありまくり。廃墟を見ていると、いろんな感情が湧き上がってきて不思議。寂しさ、虚しさはもちろんなんだけど、おかしみもある。後は好奇心?暴かれた感というか。
そういう気持ちは多分画家の方にもあるようで、廃墟の絵画にはけっこう画家の妄想というか想像がはいって、奇想の風景となるみたい。そうよな、絵を描かない私ですら、ざわっとするくらいだから描ける人はもっとインスピレーションが湧くわな。
廃墟の写真も結構好きだけど、今回の展示は絵画ならではというか、画家の妄想があふれていてとてもよかった。図録の表紙にもなってるユベール・ロベールの作品も『ローマのパンテオンのある建築的奇想画』というタイトルなくらいだし。

現代の作家さんの展示もよかった。特によかったのは元田久治さんの『Indication:Shibuya Center Town』で、近未来を感じさせる渋谷。ディストピア厨はまちがいなく滾る。

そして、なんというか、妙に惹きつけられた作品が麻田浩さんの『旅・卓上』だったんだけど、なぜか図録を見てもその時の感じが湧かない…大きさのせい?(またサイズに左右されてる)
でも公式のサイトさんを見てたら、いい感じに思い出せた。

どうして廃墟が好きなのか、そこには多分死の香りがしているからでは、と思う。中原中也の詩をなんとなく思い出す。

佳い香水のかをりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。
                                                   ーあばずれ女の亭主が歌つた  『永訣の秋 』から

綺麗なものより何か崩れたもの、キラキラよりどこかくすんだもの、そういうものを求める習性が人にはあるのかも。少なくとも私はそうだな。


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