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TOEICは「僕の存在証明の手段」だった。

くそったれ。


私がTOEICを本気で頑張れた理由。

それは、英語が好きだったとか、海外で働きたいとか、そんな動機じゃない。

ただ、自分の存在を認めさせたかった。大学受験に失敗した自分を、再びみんなに認めてもらいたかった。それだけだった。そこに都合よくたまたま出会ったのが、TOEICだった。

中学生の頃、僕はいじめられっ子だった。なにをしても上手くいかなかった。人生がくそつまらないと思っていた。入部していた剣道部が地獄だった。部活をさぼり、他の部員に見つからないように、コソコソ隠れながら家に帰った。別にさぼりたかったとかそういうのじゃない。ただ怖くて怖くて、逃げないとどうしようもなかった。先生の車が到着する音は、体で覚え、いつも冷や汗をかいていた。誰も守ってくれなかった。家に帰っても、怒られるばかりなので、いつも裏山の墓場で時間をつぶした。ただただ時間を潰した。これしか当時の自分には考えられなかった。怖かった。辛かった。つらい時期が多かったが、なんとか中学校を卒業した。

地元の商業高校に入学した。バスケ部に入った、初心者だったので、最初は先輩に色々言われたり辛い思いもしたが、運良く徐々に慣れた。少しずつ、運動能力がついていき、身長も伸びた。結果として、周りから全然いじめられなくなり、むしろよく声をかけられるような存在になった。嬉しかった。その後、多少の問題はありつつも順調に、学年を上げていった。高校3年時、僕は商業高校ながら、大学進学を目標に、成績は高く維持していた。そのおかげで、国立大の推薦枠をもらった。たくさん勉強した。しかし、落ちた。泣いた。辛かった。合否通知後、トイレで少しの間、泣きながらひきこもったのを覚えている。今まで積み上げたものが全て崩れていく感覚だった。結果として、地元の偏差値のあまり高くない大学に、進学した。悔しかったし、ここから怖かった。


またみんなの自分に対する評価が変わった気がした。高校生の頃の自分から、また何の能力もないやつの烙印を押された気がした。悔しかった、怖かった。


大学入学後、たまたまTOEICに出会った。TOEICなんてそもそも知らなかった。いきなり、大学入学直後に受験させられた。スコアは250点で、最低クラスだった。この点数をもとに、英語のクラスの振り分けが行われた。もちろん僕は最低クラスだった。みんなスコアの話題でもちきりだった。


ここで、僕はTOEICスコアの偉大さを知った。どうやらこのスコアを上げると周りから褒められる、認められるらしいと知った。僕は、このテストをやろうと決めた。

正直、TOEICじゃなくても良かった。他の資格試験でも、インターンでも、バイトでもなんでも良かった。ただ、人から自分を認めてもらえて、自分の存在を確かめられればそれでよかった。ただ、たまたま目の前にTOEICがあった。だから、僕はTOEICを頑張った。


TOEICはわかりやすかった。点数が伸びれば伸びるほど、人は勝手に自分を認めてくれる、褒めてくれる、それが快楽だった。


TOEICは僕に向いていた。それは、やることが明確で、範囲も限定的なのでやればやるほど、成果に直結するからだった。大学1年時、周りに努力する人が少なかったのも良かった。努力すればするほど、みんな僕のことを認めてくれたように思えた。みんな褒めてくれた。


そこから死ぬ気まではいかないが、自分なりに本気で勉強をした。朝は大学が始まる前に大学に行き教材をやり、昼休みは一人で英語の勉強、授業の合間には図書館にこもり参考書をした。部活をやっていたが、もちろん部活の後もぎりぎりまで大学に残り、一人で教材をやりこんだ。通学時間は、ひたすら単語を覚えた。

こんな生活をしていたおかげで、大学の友達は全然できなかった。ありがたいことに、こんな自分と仲良くしようとしてくれる人もいたが、断っていた。申し訳なく思う。


こんな生活をほぼ毎日365日続けたおかげで、1年でスコアは250→600まで伸びた。大学の授業も、一番前の席で一生懸命受けた。必死に受けた。結果として、学校の成績も1番になった。大学で表彰された。みんな褒めてくれた。先生も、周りの学生も褒めてくれた。

だけど、友達はいなくなった。僕は一人だった。一人で祝った。悲しかった。でも、僕にはこうしかできなかった。辛くもないが、嬉しくもなかった。


これが、僕がTOEICを頑張れた理由。頑張れたというか、やるしかなかった。やらないと自我が保てなかった。

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