見出し画像

マンガ・アニメと日本語教育 ―語学教育はどう変わるべきかー


 最近、外国人が話す日本語が格段に上手くなっている。私は、仕事でアメリカの高校生に日本語を教えることがあるが、高校生の話す日本語の抑揚に違和感がないのだ。日本のテレビ番組では、いまだ芸人が、外国人になったつもりで抑揚を大きく変えて日本語を話す場面があったりするが、今どき、そんな日本語を話す外国人はいるのかと首をかしげたくなる。

 なぜ外国人が話す日本語が上手になっているのか。

 それは、アニメの力が大きいように思う。アメリカでは、日本のマンガやアニメ、ゲームに魅せられて、日本語を勉強する若者が多い。これは世界共通の現象かもしれない。昔はドラえもんのマンガぐらいしか翻訳されていなかったように思う。しかし近年では、セーラームーン、ワンピース、ドラゴンボール、ナルト、進撃の巨人、ジョジョ、ハイキュー等、ツボにはまった子が、次々と新しいマンガ、アニメを見始め、目と耳から大量の日本語のシャワーを浴び、自然と日本語のフレーズを言えるようになり、気づくと日本語学習を始めている。

 宮崎駿のアニメ映画の存在も大きい。映画に登場する子どもの細かい仕草に魅せられ、ストーリーに新たな世界観を見つけ出すようだ。ジブリ映画のDVDを全て買い揃え、何度も何度も繰り返し観ているアメリカの高校生を何人も知っている。そうした若者の話す日本語は、発音がとてもきれいで、所作まで日本的になり違和感がない。

 そうした現象は以前からあったが、年々、伝播のスピードが速くなり、アニメが一部のオタクだけの文化ではなくなってきている。ある高校吹奏楽では、日本とは縁もゆかりもない音楽の先生が、映画中に流れる宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の曲を選び、春のコンサートに向けて練習を始めているのだ。一昔前では考えられなかったことだと思う。さらに、父親の仕事で日本にも行ったことがある、アニメ好きのアメリカ人高校生が、”Spirited Away” (千と千尋の神隠し)のDVDを家から持ってきて、皆で授業中に映画鑑賞をしたそうだ。ディズニーの映画音楽を吹奏楽で練習する前に、その映画を鑑賞するのと同じ要領だ。

 このように、アニメやマンガを通じて、日本語や日本文化が世界で身近になりつつある今、日本語習得の方法も手段も、以前とは大きく変わっている。昔ながらの教え方では、若者はついてこない。私が昔、学生をしていた頃の英語教育では、生の英語を継続的に聴く機会は少なかった。また、大学では、韓国・朝鮮語を勉強したが、その時も生きた言葉を聴き、コミュニケーションをはかる練習が少なかった。しかし、今の語学教育を取り巻く環境は、昔とは全く異なる。

 日本語教育のみならず、外国語教育一般にどう変わるべきか。音声や映像がもたらすインパクトは想像以上に大きい。外国語を学ぶハードルがかなり低くなっているのだ。音声だけでなく動画も使うと、ジェスチャーや抑揚、相槌のしかたなど、簡単に学ぶことができる。実は、こうしたことはコミュニケーションをはかる際、とても大切なことだ。何の目的で外国語を学ぶのか。それによって外国語を学ぶスタイルを選ぶ時代なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?