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わたしと文通

誕生日を迎えて新しいことを始めようとおもった時にちょうど文通村というサービスの広告を目にした。
内容は有料で匿名同士で文通ができるという内容だった。めっちゃ面白そう!ということで早速入会。また年をとってしまったけど、また楽しみが増えそうな一年です。

小学生から高校生の頃までそれぞれ違う人ではあるが文通をした経験があり、文通村を見て久しぶりに思い出したのでここに記そうと思う。

小学生、ネットで出会った人と初めての文通

私が小学生の頃まだネットが電話回線だったような…昔の話です。
その頃ぱどタウンというバーチャルタウンにハマって入り浸っていた。自分の家と部屋があって他の住民と交流ができるSNS?のようなもの。思えば昔からそういうの大好きだな。

ぱどタウンの他にハピタンという似たようなサービスがあり、他にもミルタウンというものがあって、こっちはぱどやハピタンよりもちょっと可愛くて、入りたいけど登録人数の上限に達していて入れなかった記憶がある。けど調べても出てこない…。

詳しくは覚えてないけどぱどタウンで意気投合?した沖縄の小学生と文通をすることになった。今ではあんまり考えられないけど、インターネット黎明期の当時はちゃんと小学生同士が交流できたのだ…。しかも住所交換までするというw私のネットリテラシーもなかったし、時代も時代だったと思う。

普通文通って一対一だと思うけど、沖縄の子は毎回同級生の友達分の手紙も一緒に送ってくれて、賑やかで面白いなと思って文通していた。
みんなで写ったプリクラも送ってくれた。日に焼けて元気そうな女の子で、なんだか沖縄っぽいなと子供ながらに思った記憶。可愛いシールとか一緒に送ってくれたなあ。自分がどんなものを送ったのか全く覚えてないけど…。
何回かやりとりをして、どちらからか手紙のやり取りを止めて文通は終了しました。

中学生、お絵かきサイトを通して出会った人とのイラスト交換

当時ふみコミュという交流サイトがあり、そのサイトのお絵かき掲示板で出会った人と文通でイラスト交換を始めた。

ふみコミュはお絵かき掲示板や人気サイト、ブログなどのランキング、はたまたいろんなテーマの掲示板がありこちらも今では考えられないほど健全な交流サイトだったと思う。私が知らなかっただけで悪事を働くひとがいたのかもしれないけど…。
お絵かき掲示板で絵を投稿して、自分のサイトをランキンに登録して、好きなテーマの掲示板を見て、とにかくふみコミュをフル活用していた笑

お絵かき掲示板でめちゃくちゃ絵の上手い人がいて、その人の絵にコメントをしたりサイトに遊びに行き掲示板で交流するうちに仲良くなり、文通をしようという流れになった。あの頃パソコンでメールもできたし、まだ画面がカラーじゃない着メロ16和音とかの親の携帯でメールもできたけど、今と違って自分の足で遠くまで行けないからオフラインでの交流に憧れがあり、文通という手段を好んだのだと思う。

その人とは同学年のことや同じ九州に住んでいること、家庭のことなどネット上では知り得ない話のやりとりをした。(話すことや絵のうまさ、知っている物事、字の綺麗さ全てにおいて同学年と思えず、「その子」というより「その人」、「彼女」というほうが個人的に違和感がない)

どれくらい続いたかは覚えていないけど、中学卒業辺りで彼女の環境の変化もあり文通は終了した。サイトも消されて関係はそこで途切れた。

あの人、きっとすごい人になってるんじゃないだろうか…。交換したイラストはどこへ行ったかわからない…。

高校生、文通とファックス交換

ふみコミュは高校に上がっても利用していて相変わらず絵を描き掲示板を見て友達を探したりしていた。
当時はビジュアル系バンドが好きで、共通の趣味を持つ何人かと仲良くなり、文通を始めることに。すぐオフラインで繋がりたくなる時代だな笑

それぞれ二人と文通をしていて、一人はコスプレやロリータファッションのプリクラを送ってくれた。めちゃくちゃ可愛い子だった。
もう一人は同学年で絵を描く子だったので、イラスト交換をしたり、進路についてやりとりをしていた。

そのうち二人とも文通からFAX交換へと変わっていった。理由は忘れた。
昼間は親が仕事で使うから夜に送ろうというルールを決めて、その時間になるとFAXの前でわくわくしながら待っていた。懐かしい〜
またビジュアル系バンドが好きだったので送ったり送られてくる絵も中二病全開だったw見られたら恥ずかしいという思いはあったので、親から見つかる前に回収した思い出。

同学年の子とは高校卒業後、東京で初めて会うことになる。あの子も今何してるかなあ。服飾系の学校に行ってすごくオシャレだったな〜。

番外編 大学生、上京、そして突然の手紙

高校生のころ、世の中は今よりもおおらかな時代で、雑誌に住所や本名を載せ仲間を集めたり友達を見つけたりしていた。

先述した通り、ビジュアル系が好きだった高校生の自分は、ビジュアル系の雑誌に文通相手を募集する投稿を載せてもらっていた。
このバンドが好きな人、友達になってください!というような内容と実家の連絡先が掲載されていた。今思うとほんとに考えられないw

そんなことはすっかり忘れていた数年後のある日、その記事を見て友達になってくださいとい手紙が実家に届いたのだ!

実家から知らない人から手紙が届いたから送りますと届いた手紙は、もちろん私にとっても知らない人からの手紙だった。読んでみて雑誌に掲載したことを思い出したのだ。

でもその頃には当時好きだったバントへの熱も冷めていたため、返事は出さなかった。まるで時空を超えた手紙のようなちょっと面白い体験だった。

余談 小学生のころ飛ばした風船

これは文通とは全く関係のない話ですが…

小学生の頃運動会で全校生徒で風船を飛ばすというイベントがあった。風船に学校名が書かれていたのかな?何年生かは忘れたけど、六年間で一度だけ(忘れているだけかも)風船の飛んだ先、割れた風船を拾った方から学校に連絡があったことがあった。その飛び先がなんと石川県!なのだ!

当時どう思ったかは思えていないけど、今でも石川県と聞くと風船が飛んだところだと思うからよっぽど印象的だったのだと思う。
九州から石川まで風船飛んでいくのすごくない!?もしかしたら私の勘違いかもしれない…。

おわりに

こうしてみると、知らないところの違う場所に住んでいる誰かと交流をするのが昔から好きで、当時オンライン上でオフラインに憧れていた状況が、コロナ禍の今、自分の中で再燃している。
だから年をとって新しい一年を迎える中で、再び文通を始めようと思ったのかもしれない。

文通村は15日に会報が届くようなので、その日を楽しみに待つ。


 

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