新しい生活様式に考えたい終末期のこと(その2)

前回は、ガン、心筋梗塞、脳卒中などにより日本人は昨年の1年間に137万人を超える方々が亡くなられていること。
高齢者自身は「延命治療はいらない」など考えていても、それを家族や主治医に伝えていなければ希望通りになるかわからないし、家族は悩み戸惑うことを書きました。

そして、その希望を叶えるためのツールの1つがACP(アドバンス·ケア·プランニング)だと思ってます。

私は、居宅のケアマネをしている頃に担当した利用者さんをきっかけに、ACPの必要性を強く感じることになりました。
今回はその利用者さんとそのご家族のエピソードを紹介するので、これを読んでくださった方々にACPを知っていただき、ほんの少しでも広めるきっかけになればと思っています。

その利用者さんは80代の男性でした。同居する妻からの相談で、私が担当ケアマネとなりました。
当時は「要介護3」。自宅内は何かを持って歩くことはできましたが、認知症により言葉を発することが少なくなっていました。
食事は自分で食べることができ、毎日妻が作ったご飯を食べていました。

2~3年経過するうちに足腰は弱り、言葉はほとんど出なくなりました。意欲も低下し、食事を食べる量も減ってきました。

そんなある日、発熱し、主治医の診察後に肺炎の疑いがあるということで、急きょ入院となりました。

診断は、誤嚥性肺炎でした。

幸い熱はすぐに下がりましたが、嚥下(飲み込み)の検査を行った結果、誤嚥性肺炎を再発するリスクが非常に高く、今後は口からの食事は無理。胃ろう造設を勧めます、と主治医から説明がありました。

私も主治医からの説明に同席してましたが、案の定、妻は「今後、口から食べられない」ということがなかなか理解できません。

「入院する前は普通に食べてたんですよ?」
と繰り返すばかり。

当然その場で結論は出せず、数日後に返事をすることになりました。

娘さんも同席されましたが、

「口から食べられないってことは、そのままだとし死んでしまうんでしょ? でも胃ろうをしてまでお父さん生きていたいかな…」

妻もほぼ同様の考えでした。

ただ、「胃ろうはしません」という決断を下すにはまだ時間がかかりました。

娘としては、「今のお父さんが自宅で生活できるの? お母さんまで倒れるんじゃないの?」という思いもあったからです。

妻は、娘に心配させまいと「今まで食べてたんだから大丈夫よ」と言いますが、その考えに娘としては余計に心配が増したようで…。

「お母さん、先生がもう口からは食べられないって言ったの聞いてたよね!?」

と、険悪な雰囲気になったこともたびたびありました。

約1週間ほど悩んだ結果、胃ろうはせずに自宅退院という決断をされました。

自宅では訪問診療してくれる主治医や訪問看護師のアドバイスにより、少しずつですがゼリーを食べながら生活できました。

退院したのは12月初旬で、「正月は迎えられないかもしれません」という厳しい見通しだったのですが、約1年間自宅で過ごし、看取ることができました。

亡くなられた後に、妻が私に

「あの時、胃ろうはしなくてよかったと思っている。けど、主人がどうしたかったのかはわからなかったけどね」

と話してくれました。

その後、私は地域包括支援センターに異動になり、老人クラブや高齢者が集まるサロンで講演を依頼されたときには、この利用者さんのエピソードを交えてACPについての話をしてました。

医師やケアマネなど専門職が集まる多職種連携会議でも、ACPを推進されている医師を講師に招き、ACPを広めようと活動してきました。

突然の病気や事故により、ある日突然に意思疎通ができなくなることは、誰にでも起こりえます。

冒頭に昨年の1年間に137万人を超える方々が亡くなられていると書きましたが、幸いにも救命できた方々は少なくともその数倍はおられるのではないかと思います。

変な言い方になりますが、人間はなかなか理想通りポックリ死ねません。

だからこそ、終末期を迎える前に「○○を大切にして過ごしたい」「延命治療はしなくていい」という希望を家族や主治医と話し合うことが当たり前になればと思います。

ACPは、そのような希望を自分だけで書き残しておくのではなく、主治医に伝え話し合うことで「あなたの終末期には、できる限りこの希望に沿った医療やケアをします」という約束をすることです。

もちろん1回限りではなく、例えば1年に1回更新することも可能です。もし気持ちに変化があったときにはその都度修正もできます。

今は特別養護老人ホームの相談員として、ご家族や近隣住民の方々に、引き続きACPを広める役割を担っていきたいと思います。

大変長く、まとまりがない文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。