幸せは欲張らないと手に入らない


大学を留年して5年生をやっていた年の誕生日に、おばが送ってくれたメッセージが未だに忘れられない。

「欲張って幸せな日々を過ごしてください」

誕生日のメッセージとしてはあまり馴染みのない表現であったし、この「幸せを欲張る」という表現が自分にとってとても新鮮で、しばらくその意味をずっと考えていた。今でもふとした時に思い出して考えたりする。


子供の頃から真面目で、勉強も嫌いじゃなかったし、夏休みの宿題も早めに終わらせてしまうようなタイプで、先生に歯向かったことも一度もなかった。ずっと「良い子」だった私が、留年したのは本当に大変なことだった。あの時、人生で初めて親に殴られた。交換留学をしたがあまり上手くいかなくて、帰ってきた年に就活、卒論と更に自分の自尊心をえぐられるようなイベントが重なったところに留年となり、正直人生で一番苦しかった。そんな時期にもらったメッセージだった。



「幸せを欲張る」という表現がなんか引っ掛かって頭の中で何度も繰り返した。


そもそも「幸せを欲張る」とは何か?


まず、「幸せ」とは

[名・形動]《動詞「しあ(為合)わす」の連用形から》

 運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。「思わぬ幸せが舞い込む」

 その人にとって望ましいこと。不満がないこと。また、そのさま。幸福。幸い。「幸せな家庭」「末永くお幸せにお暮らしください」

 めぐり合わせ。運命。「―が悪い」

「道がわかんねえで困ってると、―よく水車番に会ったから」〈有島・生れ出づる悩み〉

 運がよくなること。うまい具合にいくこと。

「―したとの便りもなく」〈浄・博多小女郎〉

 物事のやり方。また、事の次第。

「その科 (とが) のがれず、終 (つひ) には捕へられて此の―」〈浮・一代男・四〉

出典goo辞書
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B9%B8%E3%81%9B/

ここでは、2番の意味だろうか。
私にとって望ましいこと。

「欲張る」とは

[動ラ五(四)]なんでもかんでもほしがる。欲深く振る舞う。「―・って食いすぎる」「―・ってあちこち見物する」

出典goo辞書
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%AC%B2%E5%BC%B5%E3%82%8B/


「幸せを欲張る」とは、自分の望みを思う存分手に入れようと強い姿勢でいることだろうか。ずっと満たされない状態であるとも言えるなと思った。貪欲に生きて良いんだよとか。そこまでの深い意味はなかったかもしれないけれど、おばの性格からもそうとれなくはない。


おばは美大を卒業して、結婚して子供を産んでも作品を作り続けながら学校の講師をしたり自分で教室を開いたりもしてきた人で、まさに貪欲に自分の理想を求めてきた人なのではないかと思う。そんな人に言われると説得力が増す。あの頃の自分の状況から考えると、どん底だった私への励ましとして、「辛くても幸せを諦めないでほしい」というメッセージが込められていたのだろうか。


おそらくこの言葉がこんなにも引っ掛かってしまったのは自分へのコンプレックスからだと思う。今まで人の目を気にしたり、自分を卑下したりすることが多くて、人に合わせたり、諦める選択をしてきたことの方が多かったという自覚があった。なんとなく自分はなんでこうなんだろうとか、自分は不幸だとかかわいそうだとか思ってしまう時がよくある。特にこの時期はそうだった。そして、この言葉に「そうか、幸せって自分から貪欲に掴みに行かないと手に入れられないのか」とはっとさせられた。とても当たり前のことだけど。「幸せになりますように」とよく願うが、願うだけでは叶わないのだ。どんなに周りが気になっても、結果がどうであっても、望みを叶えるための選択をとらなきゃいけないんだ。




あれから4年経っても私は未だにそんなに貪欲に生きられていない気がする。23年間培ってきた性格はそう簡単には変えられなかった。それでも、たまにこの言葉を思い出して自分から掴みに行っても良いんだよと自分に言い聞かせている。幸せを欲張るための行動とは何かと考えられるようになった。ずっとやりたかったことを勉強し始めたり、好きな人に告白したり、いろんな人に自分から声をかけて集まったり、小さいことだがひとつひとつできることが増えていっている気がする。自分は幸せへと向かっていると考えると満たされる気持ちもある。


なんだかあまり纏まっていなくて、納得いってないところもあるけど、一度この事について書き留めておきたかったので書いてみた。きっとしばらくしてまた新たな発見があると思うので、いつかまた書くだろう。





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