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立ち飲み屋が苦手な僕が立ち飲み屋に行く理由

 立ち飲み屋が苦手だ。


 店構えがまず入りにくい。そして、一歩勇気を振り絞っても店の中でワイワイしている常連がいて心が折れる。意を決して入店できても、話しかけられたらどうしよう、店の人とうまくコミュニケーションできなかったらどうしようという不安が襲う。不安があると酒はまずくなる。まずい酒を飲むくらいなら一人で家で缶チューハイでも飲む。


 これは、「立ち飲み屋=常連の人と店員を交えながらワイワイコミュニケーションする場」という考えからくるものだ。
 世間的な立ち飲み屋の印象はまずこれではないか。この印象があるからこそ人はまず怖気付く。私もそうで、性格も災いして30近くになるまで立ち飲み屋は「こわい場所」という印象だった。
 そして私は「キレイめ」な店を回る。しかし、その世界で感じる疎外感。若者特有のノリ。これが一切わからない。話しかけられても「正しいノリ」がわからないのだ。いつの間にか、「キレイめ」な店も「こわい場所」へと変わっていった。
 とはいえ酒を飲むことが好きな私は、酒を飲める場所を求める。求め歩いて、最後に行き着いたのが、地元の立ち飲み屋だった。


 この店は以前から知っていたものの、玄人じみたおっちゃんたちがガラス越しに談笑しているのを見て、自分とは縁遠い世界だと思い込んでいた場所だ。新型コロナによる非常事態宣言が明けてすぐのころ、酒を外で飲みたいという気持ちから何気なくこの店に入ってから、立ち飲み屋について考え直させられた。
 断っておくが、立ち飲み屋への苦手意識が完全になくなったわけではない。コミュニケーションの素晴らしさに気づいたわけでもない。僕は相変わらず立ち飲み屋に入るまでは緊張するし、見知らぬ人と話せない。
 唯一変わったとすれば、「立ち飲み屋=常連の人と店員を交えながらワイワイコミュニケーションをする場」とは限らないのではないか、という考えに至ったことだ。


 非常に表現しがたいが、立ち飲み屋には「可変性の非常に伸縮性のある膜」が張られていると思う。なんとなく、中学や高校で習った浸透圧や細胞壁や細胞膜の話を思い出してもらうといい。立ち飲み屋は非常にシームレスで、プライベートな領域に踏み込まれると思っていた私は面食らった。
 これは私の運が良かったのかもしれない。初めて立ち飲み屋に入ったとき、常連客は楽しく談笑を続ける。僕を無理に会話に入れようとして困惑もしない(僕は客観的に見て初対面だと話しにくい相手だと思うし、話していて楽しい思いをさせられるという期待にも応えられない)し、店主も他の客と同じように快活に対応してくれる。一切気分を害することなく、むしろ快適に時間を過ごすことができた。


 ハイボールと駄菓子ほどの値段の串カツ。なんということのない味(串カツは本当にうまい。衣が絶妙)なのに、忘れられない。あれほど「立ち飲み屋=常連の人と店員を交えながらワイワイコミュニケーションをする場」だと思っていたのに、立ち飲み屋で、しかも黙って時を過ごすのが心地よかった。
 繰り返しになるが、立ち飲み屋には「可変性の非常に伸縮性のある膜」が張られている。それは、コミュニケーションの窓口は常に開かれているが、双方にその気がなければこじ開けられることのない、非常にゆるやかなコミュニケーションのあり方だ。話したい人は話したい人と盛り上がれるし、僕のように黙って飲みたい人にも門戸は開かれている。このフレキシブルさは、様々な立ち飲み屋に通いながらも常に実感できる点だ。
 もちろん、僕も不意打ちのように話しかけられることがある。ときには不快な話もある。このような例外はもちろんあるが、黙っていても許される、黙ることも立ち飲みのあり方の一つだ、と空間全体が合意してくれているのが心地よい。
 僕は「立ち飲みで黙って飲む」という面白さに気付いたのだろう。
 自己保身のように聞こえて見苦しいだろうが、僕は話しかけられたら会話はする(上手くはないし面白くもない)。感じの悪い客であれ、と言っているのではない。「黙る」という飲み方さえ許される立ち飲みのあり方を問うている。


 この世界の中で、特に自分がしたくないことをせずに許され、自分のあり方を認めてくれる場、そんな多様な場が立ち飲み屋だとはよもや思いもしなかった。
 立ち飲み屋は「閉じた」世界などではなく、「過剰に開かれた」世界でもない。
 前に何かの本で読んだが、満員電車の中で新聞紙を読む行為は、自分の世界に入りながらも、裏面が他の客に見えることで他にも開かれている。そして新聞紙を丹念に折ることが他者への思いやりなのだ、という一節を思い出す。心地よい「開かれ」が立ち飲み屋にはある。

 是非とも、立ち飲み屋に行ったことがない人は行って欲しい……と声高々に言いたいが、僕はあくまで自分の生活圏の中で話しているだけだ。立ち飲み屋の「聖地」と呼ばれるような場所はほとんど知らずにこの文章を書いている。だから、もしも立ち飲み屋に初めて行った人が、僕とは違う感想を抱く可能性だってある。そこで折れずに別の店を……!と言いたいが、そこまで言う資格もない。僕は立ち飲み屋を極めた人間として語る立場にもない。
しかし、一人の人間の実感として、立ち飲み屋への印象が変わったことは間違いない。だからこそ、僕は、気が赴くままに「黙って飲む」立ち飲みのあり方を発信できればと思う。
 僕は立ち飲み屋で黙って飲む。BGMを聴き、メニューを見回し、常連客の話に耳を傾ける。
 でも、しかし、こうして文章にして思いを書いているということは、僕は実は「話したい」人に他ならないのかもしれない。黙って飲みたいと思いながらも話しかけられるのを待っているのかもしれない。しかし、そんな自意識はどうだっていい。
 僕は僕である限り、明日行く立ち飲み屋に僕は緊張して入れないかもしれない。何回も行った店なのに。まあ、そんな日があっても良い。入れたら黙って飲もう。


【今日の立ち飲み】

京都駅前にある立ち飲み屋「ひょうたん」

ハイボール400円×2

焼塩鯖300円

豆腐煮250円

らっきょ100円

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