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モチベーションの「変動」が無いことについて

「山根さんは、何をモチベーションに仕事をしているのですか?」

これまでの人生の中で、100回以上はこの質問を受けたことがあります。山根と仕事をしたことがある方はご理解いただけるかもしれませんが、僕はモチベーションの「変動」がほぼありません。

誤解がないように申し上げると、「今日はだるいな」「今日は朝から全開!」という細かい変動はありますが、日にちをまたぐモチベーションの変動や、むしろ数時間以上の変動もありません。

ただ「それは何故か?」と聞かれると、これまでそこまで明瞭な返答ができていなかったと反省しました。

「モチベーションが上がる/下がる、という議論をしている時点でプロフェッショナルではないし、目の前にある仕事を早期に/クオリティー高くこなしていくことは当たり前のことだから」

と一緒に働いている人には伝え続けてきました。「はい、そうですよね」という反応を皆さんしていましたが、これについてもう少し詳しく説明したほうが良いのでは?と感じましたので、自分の備忘録として、そして社内外の方々からご質問をいただいたときのために本ブログに書いておきたいと思います。

※本ブログは、頭の中にあることを徒然なるままに記載して参ります。そのため、乱文になるかもしれないのですが、ご容赦ください。


0. 山根がモチベーションの変動がない理由/原体験を考えてみる

なぜ僕はモチベーションの変動がないのか(ポジティブな意味で)と、自問自答した際に思い浮かぶことを書いていきたいと思います。

 0-1. チーム/コミュニティーにおいて1番にはなれなかったが、常に上位にはいた

幼稚園の時、小学校の時を振り返ると、何かにおいて僕が1番になることはほとんどなかったのではないかと思います。足の速さ、頭の良さ、人気者など、この年齢層の時に自然と周りの人たちと比較する項目において、僕が1番になった記憶はありません。
そのため、必然的に「自分よりできる人たちと比較した際に、自分は何ができるのか」という感情を幼稚園の頃から持っていたことは、今でも覚えています。
世の中は、ありとあらゆるタイプの天才がいるかと思います。天才は、特に何も努力をしていなくても1番になれる人だと仮定したときに、自然とできてしまうため、当時は劣等感や努力をすることを覚えないのかもしれません。僕は割と、幼少期の頃から劣等感を感じるタイプではあったのかなと今振り返ると思います。

 0-2. 毎朝家の周りをランニングしないとご飯を食べれない

今振り返ると、父親が意図を持ってそうしていたかと思うのですが、幼稚園の頃から、朝起きてから着替えて家(団地)の周りを2周走らなければ、ご飯が食べれないというルールがありました。幼少期の頃なので、特に何も疑問を持つことなく(文句を言っていたかと思うのですが)、実行していました。これは確か小学校2年生頃まで毎日継続していた記憶があります。

 0-3. 学校のプールの進級ができなかった

僕が通っている小学校では、夏休みにプールを解放しており、そこで様々な試験のようなものが行われていました。試験といっても、「バタ足ができる」「クロールができる」「クロールで25メートル泳げる」などのレベル感です。
最後のひとつ前のテストで、「クロールで25メートルを○○秒で泳ぐことができる」というような内容でした。小学1年生の頃にその試験を受けたのですが、僕はもちろん合格する気満々でした。ただ、2秒タイムには満たさずに不合格でした。その時に、人生で初めて悔し泣きをしたことを覚えています。当時、母親にも「それは悔し泣きだ、頑張れ!」と教わったことを覚えています。

 0-4. 小学3年生の頃から始めたサッカーの朝練

僕は小学校1年生の頃にサッカーと出会い、3年生の頃からきちんとサッカーを始めました。僕が入っていたのは地域のクラブチーム(小学校のサッカークラブなどではない)であり、幼稚園の頃からサッカーをしている人たちもいるようなチームでした。そのため、自分がきちんとサッカーをやり始めた頃に、すでに他のメンバーはサッカー経験が3年以上あったりする環境でした。
そして小学3年生の頃に、「チャイルド&ファミリーサッカー東京都大会」という名前の大会があったのですが、その大会で東京都ベスト8?くらいまで進んだ記憶があるのですが、僕は控えでした。
試合を見に来てくれた母親が弁当を作って持ってきてくれて、お昼ご飯は1人で端っこで食べたのを今でも覚えています。小学3年生ながら、複雑な感情になったことを覚えています。
そこで、「人と同じことをしていても全然ダメだ」と思って、毎朝5時半から大きめの公園に行って朝練を開始しました。当時、論理的に考えて実行したわけではないかと思うのですが、おそらく悔しさが先行していたのではないかと思います。人(コーチ)に評価されて、自分がメンバーに選ばれなかった、という事実に対して自分ができる事は何か⇒練習するしかない、と当時考えたのかと思うのですが、その日から朝練を開始しました。その日から毎日朝練を開始しましたが、中学3年生の頃まで継続していました。

※ここで1つ補足をすると、小学3年生以降、高校卒業まではほぼサッカーで僕の経験は形成されています。ただ、中学1年生の頃にバドミントン部に入部し、バドミントンが楽しくなってしまい、サッカーを止めてバドミントンに懸けようと思ったことがありました。当時はサッカーの練習が週5日程度あり、バドミントンは週3日程度行っていました。自分のスポーツに対しての熱量が2つのスポーツに分配されていたような、そんなイメージでした。

 0-5. 小学校のサッカーのコーチ、高校のサッカー部の先生

指導者にはかなり恵まれた人生だったと思います。
小学校のサッカーコーチである麻生先生には、サッカーのことはもちろん教わりましたが、「人となり」と言いますか、挨拶だったり礼儀だったり、元気だったり、人として必要なことをたくさん教えてもらった記憶があります。
高校のサッカー部の山下先生は高校生以下のサッカー日本代表のコーチにも呼ばれるくらいすごい方なのですが、ずっとサッカーを教わっていたというよりは、コミュニケーションだったり、信頼感、これも人として当たり前のことを学んでいたようなそんな記憶があります。
本ブログの「モチベーション」とはそこまで関係はしてないかもしれないのですが、良い指導者の方々に恵まれたと思っています。

 0-6. 高校サッカー部の坂本、山本、三木の存在

高校のサッカー部でも、朝練を継続していたのですが、高校1年生の頃から僕は朝一番に学校へ行き練習をしていました。そこに呼応してくれる同年代のメンバーである坂本と山本というメンバーがいました。2人とも当時のメンバーでしたが、一緒に上手くなりたい!と心から思えるメンバーで、「自分が下手だから人よりも練習量をやらなきゃいけない」という思いがすごく強かった覚えがあります。

高校2年生に入ると、三木というメンバーが入学しました。彼はものすごくセンスがあったのですが、身体能力が高いというわけではありませんでした。彼は僕が高校3年生の時に控えだったのですが、僕よりも朝早く練習に来ていました。僕も張り合って朝早く規定練習していましたが、「あ、自分より努力する人間がいるのか」とびっくりしたことを今でも覚えています。
少し話は逸れますが、彼は、確か20代中盤くらいから海外に行っており、海外でプロサッカー選手として36歳になった今でも現役でサッカーを続けています。すごく尊敬しています。

 0-7. 新卒1社目で入社したときに、同期に勝てなかったこと

(少し話が飛びます)
社会人に入り、新卒1社目はネオキャリアという企業にお世話になりました。ネオキャリアは、目標文化であり、成果が常に見える化されており、僕の同期は25人いたのですが、そのメンバーの中で1年間を通して誰が最も活躍したのかを表彰される機会がありました。俗に言う、新卒MVPのようなものです。僕はもちろんそれを狙っていたのですが、結論としては受賞できませんでした。ちなみに3位にも入れませんでした。
スポーツで負けたことの経験はたくさんあったのですが、社会において、全社員の前で自分の負けを発表される(もちろん「山根が負けだよ」と会社で発表されるわけではなく、他のメンバーが受賞したまでに過ぎないのですが)という体験は、僕にとっては大きな衝撃でした。スポーツ以外の真剣勝負に負けたんだ、自分は大したことがなかったんだ、自分は普通にやっていても人に勝ることはないんだ、と。
サッカーにおいて少しは成功体験を積んでいたため、ある程度自分に自信を持っていたのかもしれないのですが、無残に砕け散りました。今振り返ると、この経験があってものすごく良かったと思っています。そこから自分自身意識を変えるよう試みたのですが、(詳細は割愛しますが)仕事におけるアクションを変えていきました。

まだ原体験があるのですが、僕の記憶だと社会人になりネオキャリアで3年半程度仕事をさせていただき、1度目の独立を迎えた26歳くらいのときには「モチベーション」というものに自分自身が振り回された記憶はありません。そのため、上記の7つが僕にとって重要な体験だったのではないかと思っています。


1. (補足) モチベーションの上下があることを否定しているわけではない

誤解がないように申し上げると、モチベーションの「変動がない」ことを是としているわけではありません。モチベーションの上下があることによって、大きな成果を上げることもあるかと思いますし、否定しているわけではないことはご理解ください。

ただ、「モチベーションが今上がらなくて」と仕事に身が入らなかったり、成果が出ていないことをモチベーションを理由にすることは、僕は違うと思っています。それは他の問題が絡み合って、モチベーションという便利な言葉に頼っているだけだと思っています。


2. モチベーションの変動を無くすためにすべきこと

※何度も誤解がないように申し上げるのですが、モチベーションの変動をゼロにすることが間違いなく良い!ということを伝えたいわけではありません。ただ、山根が社内外の方から「モチベーションの変動がないのはなぜですか?」「私もそう在れば嬉しいと思っているのですが」というご質問をいただくことが多いため、僕なりに本ブログを書いているとご認識ください。

 2-1. 「強烈な負け」の体験を積む

率直に思ったのはこれです。「モチベーションが云々」という話をする人は、おそらく自分に保険をかけている方が多いのでは?と思います。
例えば、今在籍している企業において「年齢は同じだけど年次は先輩」という方がいらっしゃるかと思います。年次(経験)はその先輩のほうが上であるが故に、「負けても経験が自分よりも多いから仕方ないか」と自分に言い聞かせている方が散見されます。
一方で、「年齢も年次も低い後輩」に仮に負けてしまった際に「あいつは部署が違うしな」「あいつはお客様に恵まれていたんだ」「良い上司がついているからな」と言い訳を作ってしまうことがあります。これはダメです。
話を戻しますが、自分と比較しやすいのは年齢/年次が近いメンバーです。また、本件のモチベーションについての議論においては、年齢と年次が低いメンバーに強烈に負けてしまう経験は貴重なのではないかと思っています。

どういうことかというと、年齢も年次も低いメンバーに負けるとプライドがズタボロですよね。おそらく凹むかと思うのですが、そこで「俺、モチベーション上がらないっす」と言っていたらかなりダサいですよね。となると、モチベーションの話なんてできなくなります。そのため、強烈な負けの体験はすごく良いと思っています。

考えてみると、この1つがまず筆頭なのかなと思ってしまいました。
なぜかというと、僕の原体験をたくさん記載したのですが、やはり自分への劣等感や、人に勝てなかったこと、自分がやるべきことは何なのか、と感じたことが根幹だったのでは?と思いました。

ただ、本ブログをご覧いただいている皆さまが、必ずしも2-1に記載をした経験を積むことができるとは限りません。そのため、他にもありそうなので、また記載を続けたいと思います。

では。

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