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マッチでパチンコホールMAPを作ろう ②愛知県・パチンコ正村(名古屋市北区)

こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。

先月から始まった「MAPを作ろう」企画、好評です!

前回は情報がまったく寄せられず、誰も興味を抱いて下さらないのだろうか…としょんぼりしましたが、今回は有力な情報提供がございました。ありがとうございます!

<マッチでパチンコホールMAPを作ろう>
昭和時代のパチンコ店の広告マッチを蒐集している栄華が、ラベルに記された情報からお店の所在地(できればマッチの作られた時期も)を特定し、「昔のパチンコ屋さんマップ」を作成する!

第2回目は先月告知させて頂いた通り、名古屋市北区大曽根の「パチンコ正村」のマッチラベルです。

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前回の「パチ銀ビル」とは打って変わって、店名のほかにラベルから読み取れる情報は「大曽根 鈴蘭劇場前」のみ。

この連載の趣旨は「すぐに場所を特定出来そうなマッチラベルをサクサクとテンポよく紹介してゆく」というものです。しかしこのラベルを今回のお題にしようと決める段階で「鈴蘭劇場」についてとんでもない勘違いをしていたことが発覚しました。

鈴蘭劇場のことを2016年まで名古屋市北区にあった「鈴蘭南座」という芝居小屋のことだと思い込み、「これは余裕~♪」とナメてかかっていたのです。

鈴蘭南座(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=2945247

しかし、知人やTwitterのフォロワーさんから情報をお寄せ頂き、鈴蘭劇場は芝居小屋ではなく映画館だったことが判明!

ということで、今回はサクサク……ではなくちょっとだけ大作になっちゃいますが、いろいろ面白い事実がわかりましたので最後までお楽しみください。


鈴蘭劇場について~マッチの作られた時期

「鈴蘭劇場」は、愛知県北区の「すずらん通り」にあった映画館です。

場所はこちら。

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実は「鈴蘭劇場」は1950年代前半の名称で、1956(昭和31)年には「名古屋スズラン東映」という名称だったらしいことを示す資料が出てきました。

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1956年に撮影されたスズラン劇場
樹林舎, Public domain, via Wikimedia Commons

さらに、樹林舎が2015年に出版した「写真アルバム 名古屋の昭和」という本の160ページには、1960(昭和35)年に「大曽根娯楽センター」という映画館がすずらん通りにオープンした時の写真が掲載されています。

すずらん通りに映画館は1か所しかありませんでした(同じ場所に2館併設だった時代はあり)。つまり鈴蘭劇場→名古屋スズラン東映→大曽根娯楽センターは全て同じ場所にあったことになります。マッチラベルには「鈴蘭劇場前」と記されているので、1950年代前半以前に作られた可能性が高いと言えます。

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現在のすずらん通りの入口(大曽根交差点側)

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現在のすずらん公園


「正村」はどこにあったか

マッチが作られたと思しき1950年代前半。その時代に発行された「パチンコホールの名簿」があれば所在地確認は簡単なのですが、残念ながらそういった書類の現存は確認できていません。

しかし、手がかりになりそうな資料を見つけました。2014年に出版された「名古屋なつかしの商店街」(風媒社)という本です。120~121ページに、1966(昭和41)年当時のすずらん通り商店街の手書き地図が掲載されていたのです。

この地図からは、「正村」のほかに「麗都」という名前のパチンコ店があったことをうかがえます。それぞれの位置を現在の地図に書き込むとこうなります。

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鈴蘭劇場前にあったのは「麗都」というホールで、「正村」は離れた場所にありますね(120mぐらい離れてます)。これでは「鈴蘭劇場前」とは言い難いです。鈴蘭劇場跡は現在「すずらん公園」になっています。

今回、情報提供してくださった方からの証言にこういうものがありました。

「1989年~1992年ごろ、すずらん通りには2ヶ所パチンコ店がありました。鈴蘭劇場があった場所は公園になって、その真ん前にあった麗都によく通ってました。羽根モノとチューリップ台ばっかりの小さな店なのにお客はいっぱい。正村は『スズラン会館』という名前に変わっていたのを覚えてます。こちらはガラガラでした」(情報提供者:アンドレさん)

この方に、正村(スズラン会館)の場所を確認したところ、さきぼどの地図の通りで間違いないとのことでした。

となると……マッチラベルの「鈴蘭劇場前の正村」とは一体何なのでしょう?

可能性1:昭和20年代には鈴蘭劇場前にもう1軒別な「正村」というパチンコ店があった
可能性2:「麗都」は昭和20年代に「正村」という名前だった

パッと思いつくのはこの2つですが、調べるうちに面白い文献を発見しました。


「正村」はあの「正村」だった

パチンコの歴史にお詳しい方なら、「正村」と聞いて「あの正村の系列店?」と思われたと思います。「現代パチンコの父」と称される大人物、正村竹一氏が創業したパチンコメーカー「正村商会」です。名古屋市内には、この正村竹一氏の息のかかったパチンコホールがたくさんありました。

一方で、正村商会が製造するパチンコ台の爆発的な人気にあやかって、正村商会製と偽ったパチンコ台が出回ったり、正村商会と無関係だけど正村を名乗っていたホールが全国的にあったようです。

大曽根の正村は、正村竹一氏と関係があったのでしょうか?

資料を探して手に取ったのが正村竹一氏の生涯を記した名著、鈴木笑子著『天の釘』(晩聲社・2001年)です。この中に、すずらん通りのホールに関する記述がありました。

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鈴木笑子『天の釘』晩聲社 2001年

正村竹一氏にはホール経営をのれん分けした「ホール四人組」の弟子がいて、特に可愛がっていたのが金田氏と津村氏という2人でした。あるとき、津村氏が経営していた愛知県瀬戸市のホールのすぐ前に、金田氏が「麗都」という新店を出店し、双方が共倒れになってしまいます。これを見て「直系の弟子でも仁義に反することは徹底して許さない」という竹一氏が怒り、金田氏が新店オープンを予定していた東区代官町と北区大曽根の土地のすぐ前に店を開き、金田氏の店をつぶせ、と津村氏に指示したと言います。

<引用>
金田が瀬戸市で津村の店の近くに開けたいきさつについて、竹一の息のかかっている直系の弟子同士なら事前にキチンと筋を通せ、仁義を切れという戒めだったのであろう。<中略>

筋の通らないことをすると、四人組でも容赦なく制裁したが、竹一は両者を潰すようなことはしない。結局津村に土地を買わせたものの、「話はつけたで、代官町の土地は麗都に分けてやって、その代わりにお前は大曽根に土地を買って店をやれ」と命じている。竹一の言う通り、津村はすずらん通りにある「お福」という旅館を買って開店した。そこは金田の店とは少し離れていた。それが竹一の作戦かあるいは温情か。互いに正々堂々、負けないよう競争しあって商売に精を出せよ、ということである。(下線引用者)

鈴木笑子『天の釘』晩聲社 2001年

なんと、「麗都」も正村竹一氏のお弟子さんが経営していたホールでした。そして津村氏の店は「麗都」から離れた場所にあったと鈴木氏は書いています。津村氏がすずらん通りに開いたホールの名前までは記されていませんでしたが、この流れから見て、マッチラベルの「正村」だと考えるのが妥当でしょう。つまり、

可能性3:鈴蘭劇場のすぐ前ではないけど、なぜかマッチラベルにはそう記されていた

というぶっ飛んだ推理が必要だったのです!

なぜ「鈴蘭劇場前」と書かれていたのか……。

この件についてはまだ謎が残っているので、今後も調査を続けたいと思います。

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麗都があった場所の現在

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正村があった場所の現在


<MAP>

記事にした以外のマッチラベルも少~しずつ追加しております!


~次回のマッチラベル~

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次回は大作にしないでサクッと書きますよ! 今回大曽根界隈を調べていてとても面白かったので大曽根シリーズ第2弾です。「パチンコ日乃出」というホールです。情報やエピソードをお持ちの方は、

栄華Twitter:@henaieika 宛にDMか、

tengo2.5.777@gmail.comにe-mailをお寄せください。

お待ちしております。


~補足:すずらん通りについて~

すずらん通りは、大曽根地区を代表する繁華街のひとつだったそうですが、現在はすっかり賑わいを失っています。前述の情報提供者のアンドレさんは、平成初期のすずらん通りの様子を「お年寄りだらけでしたが、狭いのに人通りが多くて活気ムンムンでした」と述懐して下さいました。

また「あるカポね」さんという読者さんから、昭和40年前半のすずらん通りについてこんな思い出話を分けて頂きました。とてもステキなお話でしたので、当時を思い描きながら読んでみてください。

すずらん通りの更に西側の大杉町に住んでました。杉村小学校に通ってました。

すずらん通りの西側入り口にはおもちゃ屋さんがあったかと。ミニカーのレースができる「シズラー」のレースセットを親戚のおじさんに購入してもらった記憶があります。こち亀みたいな商店街です。

父は結婚前からバイク乗ったり、パチンコしたりとそこそこ遊んでたらしいのでそのホールに行ってた可能性があります。残念ながら昨年他界したため話しは聞けずです。

すずらん通り近くはその昔城東園と呼ばれた、いわゆる遊郭がありました。そんな場所なので娯楽は劇場があったり映画館もあり娯楽センターがあったようです。母いわく、その映画館近くにパチンコ屋さんがあったような。

私が小さい頃は城東園辺りからすずらん通りを散歩してたようです。子供ながらに『綺麗なお姉さん』と声に出して言い、お姉さんからお菓子をもらってたようです。そんな庶民的な楽しい町だったみたいですよ。

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すずらん通りの北側には、遊郭やカフェーだったと思しき建築物が現在も残っています。にぎやかな歓楽街が、すずらん通りに人の流れを呼び込んでいたんですね。


※この記事は2021年4月に発表されたものです。掲載サイトの移行に伴い加筆修正しました(2021.11)

<参考文献>
『写真アルバム 名古屋の昭和』樹林舎 2015年
『名古屋なつかしの商店街』名古屋タイムズアーカイブス委員会編 風媒社 2014年
『天の釘』鈴木笑子 晩聲社 2001年
『全国遊技場名鑑』娯楽産業協会 1969年度版~1995年度版
『なごやの町名』名古屋市計画局 1992年

<スペシャルサンクス>
アンドレさん
あるカポねさん
すずらん通りでお話をうかがった皆様

プレゼンテーション2

パチンコ店の「建物」に偏愛を捧げるフリーライター。全国47都道府県、2500店舗以上のホールを訪問。「八画文化会館 vol.7 I ♡ Pachinko Hall ~パチンコホールが大好き!~」監修。主な執筆媒体は「パチンコ必勝ガイド」。CS放送パチテレ!に出演多数。偏愛パチンコバンド「テンゴ」のボーカリストとしても活動。


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