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「自分はなぜ"不燃"になってしまったのか?」 その理由は自分自身で気づいているのでは?

人はどのタイミングで「心が折れたり」、その結果「不燃」人材になってしまうのかなと考える機会がありました。

※不燃人材:仕事に対して熱が入らなくなってしまった状態の人材。

皆さんもおそらく、人生のどこかのタイミングで「心が折れた」だったり「熱くなれなくなった」という経験をしたことがあるのではないでしょうか?

「あいつはいつも熱いねー」
「なぜ、あの人はあんなに頑張れることができるんだろう」

と思ったことはりませんか?ただ、こう思ってしまうことは人生においてもったいないことだと個人的には思っています。

少し昔話をします。

僕が人生において初めて心が折れたのは小学5年生の頃。当時所属していたサッカーのクラブチームで1学年上の先輩と公式戦で当たった時。5対0で負けました。圧倒的な実力さを感じて呆然としたのを今でも覚えています。その時に当時のサッカーコーチから、「あのチームは、今のお前らの同年代の全国大会で勝てるくらいの実力があるのではないか」と聞いて、「あ、そんなに強いチームと試合させてもらえてたんだ」と違う感情が芽生え、「今この瞬間からまた練習がんばろう!」と思ったのを覚えています。

2回目もサッカーなのですが、中学1年の頃、当時所属していたサッカーのクラブチームで、同年代の町田市にあるチームにコテンパンにやられました。2回試合をしておそらく合計スコアは8対1くらいだったと思います。そんなに大差で負けた経験は人生でもほぼなく、同年代のチームにこんなにもコテンパンに負けるんだ、と正直心が折れかけました。ただ、翌日には立ち直っており、当時からいつも朝練を個人的にやっていたのですが、その時間を早め、前日で何が通用しなかったのかを考え練習メニューを組み、取り組んでいました。そしてそのチームは全国でベスト8に入っていました。

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サッカーの話で恐縮ですが、サッカーを続けている者として小学⇒中学に上がるときって重要な局面なのです。中学になると部活or地域のクラブチームに入るのですが、それまでは経験をしていなかったレベルのプレーヤーがいる。そのプレーヤーを見て「あ、俺勝てないかも」とすぐに辞めてしまうプレーヤーが3割くらいいたりします。山根の友人でも一人すぐに辞めてしまったプレーヤーがいました。すごくもったいないんですよね(これ以降はこの話題は割愛しますが)
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また、社会人になっても心が折れる、挫折することはもちろん何度かありました。ただ、学生の頃に何度かその類の経験をしていたため、割と正面から受け止めることができ、「すぐに改善しよう」というアクションに動けたことは、僕としては血となり肉となっているのではないかと感じています。


本ブログの本題に戻します。

今僕は社会人14年目に入っているのですが、共に働く社員やパートナー企業で働く方々で、

「過去にこんなにもやる気/熱意があったのに、心が折れたのか、不燃になってしまったのか」

という方をたくさん見ています。

これは必然的に起こっている事項だと思っており、どういったタイミングでそれが起こり得るのか考えてみました。

1. 周りとの「実績」の差、「スキル」の差を感じたとき

これが一番多いのではないかと思います。

最初は皆、一定のやる気/熱意があったのに、なぜ不燃になってしまうのか?

新人の頃は、割と「教えてくれる」立場のため、わからないことは聞けますし、実績が出てなくても大目に見てもらえる。

ただ入社して半年も経過すると、同期との差もつきはじめ、結果的にその生まれてしまった差を外部要因にしてしまう。

例えば、「あの人は運がよかった」「あの人は環境が良かった」「自分には運がなかった」などのように。

直視しなくてはならないのは周りとの実績の差やスキルの差であり、つまり今あなたは「挫折」しており「心が折れて」いることを真っ正面から認識しないとならない。ただあらゆる理由をつけて逃げようとしてしまう。ここで目線を下げてしまうと、結果的に仕事において困難に遭遇したときに「不燃」になってしまうのではないかと思っています。

2. 周りとの「熱量」の差を感じたとき

仕事は能力やスキルだけでするものではありません。重要なピースの一つは「マインド」だと思っています。「マインド」は学歴も地頭は関係なく、誰にでも平等に与えられた能力の一つです。

スポーツよりも仕事のほうが頻繁にジャイアントキリング(弱者が強者に勝つ)が起こると僕は思っているのですが、その一つの要因は「マインド」にあると考えています。

そして「熱量」と前述しましたが、今取り組んでいる仕事に「夢中」になれないことに対して、「その仕事内容」に原因を設定してしまうと良くないと感じています。であれば仕事内容を変えれば「夢中」になれていたかと言うと、それはイコールではつながりません。

どんな仕事であっても、それぞれの領域(仕事内容)において能力、スキル、熱量の違いが生まれます。これまでの人生において「不燃」寄りの方は、自分に原因を向けていかないと、どんな仕事をしても不燃になってしまうのではないかと思っています。

3. 周りのメンバー/上司の影響

もちろん少なからず周り(環境)が影響してしまう方もいらっしゃるかと思います。ただ本ブログでは「自己責任」の内容に寄せたいため、ここは割愛します。

最後に

本ブログでは「心が折れる」「不燃」について記載しましたが、これ以降は僕の個人的な意見だと思ってください。

僕が不燃になりかけたとき、もちろん「可燃」の人は存在していました。純粋にその「可燃」の人が「羨ましかった」のを覚えています。

「あ、あの人の立場になれれば、今この不燃になっている感情を持たなくて良いんだ」

と。また

「あの人さえいなければ、自分が可燃になっていたんだ」

と考えたこともありました(もしかしたら、これはスポーツや営業会社に勤めていただいていた方は共感していただける方多いかも?)。

そのため「不燃」になってしまう方は「可燃」の方に対して、一種の「憧れ」というと語弊があるかもしれませんが、

「本当は自分も熱く人生を過ごしてみたい」
「必死になれることと出会いたい」
「周りに良い影響が齎すことができる人間になりたい」

と思っているのではないかと思っています。ただ、それにはなれず、不燃になってしまうと「愚痴」が始まってしまう。これは非常にもったいない。


皆さん。

今からでも全然遅くないため、「可燃」側になれるよう自分を変えてみてはいかがでしょうか?


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