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「いかにがんばるか」をやめてみる

悩んでいるのが好きなら悩めばいいけど、
悩みを一生懸命大事に持ってないで、手ばなしちゃったら楽だよ

という話をひげおさんからされました。話をされると、あーそうだよね。うんうん。なんかお坊さんのお説法を聞いた感じて、心が落ち着くな…
って思ってしばらくは平穏だったりするんだけど。けど。

こうしんみりすると解消した気がして、しばらくするとまた忘れて、腐った高級なメロン(=悩み)を大切に自分の冷蔵庫にしまいはじめる。

はーーーー。自分の人生を能動的に生きるって結構難しいんだなあ。悩みに振り回されてばっかりじゃないか!


そんな風にいうと、ひげおさんは「ヨーガの道」と「タントラの道」について話し始めた。

「がんばってなんとか対処しよう」「少しずつでも努力して改善しよう」という考え方は世の中の自己啓発分野をほとんど支配してるじゃないですか?(笑)
この「いかにがんばるか」「いかに変えるか」「いかによくするか」系のアプローチを「ヨーガの道」と呼ぶことにしましょう。

さて、このヨーガの道の「安いやつ」を間違ってつかんでしまった場合どんなことをがんばることになるかと言うと、
「腐ったメロンの臭いに耐えよう!」みたいなこととか、
「魔法の力で腐ったメロンを蘇生しよう!」みたいな無理難題に取り組んでみたりするんですよ。
こういうこと、世の中で平気で起こってます。

う…なんかわかる気がします…。本屋さんで並んでる自己啓発本の題名がたくさん思い浮かぶ…。

ヨーガの道でもまともなやつを選ぶと「腐ったメロンをどうやって捨てるか(排除するか)」をがんばるアプローチを取ります。
これがいわゆる修行です。めっちゃ大変です。できるようになった人は仙人のように見えます。パンピーには絶対ムリな感じです。
でもこのヨーガの道に憧れる人は大変多いのです。
悩みをなんとかしようとしている人の殆どがこのヨーガの道を進み出すので、情報量も多く、このアプローチへエントリーしていく人はとても多いです。
ヨーガの道というのはDo/Doingの道です。なにかを「する」というアプローチです。
なにかを「する」、もしくは、「しかた」を変える→結果的になにを「する」かが変わる、というアプローチですね。

言い方は悪いですが、ヨーガの道はバカでも歩めます。いやむしろおバカさんのほうが歩みやすい道です。
盲目的に指示された方法に従ってなにかをする、やり方を変える、そのやり方に没頭する。
ヨーガの道では没頭するプロセスで自分を捨て去る=冷蔵庫の中を根こそぎ捨てることで、結果として腐ったメロンを捨てます。
根こそぎ捨てるので冷蔵庫の中は空になります。リセットされます。
自分を空にした時点から人生を再出発してもいいし、そのまま解脱を目指して修行を続けてもいいと思います(←ほぼ間違いなく出家することになります)。

う……。だからなんか、どんどん自己啓発本が自分の本棚に並んじゃうんですね。そしてなんか自分の本棚……なんかなあ、ださいなあって思ってしまって、友達が家に来るときなんかはつい隠しちゃう。笑

長々とヨーガの道について解説しましたが、僕の考え方は違います。

ヨーガの道が「する(Do)」の道なら、僕が歩んでいるのはその対極にあると言っていい「存在(Being)」の道です。
これをヨーガの道に対して「タントラの道」と言います。(老荘思想をベースにした場合は単に「道(TAO)」と言ったりします。)

タントラは「わざわざ」なにかを「する」ということを一切しませんw

顕著なのが瞑想のやり方です。
ヨーガ(ヨガ)は呼吸法も姿勢も人間の身体の限界に挑戦するような技をわざわざ練習して挑戦し続けます。
タントラの瞑想では、最初こそ深呼吸をしたりはしますが、自然な呼吸の観察に徹します。姿勢も楽で合理定期な姿勢以外が登場することは非常に稀です。
タントラでは普段慣れきってしまっている「する(Do)」ということから一歩距離を置きます。
わざわざなんかしてなくても「あなたはすでに存在してるでしょ?」とタントラは問いかけます。
そう。なんもしなくても私は確かに存在しています。まずここを思い出すところからタントラの道が始まります。
付け加えると、なにかを「わざわざする」と存在(Being)の自然な在り方が崩されてしまう、ということを観察から学びます。
冷蔵庫の中の腐った高級メロンの例にタントラを当てはめるとこう言えます。
冷蔵庫(存在/Being)の中に腐ったメロンが何個入っていようと、冷蔵庫はびくともしない、揺るがない、ということを知る…、これがタントラです。
冷蔵庫の中にたくさんの食材が入っていれば、良いのも悪いのもそりゃ入ってるでしょう。
冷蔵庫は食材を入れるものなんだからそれで当然なのです。
冷蔵庫の存在を知れば知るほど、この冷蔵庫は底なしになっていきます。
容量が無限の冷蔵庫、それが存在Beingです。
容量が無限ですから、食材が新鮮だろうが腐ってようが構わないのです。
構わなければ、その存在にふさわしくない食材(考え、悩みなど)は「落ち」ます。


意図して忘れるように仕向けるとか抑圧するとかではなく、勝手に「落ちる」のです。歩いてる途中にものを落としてしまう感覚です。


悩みが落ちます。
悩みをなんとかする(Do)のではなく、その悩みを持っている存在(Being)に注目するのがタントラです。
存在(Being)がその悩みに影響されるほど弱々しいうちは悩みは続きます。
しかし、悩んでいるという事実を通して、自己の存在をないがしろにしている自意識に気づき、
存在を思い出し、存在を感じ、存在=自己そのもでいるように瞑想していると、
悩みを存在が超えます。
存在にとって悩みがちっぽけなものになれば、必然的にその悩みは落ちます。

良い週末を。


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こう書いている今も、「いかに文章をよく見せるか」を頑張ってしまっている。そしてあーでもないこーでもないと打ち直したりもしている。

がんばることも努力することも素敵だと思うし、そのために自己啓発本を読んじゃう私も、かわいいよね。
でも、すこし立ち止まって、そんなかわいい自分の存在自体をみつめてあげてもいいのかも、と思ったひげおさんとのお話でした。

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