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「論文」ってそもそも何?査読の「闇?」に挑む!!

こんにちは、現役ポスドクをしております毒太郎と申します。このnoteはあくまで毒太郎の体験を元に、偏見に基づいた感想を語っていく場です。ですのでほとんど統計値などは出てきませんので悪しからず。

前回の記事ではh-indexについて解説しました。


研究者の戦闘力と言っても過言ではないh-indexは「引用された数(被引用数)が多い論文をたくさん出す」ことで上がっていく値ですが、「論文を出す」とはどういう行為でしょうか?
そもそも「論文」とはなんでしょうか?恐らく一度の説明では足りないので、数回に分けて語っていきたいと思います。
 Wikipediaにて「論文」を調べてみると、「論文とは、学問の研究成果などのあるテーマについて論理的な手法で書き示した文章」と説明されています。


広義の論文は上の定義で良いかもしれませんが、本記事では学術(原著)論文に絞って語りたいと思います。学術(原著)論文って何?という方にざっくり説明すると「世界広しと言えど誰も見たことがない結果、発見を世に発表する機会」のことを言います。

では例えば自分で発見した事象をTwitterに載せたらそれは論文になるか?というと学術的にはそうはなりません。論文は指定されている学術雑誌に投稿し、審査を受け、掲載されることで正式に発表されます。ではそもそも学術論文が掲載されている学術雑誌とはなんでしょうか?
 

学術雑誌とは?


学術雑誌は、漫画雑誌にとても近い存在だと思います。漫画雑誌では、少年ジャンプから、コロコロコミック、近代麻雀まで色々な分野のものが存在するように、様々な研究分野を網羅する学術雑誌が存在します。漫画雑誌では少年ジャンプ、マガジン、サンデー誌がトップ3だと思いますが、筆者の領域である生命科学系の学術雑誌でこれらにあたるのが、Nature, Cell, Scienceの三誌です。これらの頭文字をとってCNS(Central Nervous Systemじゃないよ)と呼びます。ちなみにヤングジャンプの様な存在もあって、例えば免疫学に特化したNatureの姉妹誌はNature Immunology誌など、本当に大量に雑誌が存在します。人生においてNature、Cell、Scienceに論文を発表することは研究者全ての夢であり、発表することができればポスドクからいきなり教授になることも不可能ではないほどです。
 
では研究雑誌の価値はどのように決まるでしょうか?
それぞれの論文の価値は被引用数によって決まると前回の記事で言いました。それと同様に研究雑誌の価値も「掲載されている論文の被引用数」で価値が決まっています。それを数値化したものをインパクトファクター(Impact Factor: IF)と呼びます。

この数値は、雑誌に掲載された論文の被引用数の平均値で、先ほどいった学術界のジャンプであるNatureの最新のIFは64.8 (2023年)です。一方BBRCという雑誌のIFは3.1(2023年)です。これらの情報は、googleで「雑誌名 IF もしくはimpact factor」と調べれば出てきます。BBRCも由緒あるいい雑誌だと筆者は思っていますが、インパクトファクターで見るとNatureの方がだいぶ格上(IFにして20倍以上)です。

IFが1以下の雑誌も沢山あります。よくニュースで「大発見、認知症のメカニズムが解明された!」などセンセーショナルな題名と共に報道されることがありますが、その際は掲載された学術雑誌(のIF)をしっかり見極めてください。そのほとんどは大した学術雑誌に掲載されたわけではありません(その論文に価値がないとは言っていません)。筆者の感想ですが、IFが10を超えていたらまあまあと言っていいでしょう。IF5程度でも十分いい雑誌だと思いますが、科学系のニュースは大げさな場合が多いので注意が必要です。

ここまで読んだ方は、全ての論文をNatureに投稿して、掲載して貰えばいいと思う方もいるかもしれません。ですがこれも漫画雑誌同様、雑誌に掲載出来る論文の本数には限りがあり、また雑誌側もIFを上げたいので、どんな論文でも載せるわけにはいきません。ですので雑誌側の厳しい審査があり、そこを通り抜けた選ばれた論文のみが雑誌に掲載されるわけです。次に論文を投稿してから採用されるまでを語っていきたいと思います。
 

レビューシステム

次に論文が雑誌に投稿されてから、どのような審査プロセス(査読(さどく)ともいう)があるのか語っていきます。ここでのプロセスも漫画と似ています。ただし筆者の漫画側の知識はバクマンや編集王の知識ですので悪しからず。漫画家は、自分の作品を完成させたのち、出版社の編集者に持ち込みをし、内容を見てもらいます。編集者が内容を確認して、この漫画、また著者に可能性を感じれば、何度か直しを加え、編集長を交えた会議に提出します。そこで編集長がゴーサインを出せば、晴れて連載決定です。

エディターの審査

これと似ていて、研究論文は雑誌に投稿する際に、それぞれの雑誌のホームページから投稿します。投稿された論文は、漫画でいう編集長に値するエディター(Editor)によって「科学的に価値が重いか?」、「世界の時流に乗っているか」などの予備審査を受けます。この予備審査は1日から2週間ほどかかります。ここでエディターが雑誌に載せる価値がないと判断すると、掲載を拒否され、投稿者は別の雑誌に原稿を投稿し直す必要があります。この段階で断られることをエディターキックと言い、この論文投稿からの2週間程度は研究者にとって最も寝つきが悪い時期です。

レビューワーによる審査

エディターは、投稿された論文に可能性を感じたら、次に漫画雑誌の編集者に値するレビューワー(Reviewer)に審査するよう依頼します。漫画雑誌と大きな違いは、レビューワーは出版社の人間ではなく、我々ポスドクを含めた大学等の研究者です。漫画で言うと、現役の漫画家が審査していることになります。エディターは投稿された研究論文の分野の研究者を選び、審査を頼み、通常2-4人のレビューワーが一本の論文につきます。
レビューワーは大体2週間から1ヶ月の猶予をもらって、論文を読み込み、投稿された論文の新規性、論理的な穴、実験の妥当性から単純な誤字脱字まで確認し、コメントを書きます。

リバイスと再投稿

次に投稿者はレビューワーからのコメントを受け取った後、1-3ヶ月の猶予をもらって、各々のコメントに文章の変更や、追加の実験を行い(リバイス: Revise, Revision)対応し、再投稿します。再投稿された論文にレビューワーが納得しなければ、このやりとりが続きます。そこで全員のレビューワーが納得すれば、論文が採用(アクセプト: Accept)され、晴れて雑誌に発表されることになります。

論文はそれなりの審査を受けてようやく採用されることで、ある程度の質は担保されるのです。この点でTwitterや個人のブログ等でまとめた知見より信頼性があるわけです。

以上のプロセスざっくりまとめると、 
1)     論文投稿
2)     エディターの審査
3)     レビューワーの審査
4)     投稿者のコメント返し(リバイス)
5)     レビューワーの再審査
6)     採用(アクセプト)
 
となります。投稿から、採用まで一般的に半年から1年かかります。
 
ここまでは一本道ではなく、様々な落とし穴があります。
例えばエディターキックを免れた後も、3)の段階でレビューワーによって論文掲載を断られることもあります。論文掲載を断れることをリジェクト(Reject)といい、漫画でいうボツと同義、研究者にとっては最も聞きたくない単語です。論文がリジェクトされると別の雑誌を探して、1)の作業からやり直しです。
また4)で再度レビューワーからのコメントがついて、再度リバイス(2nd round)を要求されることもあり、さらには3)と4)をその後も繰り返す可能性(3rd round, 4th round?)もあり、研究者はかなり胃を痛ませながら論文の雑誌掲載を目指していることがわかると思います。まさに論文は血と涙の結晶です。
 

IF至上主義は研究者の余裕を奪う


研究者は以上のように高IF(インパクトファクター)の雑誌に論文を掲載することに心血を注ぎます。しかしIFの話ばかりすると、「論文の価値はIFでは決まらん!」と、偉い先生に怒られるかもしれません。

知り合いの偉い先生は、「ノーベル賞級の研究は、今までの常識を覆しすぎることが多いので、高IFでは審査を通らず、意外とIFが低い論文に載ることが多い」とのたまっていました。これは一理ありますし、研究者によっては、高IF雑誌でわざわざ長くかかる勝負をせず、低IF雑誌に論文をガンガン載せていくスタイルの方もいます。

ただ若手研究者にとってはこのご時世、高IFの雑誌に論文を載せないと出世できないのが現実です。この研究者の余裕のなさは、研究をする上で良くない面もあると思いますが、これは筆者のような3流研究者の負け犬の遠吠えかもしれません。

レビューワーの裏話

「レビューワーの審査は水物」と言われますが、レビューワーは投稿された論文の内容に精通する分野の研究者が選ばれることが多いことに起因します。研究分野の規模にもよりますが、同じ分野の研究者はそこまで多くないので、投稿者とレビューワーが知り合い同士ということも多いです。なので投稿者とレビューワーの仲が悪い場合(人間的に仲が悪い場合と、掲げている研究の方向性が違う場合があります)、難癖的なコメントをつけて論文を採用させないこともあり、逆に仲がいいと簡単なコメントがついてすぐに採用されることもあるようです。

漫画で言うと、連載するかどうかを現役の漫画家が決めていることと同義です。そうなった場合、漫画の面白さ以外にも、漫画家同士の人間関係(誰が大御所漫画家だとか、誰と誰が師弟関係とか、誰と誰が仲が悪い)とかで連載が決まるものも出てくる可能性が容易に想像できると思います。

説明していませんでしたが、投稿者はレビューワーが誰かわからないようになっていますが、レビューワーは投稿者が誰だかわかるようなシステムになっています。ただし筆者が在籍していた研究室のボスは、レビューワーの英語の文体で誰だか大体わかると言っていました。一応投稿時に、「この研究者はレビューワーにしないでくれ」とエディターに嘆願することも可能ですが、レビューワーを決めるのはエディターです。

結局審査するのは人なので、例えばノーベル賞を取ったような歴史的偉人であったり、同じ研究分野の大御所が投稿した論文には、エディター、レビューワーも論文に多少の穴があったとしても、恐れ多くて口出しできない可能性もあります。CNSの論文で、「この論文内容で本当にCNSか?」と思うことがままあると思いますが、研究者の政治力が絡んでるかもしれません。また噂ですが、レビューワーと同じ国や人種以外の投稿者には厳しく、同じ国や人種の投稿者には優しいという話もあります。おっと誰かが来たようだ。。。
 

後書き


今回は特に闇はなかったと思います(すっとぼけ)。同じ国の研究者に対する審査が優しくなるというのは誰しも多少はあるかもしれません。筆者はIFが低い雑誌の論文のレビューワーをよく依頼されますが、日本人の論文はどれもそこそこの質が担保されているように感じます。

一方で某国の論文はピンキリで、ひどい論文は本当にひどいです。しかしながらこのことは筆者の先入観による偏見かもしれません。筆者がレビューワーを依頼される程度の低IF雑誌ではそうかもしれませんが、Natureなどの高IF雑誌に掲載される論文数も某国はトップを争っていますので、少なくとも日本に比べトップ層から下位層まで某国の研究が盛んなことが伺えます。

このように審査は結局人の作業ですので、研究の世界で日本の立ち位置が下がるということは、負の連鎖で、日本の論文が通りにくくなっていく可能性が懸念されます。

話は元に戻ります。今記事では論文投稿者側の苦悩のみを述べましたが、レビューワーも結構大変です。いきなり雑誌から「こんなタイトルの論文が投稿されたけどレビューワーする?」という内容のメールが届きます。レビューワーの依頼を受けると、「じゃあ期限は2週間後ね、よろしく!」と勝手に期限を決められます。自身の実験をしながら、空いた時間で論文のレビューを行う必要があるので、中々大変です。しかもレビューワーの受ける前はタイトル(もしくはタイトル+要旨)しか見ることができないことが多いので、依頼を受けた後に論文の中身を見てみると、自分の研究分野と異なっていたり、しょーもない論文であることも多々あります。

しかもレビューワーには一切お金は出ません。この論文を精査する作業を全て無料で行います。出版社は高い投稿料を取っているんだから、レビューワーにも少しはお小遣いをくれてもいいのではないかと感じます。

じゃあなんでレビューワー依頼を受けるかって、、、レビューワーを沢山受けた雑誌だったら、自分の論文を投稿したときに採用されやすいと思うじゃないですか!!
多分関係ありません。私の場合はそんな下心もありますが、単純にタイトルが面白そうだったら受けるようにしています。
次回は、論文の構成に関して少しずつ語っていきたいと思っていましたが、その前に「医者留学者に物申すnote」を緊急で上げたいと思います。いいね、フォローを頂きますとモチベーションになります!
 

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