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【緊急講演会メモ】AMED理事長--科学のオートノミー(自治)を守る

 日本医療研究開発機構(AMED)の末松誠理事長による緊急講演会「どうなる?『日本版NIH』の未来 山中伸弥教授のiPS細胞備蓄事業報道の背景を含めて」(主催・日本科学技術ジャーナリスト会議)が2月20日、東京・内幸町の日本プレスセンターで行われ、筆者(弊社代表の堀江)も参加する機会を得ました。数日来、話題になっている「科学のオートノミー(自治)」について強い危機感を覚えているという末松理事長が、緊急講演と質疑応答を2時間にわたって行いました。「ニコニコ生放送」でも中継されたようです。

 筆者は当講演会以外の前後関係を取材しておりませんし、またその予定もありませんので、本件に際して記事を書くには情報が少な過ぎると判断し、代わりに講演の大部分をメモ起こししました。極めて長いですが、バイオ系だけでなく科学コミュニティ全体に関わる貴重な指摘が多々含まれています。動画を見る時間がなかった人は、メモ代わりにしていただければと思います。

 なお、メモを起こして公開しようと考えたのは、末松理事長が主張されていたことについて、個人的にも無関係だと思えない点もあったからです。なぜなら、弊社クライアントの先生方の中には、AMEDの競争資金にトライされている方もいらっしゃるからです。AMEDの応募書式は、科研費やその他競争資金と比べてもより詳細な説明を求めていて、かなり厳しいという印象です(語弊があるかもしれませんが、ちょっと「粘着質」とも言えなくもなく…)。書く分量も多いです。しかし研究者の皆様は、そのようなことにはもちろん怯まず、医学の新しい地平を目指す研究資金を得るために果敢に書いて(そして当方にあれやこれやと文章を指摘され)、応募しています。

 いっぽう、厳しい審査内容は、選考者側(AMED)にとっては、医学のさらなる高みにチャレンジするだけでなく、その成果を疾患で苦しむ人に一刻でも早く届けるために価値ある研究計画を見分け、資金配分を行うために当然でありましょう。したがって、末松理事長が再三強調されたように、「科学のオートノミー」は大前提であるはずです。むしろ、末松理事長が今回のように主張されなければ、当然のように担保されていると筆者は考えておりました。

 以上、前置きが長くなりましたが、以下に講演での発言内容をまとめました。

※注1 「コネクティングルーム」なる言葉は本講演においては一度も出ておりません。念のため。

※注2 講演に引き続いて行われた質疑応答の内容については、弊社ブログに概要をまとめました。質問内容は、新型コロナウイルスの対応状況や、内閣官房健康・医療戦略室(以下、戦略室)との関係から、安倍首相に対する感想まで多岐にわたりました。末松理事長は、独特の喩え(例えば「アントニオ猪木vs.モハメド・アリ」)を用いたりソルジェニーツィン(旧ソ連の作家、著書「収容所群島」で知られる)を紹介したりして、科学のオートノミー(自治)を守ることについて、明快な言葉で語りかけていました。

最初の3年半は、十分機能した。素晴らしいスーパーバイズ機能を健康・医療戦略室は発揮した 

 役人の皆さんはデマーケーション(※筆者注 demarcation、区分・区別という意味)を重視する。国民の税金という貴重な財源を使うので、予算の配分に無駄や重複があってはならないという考え方だ。一方で、研究者は、AMEDからファンディングしている人はマージネーション(※筆者注・「溶け込ませる;合流する」を意味する動詞のmergeであると思われる)である。自由な発想に基づいて研究し、違う価値を創造することにこだわりを持っている。組織間でのやりとりは難しくなるだろうと考えた。

 そこで、タテ軸は疾患の構造ごとに分けた。患者さんからデータを取るというたいへん重要なアクティビティがある。その時に必要なのは、インフォームドコンセントのもと患者さんからここまでやって良いですよという了解とそこからデータをいただいて、解析していく。そこから応用研究に発展していくかもしれないし、基礎研究が出るかもしれない。これをリバースTRという。人間が一番上にあり、そこから順に同意を取って研究者が解析して、意味のあるものを抽出していくこと。これが非常に遅れているので、AMEDは当初は疾患構造別のタテ軸--たとえば癌のリサーチや感染症、難病などに分けた。

 ヨコ軸はゲノムや創薬など、疾患構造に関係なく共通するもの。タテ軸とヨコ軸が協力しながら、二千数百課題を管理していこうと考えた。

 AMEDの組織内では3省――文科、厚労、経産が闊達な議論を行える場を、我々としては提供する。研究費設計に3省が同じ机の上で同時に議論する環境を作らせていただいた。ありがたかった。ワークしたと考えている。

 それから、タテ・ヨコの連携と研究費の効果的な運用。これについては、健康・医療戦略室はたいへんな貢献をしてくださった。我々では無理で、内閣官房がきちんと動いて、財務省と折衝して、予算構造とルールを一元化してくれた。これは我々ではなく、彼らの大きな仕事である。その体制が整った段階で、患者さんに一分一秒でも早く、医療研究開発の成果を届けようということを唯一無二の目標にしようと理事長職をスタートした。

 上っ面だけの話に見えるかもしれないが、新しくできた組織(※筆者注・2015年発足)で、信念がないと、それから難しいジャッジをする時に、ここに立ち戻って判断するということで5年間やってきた。最初の3年半は、これで十分機能した。素晴らしいスーパーバイズ機能を戦略室は発揮した。しかし平成30(2018)年7月以降、なかなかうまく行かなくなかった。

「カラスは白い」のか--「100対0」の白いカラス

 「カラスは白い」と言われて、「イェス、サー!」と言えるか。基本的にカラスは黒い。「上」からカラスは白いだろうと言われて、「いや、黒です」と言えることが重要である。

 サイエンスは特にそうだ。白黒がはっきりつかない場合もないわけではないだろうが、その場合には新しい作業仮説を立てて白か黒か判定していく。これの繰り返しである。ところがある時は、役所は「灰色」で着地しようとか、社会とかそういったものを背負っているので、理不尽な着地のしかたがあるのかもしれない。ただ我々ファンディングエージェンシーは、政府と科学のちょうど境目の、インターフェースに我々の組織は位置している。両方のバランスが大事である。科学の領域によってバランスが違うだろうと。今日(20日)も国会でそういう話をした。

 つまり、デマーケーションの役所と、マージネーションの科学。その両者をどう両立させるかが我々の仕事であり、どちらか6:4なのか7:3なのかは研究の進捗や、基礎に近いものか応用に近いものかで違う。

ピアレビューの鉄則は守られなければならない。例外はない

 審査にはピアレビューの鉄則がある。ところが、これが100:0になったら、注意しないといけない。研究者はある程度の自由度、自由な発想に基づいてきちんとやる。審査はピアレビューの鉄則――科学の専門家の人たちの採点に基づいて行うのであり、そのプロセスは透明性が保たれていないといけない。

 決定プロセスとピアレビューの飽くなき向上には、何年もの時間がかかる。アメリカ国立衛生研究所(NIH)は第二次大戦直後、今で言うintramural budgetが8割か7割、extramural budgetが3割程度だった。これのピアレビューをもっと良くしていこうと。intra-がextra-をレビューしたり、あるいはまたその逆、ということができる。みんな科学の専門家。それから外国から呼ぶのも同じ。それで決定されたことは守らなければいけないわけである。

 山中(伸弥)先生のiPSストック事業のお金もまさにそれ。最初に決まった時は、ピアレビューによって決まっている。点数で出ている。そこで決まったことはきちんと守らないといけない。ただしその期間が切れたら、もう一回ピアレビューを行わなければならない。これが鉄則である。

未知の課題に対する専門家はいない。競争と競争で挑む

 それから、人を扱う研究なので生命倫理4条件の遵守。科学のオートノミーの尊重というのは、たとえ専門家外の人であってもわからないことは訊いていい。癌の研究のレフェリーが癌の専門家だけで占められているよりも、癌とは直接関係ないけれども基礎生物学に造詣の深い人が入っている人がいい場合もある。ヘテロな集団で評価をして点数化、そしてして採用の当落が決まり、何年続くということがきちんと決まっていかないと誰も納得しない。山中先生の例は山中先生のことだから大きな話になったが、それだけでなく若手の小さな科研費であっても大きなプロジェクトでも、すべてこれを通さないといけない。

 たとえば大きな、国が危機に陥ることになったような場合、緊急にお金を配分して、ある目的を達成する。今回の感染症のような場合。審査が長引くことによってダメージが非常に大きくなる可能性があるので。それでも、米、英でも最低限のピアレビューをやっている。例外はない。

 未知の課題にヘテロな専門家集団で、ここが大事なのだが、競争と競争で挑む。未知のものに対しては、有識者や専門家はいない。今回のコロナウイルスも、ウイルスの専門家はいるかもしれないが、他にもっと専門家がいるだろうというのが、非常に重要な切り口となる。大きな枠組みを、政府が決める。サイエンスの選択は、我々AMEDの仕事ではないか。AMEDが「ショッカー」にならないこと。そういう機関であるべきだと考えている。そういうことを、世界のファンディングエージェンシー、人間を扱う科学の専門家にとってはみな当たり前である。

データシェアリングが今後数十年の課題

 先のダボス会議では、これから20年30年大事なことが4つあると示された。① Global Data sharing & linkage、② Silver marketの構築、③ Ethics & equity、④ 労働人口を増やす。

 残りの時間でデータシェアリングについて話したい。データシェアリングを最も阻むものは何か。WHOの会合が先週、ジュネーブ本部であった。新しいことはあまりなかったのだが、非常に重要なのは、ちゃんとしたデータをどこかの国、といっても日本と中国とか--日本は圧倒的に英文の数が少ないが--、そういったデータを論文に投稿する前にWHOにシェアして、論文のピアレビューは後回しにするということを皆で約束しようということについて、AMEDは1月31日、データシェアリングポリシーに調印した。

 その枠組みを作ったのが、Heads of International Research Organization (HIROs)のトップだ。AMEDも5年前にメンバーになった。サインをしたのは、ほとんどすべてのファンディングエージェンシーと、ほとんどすべてのジャーナル、CNSとNEJM。

 情報共有が大事だということは、情報共有が出来ていないということ。研究者――基礎研究と臨床、科学者と役人--ま、これでいま痛い目にあっているわけですけれども、大学と産業界、大学と大学――これも言い出すとキリがない。医学と科学――これいま結構大事じゃないかと。ほかの科学がどうなんだということも僕らもっと勉強しないといけないなと思っている。

専門家でないからこそ思いつくことがある。そういう力をいかに結集させるか

 AMEDの第1期からの挑戦で、データを広域で連結して分散状態でもいいから統合できる方法がないかということで、いくつか事業をやってきた。これからコロナウイルスの問題が動く時に、これは日本の強みなのか弱みなのかわからないが、あす(21日)京都大学で公衆衛生・疫学系の4学会が初めて集まって合同シンポジウムがある。

 彼らが力を結集すれば、日本全国からいろいろなデータを集めて研究対象にできる。しかし残念ながら、疫学の領域は感染症の専門家とネットワーキングおそらくうまくできていないのではないか。日本がもし、アウトブレイクがもっとひどい状態になったことを考えると、彼らの力も欲しいわけである。

 「自分は専門家でないから何もできない」ではなくて、専門家でないからこそ思いつくことがあるはずである。AMEDはcatalyse、つまり触媒機関であるので、そういう人たちの力をどう結集させるかが課題になっている。「画像兄弟」(JEDI)とは、AIのプロジェクト。6つの臨床画像系の学会、国立情報学研究所に若手の優秀なデータサイエンティストがたくさんいらっしゃる。そこがつなぎ役になって一つのクラウドコンピューティングシステムで各学会が必要なAIを開発して、これが動き始めている。8000万枚くらいの画像が集積されている。

 同じように、進行中のプロジェクトが難病未診断疾患プロジェクト(IRUD)である。450以上の病院、診断が難しい患者さんに診断をつけたら、お金が配られる仕組み。10万人に1人の難病の方をきちんと診断するというのは、患者さんにもご家族にも福音となる。例えば世界に百人単位の患者さんがいると、外国のバイオベンチャーが手を挙げてくる。

 大事なことは、解析したことはデーターベースに入れることである。詳細は省くが、既存のデータベースを、データベースに載っていない可能性のある病気の人が、半年できちんと診断をつけられる。3年半ぐらい動かして、機能している。患者さんのレジストリとしても使えて、問題はこれからこれを遺伝子治療、ドラッグリポジショニング、新薬に使えるかどうかということを、これから組み立てていく必要がある。これが大きな課題。450ぐらいの病院から提供される最初の情報は、地方の病院や地域のこども病院など協力病院でおかしいなと考えた先生たちのおかげで、ゲノム 解析ができる。

感染症は今後、地政学と医学の関係を重視すべきである

 それから、グローバルな協力について。AMEDはリトアニアに協力した。リトアニアはヨーロッパのデータベースを使えば良いのだが、データベースは、データを提供した国でないと使えない。リトアニアはゲノムのデータをヨーロッパのデータベースに入れていない。日本のデータベースのおかげで、難病の女の子の診断がついた。それだけでなくこの子の場合は既存の薬を使うことができた。

 皆さんに知っていただきたいのは、これから感染症において我々は今後、地政学と医学の関係を重視していかないといけないということだ。リトアニアがなぜAMEDに協力を要請したか。地政学的な視点に立つと、リトアニアは歴史上、周囲国から侵略を受けてきた国である。そのようなところで、周りの国とトラスト(trust、信頼)が成立するか。トラストがなければ、データのシェアもできない。

 これと同じことが、今の新型コロナでどうなのかという点も真剣に考える必要がある。日本でも、国際医療センターの先生が一生懸命、臨床研究を始めている。備蓄の薬、たとえば厚労省とか政府の強力なイニシアチブで中国に使ってもらうとか。中国は薬のコピーを作る上で天才的だ。悪い意味ではなく。緊急時は特許に関係なくコピーを作って構わない。そうとわかっているのなら、備蓄を使ってどういうデータが出るのか一緒に取ろうじゃないかと。やってもいいのじゃないかと思う。SARSの時も、東大医科研や国立感染研の先生たちが中国で大きな貢献をして感謝されている。

ムーンショットよりも「loonshot」

 ムーンショットというのがいま流行っているそうだが、コロナの対策は「ルーンショット(※筆者注・loonとは「変なやつ」の意)」が必要なのではないかと思う。

 クレイジーで小さいが、面白いアイデアを感染症領域以外の人から集める。パラボラアンテナを何千個も地球に据えて、ブラックホールの画像をためて作ったそうで、こういうやり方もいいんじゃないか。特定の1人に大きなお金を配るよりも、ルーンショットというやり方も未知の敵を倒す上で必要なのではないか。

 この前にWHOに行ってびっくりしたのは、中国からWHOに行っているデータに年齢階層別のデータがない。あるのに出さないのか、それとも無いのか分からなかった。妊婦への影響、胎児への影響はどうなのかというスタディがほとんどない。

 日本は、中国以外では患者がたくさん出ている。医療従事者も国民の皆さんにも協力してもらって、信頼おけるデータを科学の力でしっかり取って、基礎的にも臨床的にも、世界に使ってもらえるデータをもっと発信していく必要があるのではないか。我々自身にはその力はないが、叡智を結集すればできる。

今年度中に研究開発プラットフォーム構築

 我々としては、新興感染症流行に即応できる研究開発プラットフォームを構築していこうということが、きのう(19日)決まった。具体的には、我々のところで検討しなければいけないところは、①病原体および感染臨床検体等の解析基盤の整備、②感染症ゲノムデータ解析と統合型データの共有。データの共有と維持、蓄積。これが次のウイルスがサージした時に必ず役に立つはず。③新興感染症に対する研究開発に係る新規基盤技術の開発。公募になるだろう。④ルーンショットにあたるもので、感染症分野の臨床学的創薬基盤の充実。こういったものを若手の人たちにできるだけアイデアを出してもらい、どれとどれを組み合わせたら役に立つものができるかということをやってみようと考えている。

 具体的なところは詰める必要があるが、今年度に動かせるお金が確保できた。これは政治家の皆さんのお陰だ。政治家の皆さん、官僚の方々、研究者――だいぶ考えは違うんだけれども、非常に大事なことは最低限研究者のオートノミーが守られないと、それ以外を100でサイエンティストがゼロだと、サイエンスが動かないので、おそらく解決にはならないだろうと思う。

 山中先生の問題だけではなくて、若い人もシニアも、科学にはオートノミーが必要で、それでどういう発想で素晴らしいアイデアが出てくるか、リスペクトする環境が必要だと思う。オートノミーを守ることは私の信念と考えている。

■一問一答については、こちら(株式会社ポッセ・ニッポンのブログに飛びます)。

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