彼女は・・・ 忘れかけていた " 大切なこと " を思い出させてくれた[第9週・5部]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その作品の筆者の感想と『映像力学』の視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨で展開されているのが " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事だ。それで今回は、第9週・「雨のち旅立ち」の特集記事の最終回の5部ということになる(4部はこちらから)。
それで今回の記事は、特に第9週・45話の後半部を集中的に取り上げているわけだが、作品の前半戦・登米編の締めくくりとして相応しい内容で、非常に感動的だ。そういったこともあって、当初は第9週は4部構成で考えていたのだが、この45話を取り上げた記事全体が長くなってしまい、急遽5部構成に変更した。ご了承頂きたいと思う。
この記事を執筆するのにあたっては、『DTDA』という筆者が提唱する手法 ( 詳しくはこちら ) を用いて、分析・考察を進めていくわけだが、今回の記事は筆者の感想を中心に展開し、その分析・考察の裏付けとして『映像力学』などを含めた制作手法に言及することで、この作品の深層に迫っていきたいと思う。
○ " 父と娘の絆 " を再構築する。彼の " 大きな背中 " が・・・ 雄弁に語る時
永浦家の家族に上京する旨の報告と、なぜ故郷・亀島を離れたいと思ったのか・・・ " その思い " をようやく告白した、主人公・永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)。
その後に百音の部屋へと場所を移し、父・耕治(演・内野聖陽氏)も部屋にいる。上京する際に、サックスを持っていかないのかと百音に問う耕治に、彼女はこのように応える。
と " 耕治が登米で作った木の笛 " を、東京へと一緒に持っていくと語る百音。
さて百音は、父・耕治とは家族の中でも一番気が合っていた。元ジャズ・トランぺッターだった耕治は、小さい頃から音楽に興味を示した百音を可愛がり、管楽器の道へと導いたわけだ。
百音と父・耕治は音楽を通して心を通じ合わせ、そして耕治は常に百音に寄り添っていた。音楽は " 父と娘の絆の象徴 " だったわけだ。しかし " あの日 " を境に・・・ 音楽は百音にとっての " 罪悪感の象徴 " に転換されてしまう。
そして " あの日 " を境に・・・ 百音は音楽から距離を取り始め、耕治との間にもそこはかとない " 見えない分断 " が生まれていってしまった。
[ あんなに通じ合っていた・・・ 百音の気持ちが解らない・・・ ]
百音から故郷・亀島から離れたいと告げられた時・・・ 耕治は彼女の " 本当の気持ち " というものが見えてこなかった。
百音の気持ちを汲み取れないまま、故郷・亀島を離れさせたことを後悔した耕治は、彼女を連れ戻そうと登米に出向く。しかし故郷を離れ、少し明るさを取り戻している百音の表情を目にし、" 家族にも話せない深い苦しみが、故郷・亀島には潜んでいる " ということを、そこはかとなく感じ取る。
そこで耕治は・・・ この地で百音との絆を再構築しようと、もう一度 " 音楽の力 "を信じて、登米の木材で一生懸命に気持ちを込めて笛を作り、百音に渡す。
そう、 " あの日 " を境に、百音と耕治は " 父と娘の絆の象徴 " を失ってしまっていた。しかし、この木の笛は " 父・耕治 " そのものの存在であり、新たに構築された " 父と娘の絆の象徴 " でもあるのだ。
そして、" 耕治が作った木の笛 " は、これまで百音のピンチを救ってくれた。
そして永浦家の中で諍いが起き、その空気が険悪となって、家族の気持ちがバラバラに崩壊しそうだった時にも・・・ " 耕治が作った木の笛 " は、それを救ってくれた。
百音は " 耕治が作った木の笛 " が、震災以降に新たに構築された " 父と娘の絆の象徴 " であることを感じている。また、この笛が百音や家族のピンチを度々救ってくれたことも経験している。だからこそ、
[ 上京しても、きっと・・・ " この笛 " が私を守ってくれる ]
という思いもあって、『こっち、持ってくよ』と耕治に告げたのだろう。それを受けて耕治はこのように語った。
百音の " 告白 " を聞き、" 父と娘の絆の象徴 " だった音楽が、震災を境に・・・ 百音の " 罪悪感の象徴 " へ転換されてしまったことを初めて知らされた耕治。
しかしその耕治も、震災の時は百音と一緒に本土で足止めをくらって・・・ 『あの時、何もできなかった』という思いは、当然、耕治も抱えて生きてきたのだろう。そして百音の " 告白 " を聞いて・・・ 他の家族とは違って、百音と耕治は同質の苦しみを抱えてきたことも初めて知った。だからこそ耕治は、百音にこのように伝えたかったのではなかろうか。
『分るよ。モネの気持ちはお父さんが一番わかる。』
このセリフを耕治が語ったカットの構図が、巧みな演出を施していることが非常に興味深い。
まずカメラはハイアングルのポジションを使って、百音は座位で耕治は立位の配置で撮影している。そして、百音に背を向けながら『モネの気持ちはお父さんが一番わかる』と語らせるわけだ。この構図と配置で撮影すれば、百音は小さく、また耕治は大きく映るため、
[ 百音の目には・・・ 父・耕治の背中が大きく見えている・・・ ]
ということを映像で効果的に表現できるわけだ。だからこそ、この耕治のセリフを受けたカットの百音の表情が、非常に印象的に感じるのだろう。
[ お父さんの背中が大きい・・・ こんなにも大きく懐の深い愛情で、私を今まで包んでくれていたんだ・・・ ]
と、耕治の言葉と " 雄弁に語るその背中 " が、百音の心の底に響いたような表情に感じられるのだろう。しかし間髪入れずに、彼はこのようにも付け加える。
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