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マッチでパチンコホールMAPを作ろう ⑤愛知県 「ニュー三高」(名古屋市中区)

こんにちは。

夏の図書館通いを風物詩として枕にしていた先月が懐かしい偏愛ライター栄華です。この1ヶ月で風情は雲散霧消。同じ場所に長く留まることは感染リスクにつながりますので、図書館での所作にこれまで以上のスピードが求められます。資料カウンターと机とコピー機の往来で汗だくになりゆく様はまるでスポーツ。息を荒げることなく「調べもの」の限界に挑む孤独なタイムトライアルです。

そしてまた、こんな時に限って普段より調べたいことが噴出してしまうもの。まあ、調査対象が特にパチンコ店の多かった名古屋屈指の繁華街となれば致し方ないでしょう。と、愚痴のような前置きはこのへんにして、今回も粛々と「マッチでMAP」(って呼んでね)を作成します。

<マッチでパチンコホールMAPを作ろう>
昭和時代のパチンコ店の広告マッチを蒐集している栄華が、ラベルに記された情報からお店の所在地(できればマッチの作られた時期も)を特定し、「昔のパチンコ屋さんマップ」を作成する!


あのメーカーの直営店?

ニュー三高(にゅーみたか)

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『全国遊技場名鑑(娯楽産業協会編)』をはじめ、住宅地図や情報提供により、所在地は名古屋市中区錦3丁目14-10と判明しています。現地へ赴いてみました。

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▲現在はコインパーキングに

この場所へ足を運んだのは12~3年ぶりぐらいでしょうか。実はパチンコライターにとってはちょっと特別な場所なんです。その理由は、GoogleMAPに残る過去の画像を見るとわかります。

高尾の『CR一騎当千SS2』のグラフィックシートでラッピングされたビル、2014年2月の画像です。ここは、1995年から2014年までパチンコメーカー「株式会社高尾」のショールームでした。私も何度か試打に訪れたことがあります。

このビルの屋上サインをご覧ください。

「MITAKA」というロゴが見えますね。パチンコ店「ニュー三高」を経営していた会社の自社ビルです。高尾は昭和25年に「高尾製作所」として創業していますが、1970年代までは「三高工機」というメーカーとしてもパチンコ台を製造していました。

つまり、「ニュー三高」は、三高工機=高尾の直営店だったんです。


<MAP>


マッチが作られた時期

マッチの製作時期については、ネット上に貴重なヒントが残っていました。名古屋市内の法人会が、高尾の系列会社「有限会社サム」の内ヶ島厚志社長に行った2005年のインタビュー記事です。

◆一般社団法人 中川法人会 「企業訪問」
http://www.nakagawa-ho.or.jp/spcial/kigyo/kigyo8.html

この中から少し引用します。

昭和42年には栄に自社ビルを建設、娯楽施設としてオープンさせた。
地下1階と1階はパチンコ屋にして2階と4階を麻雀、3階には当時としてはまだ珍しかったサウナの営業も始めた。

一般社団法人 中川法人会 「企業訪問」

マッチの記載と符合しますね。「ニュー三高」は1967(昭和42)年オープンであることが分かりました。

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▲これは、ニュー三高のマッチラベルが貼り込まれていたスクラップブック。当時、コレクターの多くがこのようにスクラップブックにラベルを糊付けして蒐集していました。

この中から「製作年が容易に分かるもの」を洗い出してみると、完璧ではありませんが年代を推測することができます。結果、1970年製と思われるラベルがほとんどで、それ以降のものはありませんでした。ニュー三高のマッチは、1967年(開店)~1970年の間に作られた可能性が高いと思われます。

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▲製作年の分かるマッチの一例。豊橋けいりん「開場21周年」と記載があり、開場は1949年なので1970年のものと分かります

「ニュー三高」の開店は1967(昭和42)年と述べましたが、住宅地図を調べたところ、同じ場所に「三高工機」の社屋が1963(昭和38)年ごろから存在していたことが判明しました。当初メーカーの営業所だった建物を1967年に総合レジャービルにした、という流れでしょうかね。 『全国遊技場名鑑』から「ニュー三高」の記載が無くなるのは1976(昭和51)年。この年以降も「三高ビル」は残り続けますが、住宅地図からもパチンコ店「ニュー三高」の名は消えてしまいました。

<1976年のビル内明細>
●地下1階・1階:業種不明の店舗
●2階:着物学校や会社のオフィス
●3階:商事会社のオフィス
●4階:サウナみたか

4階のサウナにレジャービル時代の名残はあるものの、テナントビルになっていたことがうかがえます。「ニュー三高」は10年足らずで閉業してしまったんですね。


「正ちゃん」のこと

さて、高尾の直営店といえば、「正ちゃん(しょうちゃん)」を思い浮かべる方が多いと思います。2000年代の中ごろまで、愛知県内には直営店が4店舗ありました。

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「正ちゃん」
①尾頭橋店(名古屋市中川区)
②太田川店(愛知県東海市)
③大治店(愛知県海部郡※上の写真は閉業後の大治店)

「パーラーサム」
④豊明店(愛知県豊明市)

私がパチンコホールの撮影を本格的に始めた2010年には、すべての直営店がすでに閉店。貴重な現役時代の姿を撮り逃してしまいましたが、心優しいアンドレさんが尾頭橋店の写真を提供してくださいました。

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テントに「SINCE 1950」の文字が。

前出の内ヶ島社長のインタビューの中に、この店に関する記述があります。

ある時店先に2~3台、当時流行り出したパチンコを置いたところ、それが主婦や仕事帰りの人たちに人気があり、1台2台と増やしていくうちに店の半分がパチンコ店になりました。その後順調に規模を拡大して行き、パチンコホール「正ちゃん」として新しいスタートを切ることになったのです。
「それが昭和25年。だから尾頭橋店は創業してもう55年になりますね」(※2005年当時)

一般社団法人 中川法人会 「企業訪問」

創業店舗である尾頭橋店は、一番最後まで残った直営店でもありました。創業60年の節目を迎えることなく2009年に閉店しています。

▲2015年のアンドレさんのツイート。1960年代に撮影されたと思しき「正ちゃん尾頭橋店」の写真が!


最後に、「正ちゃん」つながりで気になるマッチラベルが出てきたので触れておきます。

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「名駅裏椿神社東」にあった「正ちゃん遊技場」。椿神社はおそらく名古屋駅の西、中村区則武2丁目に現在もある「椿神明社」のことでしょう。図案や印刷の質から見てかなり古いマッチのようです。図書館で閲覧できる住宅地図の中で最も古い1955(昭和30)年のものに記載がなく、今回は場所を特定することができませんでした。

ここも高尾の直営店だったのでしょうか……?
調査を続けます。


次回のマッチラベル

名古屋市中区のホールについてもっと書きたかったのですが所定の文字数に達しました。次回は「ニュー三高」から徒歩数分の場所にあった「ハンエー」のマッチラベルをMAPに加えます。

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「名宝劇場東」という記載が気になりますね。パチンコホールだけでなく、映画館や周辺のお店のことなど、何かご記憶やエピソードをお持ちの方は、

栄華Twitter:@henaieika 宛にDMか、

tengo2.5.777@gmail.comにe-mailをお寄せください。

どうぞお気軽に。
お待ちしております!


<情報・写真提供ありがとうございました!>
アンドレさん
きまぐれ★オレンジロードさん

※この記事は2021年8月に発表されたものです。掲載サイトの移行に伴い加筆修正しました(2021.11)

〈参考文献〉
「全国遊技場名鑑 西日本編」 娯楽産業協会 1969~1977年
名古屋市全商工・住宅案内図帳 中区住宅地図協会/編 1961年、1965年、1967年、1969年、1970年、1971年、1973年、1975年
名古屋市新住宅宝典 中区(南部) 中区(北部)  住宅協会/編 1963年、1964年
ゼンリンの住宅地図 名古屋市中区 日本住宅地図出版 1976年

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パチンコ店の「建物」に偏愛を捧げるフリーライター。全国47都道府県、2500店舗以上のホールを訪問。「八画文化会館 vol.7 I ♡ Pachinko Hall ~パチンコホールが大好き!~」監修。主な執筆媒体は「パチンコ必勝ガイド」。CS放送パチテレ!に出演多数。偏愛パチンコバンド「テンゴ」のボーカリストとしても活動。




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